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1410日目 - いじめ(2)

「1409日目 - いじめ(1)」の続き


愛が足りない。
それが、根底にあることです。
しかし、それも自己保存の本能をベースに生きる社会では、やむを得ないことかもしれません。
自己中心的に生きる競争社会なのですから。

その競争社会で、子供を守ってあげるのが家族の役割です。
ところが、その家族から十分に守ってもらえない子もたくさんいます。
そういう子が、いじめをしたりします。
いじめた子を憎んでも始まらないのです。

仕返しや復讐は、何も肯定的なものを生み出すことはありません。
否定の連鎖であり、否定の増幅です。
それでは、ますます生きにくくなるだけです。
愛は遠ざかり、不幸が近寄って来ます。

まずは、自分自身の愛されたい、認められたいという気持ちを十二分にわかってあげることです。
そして、同じような気持ちを持っていて満たされなかった、いじめた方の気持ちもわかってあげることです。
双方の気持ちをわかってあげることですね。
そして、心から抱きしめてあげることですよ。

それだけが、肯定的な結果をもたらします。
愛を増幅させます。
淋しさを満たし、心を幸せにします。
自他が肯定されることによって、心は満ち足りるのです。

自分だけを抱きしめても、悔しさや憎しみは消えません。
相手も抱きしめてあげることです。
そうすれば、悔しさや憎しみは愛に変わっていきます。
足りなかった愛が、満たされていくのです。

愛されたい、認められたい。
その思いは、大人になっても持続しています。
それが、恋人を求めたり、結婚に走らせます。
しかし・・・

お互いが愛されたいだけでは、長続きはしません。
愛することを学ばないと、愛されたいだけでは子供のままです。
愛されたいだけでは、幸せになることはできません。
幸せとは、愛することなのですから。

しかも、その愛は、お仕着せの愛ではありません。
愛の見返りがないと、すぐに憎しみに変わるような愛ではありません。
ただ愛するだけの愛です。
無条件の愛です。

それだけが、人を幸せにします。
愛することでしか、人は真に幸せになることはできません。
ただ愛するだけです。
その時に、人は真に幸せになれるのです。

その愛だけの状態になるには、自分自身を理解することです。
自分自身の理解がなければ、他の人を真に理解することもできません。
他の人を真に理解することがなければ、人間関係はうまくいきません。
結局、すべては、自分自身をよくわかっていないということに帰着するのです。

いじめに対して、仕返しや復讐をしても、否定が増幅されるだけです。
それでは、いじめた方と同質のことをやっているだけです。
否定に対しては、絶対肯定で対処するしかないのです。
マイナスにマイナスで対応したら、更にマイナスになるだけです。

愛は、全肯定です。
全肯定とは、その存在を認め、見守り、育むことです。
子育てと同じですね。
それが、人に接する基本的スタンスです。

愛のスタンスですね。
みんながそのようなスタンスで生きれば、いじめや犯罪はなくなるでしょう。
これからは、そういう方向で生きることになるでしょう。
そうでない限り、人類の未来はないのですから。

自他を理解することですね。
そして、子育てのように人に接することですよ。
あたたかい眼差しで、やさしく見守ることです。
それが、自分を含めたすべての人が幸せになる道ですから・・・


『好きな子に 自分認めて ほしいから 気を引くために 悪戯(いたずら)をする』

『存在を 認めてほしい 欲求が 積もり積もって いじめに走る』

『いじめる子 いじめられる子 お互いに 相手認めて いない現実』

『否定する 雰囲気感じ 認めさす ためにいじめを 繰り返す子等』

『存在を 否定されれば 誰だって ムッとくるもの 反発するもの』

『存在を 否定されれば 人はみな 反発しながら 自分を守る』

『存在を 肯定しないと 問題は いつになっても 解決しない』

『復讐や 憎しみ恨み 仕返しは 否定するだけ 暗くなるだけ』

『肯定が 最初の最初に すべきこと 相手認めて じっくりつき合う』

『存在を 認めてじっくり つき合えば 人間関係 うまくいくもの』

『子育ての つもりで人に 接すれば 些細なことで 怒ることなし』

『愛だけが すべての人を 活かす道 全肯定が すべてを生かす』

『愛流る 人になるには 自らを 理解すること 自我の塊(かたまり)』

『自我こそが 愛の流れを 堰き止める 愛を自分の ものにしたくて』

『愛は愛 誰のものにも ならぬもの 愛の所有は 執着となる』

『理解こそ 愛が流れる 消化剤 自我を解かして 抵抗を消す』

『愛だけが 人の世救う 救世主 全肯定が すべてを救う』


これが日記を書き始めて1410日目の心境です。



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コメント

愛の心で

おなもみの学校でも、いじめ問題は深刻です。
一ヶ月ほどまえだったか、おなもみの学級で、いつもいじめられていた女の子が
たまりかねて昼休み、心中を先生に告げに行ったとのことでした。

先生は、ことの重大さに、5時間目を生徒達との話し合い、対話の時間に急遽
変更したそうです。

その話し合いの中で、次々と子供達が、「自分も毎日学校に来るのがつらかった」
「こんなことを言われて傷ついて、とてもつらい毎日をおくっていた」
と、普段何事もなくにこにこと学校へ来ていた子供達が、心の内を話し始めたの
だとか・・・

おなもみの要領をえない話だけでは、その時クラスが、どんな話し合いをして、
先生からどんな言葉がけがあって、どういう感じだったのか、詳しいことがよくわかりま
せんが、クラス中のほとんどの子供達が泣き、いじめた子たちも自分を反省して泣き、
先生も泣き、

・・・クラス全体が、なんとなくこんなものと日常化していた問題を、真剣に見つめなおし、
向き合って、心をひとつにした時間だったようだった ― ということが、おなもみの話から
伝わってきました。

数日後、参観があり、学校へ出向く機会があったのですが、クラス、教室に充ちる
波動、エネルギーが、以前のものとは全く違っていることをとても感じました。
調和している、先生も、生徒達も。
そして、授業も、すばらしい授業で、感動しました。
今まで、参観に行って、こんなことを感じたことは(調和しているということ)、ありませんでした。

続きです

クラスのみんなの、想いをぶつけあった、話し合った、そのことが、子供達の心のしこりを
溶かし、みんな苦しかったんだという共通の思いにお互いを思いやる気持ちを芽生えさせ、
先生や子供達は気づいているかどうかわかりませんが、毎日ともに時間を過ごすクラスメイト
たちに、見えない意識の部分での一体感、調和が生まれた そのように感じられた、クラスの
エネルギー、とても穏やかで暖かな波動、私にはそれが如実に感じられました。

愛がすべてを溶かしていきますよね。
思いやる気持ち。
おなもみは、幸い毎日のほほんと学校へ行っていて、いじめの三文字からは遠いところに
いるようですが、四年生のころでしたか、いじめられていたことがありました。
でも、本人は、のんびりした性格なので、いじめられているという被害者意識が全くなく・・・
母の私が、学校でこんなことがあった というのを聞いて、「え!?それはいじめでは??」
という具合で・・・

でも、あからさまに、本人も、これはつらかった ということがあり、とてもつらそうに私に
その出来事を話してきたことがありました。
あまりのことに、「それはちょっと・・・」 と、私も一瞬絶句して、相手方の親御さんに言うべきか 
と思いましたが、おなもみは、「いいの。先生も注意してくれて、相手の子も謝ってくれたから」
と言いました。
私が、「先生の前だから謝ったんじゃないの?」 と言うと、「ううん、心から謝ってくれたんだよ、
それがわかったの。だから、もう、おなもみは許しているからいいの」 と言いました。

さらに続き

おなもみがそう言うのなら、私がこれ以上何も言わないでおこう せっかく、子供なりにひとつの
つらい出来事を経験して、それを自分できちんと学び終えたのだから と思いました。
でも、「おなもみは許しているからいいの」 という言葉に、少し胸打たれるものがありました。
許す って、相手に愛を向けられなければ、できないですよね。
私なら、同じことをされて許せたかしら と、思いました。(無理かも・・・)

私の友達に、おなもみがこんなことをされた と電話したら、電話口の向こうで、
「そんなこと許してどうするのっ!!」 と、叫ばれました。
普通は、そういう感覚かもしれません。
でも、そんなことをする子の奥にあるもの、心、そこを見るということ、感じるということ、
それって、難しいようですが、大切ですよね。

私は、おなもみにいつも、いじめる子は悪い子じゃない、その子も辛い気持ちをいつももって
いるんだから、愛が足りないんだから、でも、その子に愛をあげられないその子のお母さんや
お父さんも、そのお母さん、お父さんから愛をもらえなかったんだから、その連鎖がずっと続いて
いるんだから、それに、今ここで気がつけばいいだけなんだから。誰も悪くない、淋しいだけなんだよ 
と言ってきました。

まあ、おなもみは、そんなこと私が言わなくてもわかっているのでしょうけれど、
どんな状況、場合でも、人と接する、人と交わるときには、その人の真の部分、愛や光を見て
交流できたらいいですよね。
いつも、そんなことを親子で話し合っています。
その人の、魂と触れること・・・それが大事なことだよね って。

終わりです

あ、すみません、とても長々打ってしまいました。
(ごめんなさい、何度もコメント欄で受け付けてくれなくて、四度にわたってしまいました)
(せめて、2000文字くらい受け付けてくれたらいいのに・・・)

先日も、となりのクラスの子のランドセルがカッターでぷっつり切られるとか、靴が用水に
捨てられていた とか、そんなことがありました。
おなもみのクラスでは、もう、きっと卒業までいじめはおきないでしょう。
そんな気がします。

どうか、子供達の純粋な心が、歪められていきませんように。
すべての人が、愛の心で、透明な意識で、すべてを見ることが、感じることができたらいいですね。
日々、日々、そのように思います。

いじめと意地悪は違うのかな?

根本が違う?

いいおばあちゃんの私は、
意地悪とどう向き合うかで、
先日来から悩んでいます。

要は、私が嫌われているわけで、
意地悪な方は嫌いな私を見ると、
気持ちがつい頑なになって、
言葉はきつくなり、態度はすげなくなる。

私の存在が、その人の気持ちをそうさせるとしたら、
私の存在自体が、その方にとって迷惑なわけですが、
私の存在がその方の心をいじめてることになるのかな?

何故嫌われているかというと、
仕事がイマイチ有能でないのもありますが、
感性の相違というのもあります。

いのちの島の、
Kコミの編集便り3のところで、
『自他共に変えようとすることはない』
という言葉がありました。
自他を理解して、自然とわきおこることをすればよい・・・
といったことが書かれていました。

理解して、自然とわきおこったのは、
仕事は日々努力し、嫌われている方の傍に近づかない・・・
愛にはあまり縁のない方法かな?

いじめの問題も、逃げてばかりでは解決しなくて、
おなもみ君のクラスのように、
話し合いで、お互いを理解し合って調和を得たということもあるのですね。

実は、私も話してみたのです。
もしお役に立てないと思われましたら・・・・と。
結果、
それなりに努力して頑張ればいいのでは・・・と言ってくださったのですが、
嫌いなものはどうしようもないのか、
事態は変わらない。

いじめの問題や、意地悪の闇も、
思いやり、愛という全肯定が光をあてる。

でも、存在自体が嫌われてるのに、
全肯定されることは期待できないなあ。

ちなみに、
私は、意地悪への対応にとまどいつつ、
その方に申し訳ない思いを抱くわけですが、
その解決策はまだ光を見つけられずにいます。

無能は人を傷つける?
困ったなあ・・・

Re:1410日目 - いじめ(2)(11/11)

ぴあのさん
いつも、ブログにおじゃまして 
おもにさんとの あたたかい波動を感じ
うっとりしています。ありがとう!
(こちらをお借りして お礼を 申しあげます。)
それから、いのちの島ブログも
どんなにか 励みになっているか。
ありがとうございます。

実は 私の娘が中学生の時に
靴箱に「死ね」と赤いペンキで書かれていたことが
ありました。

学校でおおさわぎになり、
まさに犯人探しを始めました。
本質を捉えていない先生があまりに
多いことにびっくりしました。
私は 「娘は大丈夫です。
むしろ こういうあらわし方をしたその子供さんの
心の苦しさのほうが心配だ」と 話しました。

その後、時間の経過とともに、
そのことは風化していきましたが・・

>どんな状況、場合でも、人と接する、人と交わるときには、その人の真の部分、愛や光を見て
交流できたらいいですよね。
いつも、そんなことを親子で話し合っています。
その人の、魂と触れること・・・それが大事なことだよね って。

私も娘とそんな会話をしていきたいと
思っています。

>どうか、子供達の純粋な心が、歪められていきませんように。
すべての人が、愛の心で、透明な意識で、すべてを見ることが、感じることができたらいいですね。
日々、日々、そのように思います。

そう、祈ります。
祈ります。



ありがとうございます

苦しかった女の子、心を告げてくださったことで、
みんなの苦しみもわかちあい、癒しあったのですね。
いじめた子もいじめられた子も傍観している子もとめようとした子も、エネルギーを屈折してだしたり、閉じたりすることを
小さな子供さんがしてきたのはとても大変だったですね。

調和。
自然に戻ろうとする優しさは、誰の中にもあるんですね。
おなもみ君の話にとても震えました。優しいね。
澄んだ目の中にいつも慈しみをみていらっしゃるね。
このクラスが乗り越えたことが、また周りにも影響していきますね。

真の自他の抱きしめは、その意識は私の意識の延長上にはありません。
私はどこまでいっても私です。
私は、相手も苦しいし、寂しかったね、すぐ言葉にかえてしまい、
というのが時折あるのですね。
そんなごまかしはききません。
自分の中の痛みを相手の苦しみを本当に理解するのに、いつもごまかしがききません。
だから私はよくそこにまた戻ってきてしまいます。

いじめられることもいじめることも、対比の世界が私の中に根強くあります。
認められたい思いはあります。


いじめや犯罪や虐待という形ではなくても、
粗末に扱うこと、逆に丁寧にやっていること、自然への配慮のなさ、
目をそらすこともでているだけです。

いろんな単なる区別をあまりにも自己保存で染め上げている世界で、
自己存在を確認しないと危機に感じる人が多いのは、無理ないですね。
理解がないと、無理がない気がします。

でもその世界に入らなくても、静かに自他とともに、
自然や人やすべてと共に存在していく意識があり続けることを
感じていきたいです。
また少し自分を通して実感しました。

昨日のりこえられたのは、こちらの日記の影響もあります。
一部のとても深い闇はうっすら灰色になりつつあり、ゆっくりと変化していきます。

追伸

自分というものを確認しなくても、感じなくなるほど、
エネルギーがあふれる、
いじめも犯罪もうまれない世界。
欲望でごまかすことをする必要が生まれない世界。
自他すべてと一体、幸せですね。

少しむかっていけそうな近いような感じをうけました。

昨日は、掲示板で失礼しました。
何分おきに、つながらないと、変になりそうでしたが^^
ぜんぜん大丈夫でした。荒らしですね(笑)
削除はどうかと思いましたが、レロレロの状態の書き込みだったので、
させていただきました。
ぴったりの依存や反発の動き。
私のこころをよく見ました。
何でもよかったんです、キーボードを打って、そちらに没頭しようとすれば、
逃げられると思っていたんです。

最初にこちらに来て、一気に自分の闇の全貌をはじめてみたときの私の状態みたいでした、あはは。
すぐ抑えてしまってけれど、よく見えてよかったです。
もっと深い理解に進みたいです。

Re[1]:1410日目 - いじめ(2)(11/11)

deko4505さん

>ぴあのさん
>いつも、ブログにおじゃまして 
>おもにさんとの あたたかい波動を感じ
>うっとりしています。ありがとう!
>(こちらをお借りして お礼を 申しあげます。)

deko4505さん、足跡をお見かけしています。
こちらこそ、ありがとうございます。

>それから、いのちの島ブログも
>どんなにか 励みになっているか。
>ありがとうございます。

こちらこそ☆
読んでいただく方の励みになること、お役にたつこと、それが、
どれだけ私の励みや私の歓びに繋がっていることか・・・
いつも、もったいない幸せをいただいているのです。
ありがとうございます。

読まれる方々に光が流れること、それが、同時に私に光が流れることに
繋がっている共時性。
光のネットワークを感じます。

娘さん、ひどいことを書かれたのですね。

>私は 「娘は大丈夫です。

「娘は大丈夫です。」 と言える、その親子の絆がすばらしいです。
娘さんを、普段からきちんと見て、理解して、そして、娘さんもお母さんに、
安心して心をオープンにしていらっしゃる、そんな様子が伺えます。
とてもいい関係なのですね。

そして、
>むしろ こういうあらわし方をしたその子供さんの
>心の苦しさのほうが心配だ」と 話しました。

そうですね。
そのとおりだと思います。
私も、いつも、いじめなどの問題があるたび、そのことを深く感じます。

続きます

いじめられるのは、もちろん、つらく悲しいでしょう、時によれば、
一生を左右するほどの心の傷を負うことにもなるでしょう。
でも、いじめる子の心を思いやると、とても、苦しいです。

毎日、どんな気持ちがその子の心を支配しているのでしょう。
愛や光や、やさしさは、その子の片隅に追いやられてしまっているのでしょう。
心のなかが、いつも満たされない想いでいっぱいなのでしょう。

何もかもが、キラキラと輝いて見える、新鮮な空気をいっぱい吸収していける、
人生はすばらしい! ということを純真に学べるはずの時代に、そんな満たされない
気持ちで日々を過ごさなければならないなんて・・・
そのことを想うと、ほんとうに、いたたまれなくなることがあります。

そして、私が、自分自身が、そのような満たされない子供時代、思春期時代を
送ったから、なおさら、その心の重さがわかります。
そして、もうすぐ思春期を迎えようとする子供を育てているということもあり、
なおさら、子供達のそのような傷ついた心に、我が子のように思いを馳せます。

子供に愛をい~~っぱい、与えてあげてほしいです。
い~~っぱい、認めてあげてほしいです。
た~~くさん、大丈夫だよ って安心させてあげてほしいです。
心から願います。

子供は、たくさんたくさん認めてあげて、愛してあげて、見守ってあげてほしいです。
そしてその子の中に、何の心配も恐怖も不安もなければ、そのままそのまま、
いのちの輝きを真っ直ぐに生きていくことができるのですから・・・

deko4505さんのような、すばらしいお母さんもいらっしゃるのですよね。
きっと、たくさんいらっしゃるのですよね。
でも、自分が傷つきすぎていて、どう愛を現したらいいのかわからないお母さんも、
いっぱいいらっしゃるのですよね。

終わりです

気づいた人達から、愛をたくさんたくさん、発していきたいですね。
やさしい愛のオーラを出す人達がたくさんになるといいですね。
そうしたら、この地球が愛のオーラで満たされていきますね。
そうすると、傷ついている人達も、その愛のオーラで包まれて癒されていきますね。
そして、出てこられなかった愛や光が、その人達の内から輝きはじめますね。

そしていつの日か、すべての人々が、愛で感応しあえたらいいですね。

deko4505さんのコメントに、私のハートが愛の感応をさせていただいて、
またまた長々コメント打ってしまいました。

kimiさん、みなさま、ここ無色透明は、光のスペースであり、愛のスペースでも
ありますね。
いつも愛を、ありがとうございます。

忝い

昨夜、数日ぶりにkimiさんの日記を訪れたら、1か月くらい前(だったかな?)に書いた自分のコメントが取り上げられていてちょっとびっくり。
日記とみなさんのコメントを読み進めていくうちに・・・

涙ぐんでいましたねぇ。

忝い(かたじけない)。

その時の心境を敢えて言葉にすると...。
「ありがとうございます」というより当に「忝い」という感じでした。(ここで誰か「時代劇かっ」と突っ込んでくれると、こちらの気も軽くなるのですが...)

そして今朝、さらにお昼にこの日記を読み返してみました(夜は感傷的になりがちですから)。
今度は涙ぐむことはありませんが、頭の中が少しクリアになった感じです。

>愛が足りない。
>それが、根底にあることです。
まさしく今の自分自身です(ほんとは愛はいたる所に満ち溢れているのに自分でせき止めてしまっているのでしょうが)。

>感情は、思い込みベースです。
>事実と関わりなく、そのように思いさえすれば感情 は沸いてきます。
これまで感情を大事に(重視)し過ぎていたのかも。
感情も思い込みで左右される頼りないものなのですね。

>人は、大人になっても基本的には子供時代と変わり ません。
>感情や思考が理解されない限り、子供時代のままで す。
>見かけだけが大きくなった子供です。
そう自分も、そしてもし言ってもよければ、世間もそんな見かけだけの大人だらけでは。

でも、この日記のおかげで感情や思考に対する理解がちょっぴり進んだ気がします。
改めてkimiさんの日記の凄さ、素晴らしさを認識しました。
ありがとうございます。(昨夜の「忝い」の感覚よりも今はやはり「ありがとうございます」ですね。)



水晶祭りのお礼をこめて

水晶ご縁いただきありがとうございました^-^
一つは、高齢者福祉の中に愛と光を伝えてくださる方へ、
そして、もう一つご縁があったものは、その一つ目の水晶のご縁があった方のおかげで購入できることになり、別の方にお渡しできます。
不思議なものです。
お二人の間につながりはないのですから。

それと同時に私の中にあった、闇が明るくなってきました。
夢の中でも、寂しさの中にある高齢者に光がおりていて、
そして、その方も、そのつながる方も

寂しさの闇
認められたい闇
それが沢山のいじめや犯罪や病気を作り出しました。
ありとあらゆるいじめ、ありとあらゆる病気。
分離されたすべてにいじめの対象が繰り広げられる。

山を削り、汚水を流し、大地がしびれるまで、そのままにしても、
気づきながら、どうしようもないと進む。
誰かがやってくれるだろうと。
議論だけしていて、満足している。

それは、それは、私の頭や、心の中の動きそのものです。
沢山の差別、沢山のしがらみ。
私の闇はすべてを吸い込み増殖し続けました。

ごめんなさい。
沢山の人に私はごめんなさい、とありがとう。
辛い思いをする方があるたびに、静かに私からはその言葉がでます。

いじめがうまれない世界に。
愛だけしかない世界に。
今も起きている沢山の暴力が、性的暴行が、虐待が戦争が満たされない飢えた心が・・・。
アセンションなど待たずしても、起きなくなってくる。
私がつくってきたものを刈り取りきりますよう。
私の中で完全に、ゼロになっていきたいです。

ご縁いただいてありがとうございました。

追伸;
フォーマルの姿にラフってめちゃクールだと思いますが。

パイプ

>あとりちゃん

>ごめんなさい。
>沢山の人に私はごめんなさい、とありがとう。
>辛い思いをする方があるたびに、静かに私からはその言葉がでます。

>私がつくってきたものを刈り取りきりますよう。
>私の中で完全に、ゼロになっていきたいです。


打たれました。
kimiさんのお話、みなさんのお話で「愛する」ことから、ということ。

すごく納得して読んでいます。
そこで「愛する=いじめを癒す」とはどうすれば?と思う時、
あとりさんの言葉が胸に沁みました。

違う日記でですがkimiさんが、
「愛することは、自我から愛が出るのではなく、愛を通す」
のようなことを仰っていました。

だから私たちがすることは愛するためにはまず、
パイプであること。パイプの詰りを取ることだったのですね。

愛は風みたいにそこら中に在って流れていて。
私達はただ、それを受け取り通し、周りに流していく。

まず、まず、受け取れなければならない。
自分から発する愛なんてものはない。愛情だけ。愛着だけ。

続きです

苛められて傷ついた方、暴力に苦しまれた方だけじゃなく、
子供を慈しんで育てたい親たち自ら、
「まず流れてる愛を自分が受け取れること」。

これまた違う日の、kimiさん家の話ですが、
風通しのよいこと。
私達は透明なパイプになって、愛風をたくさん取り入れ、通していく。

そんな風にしている人が「愛してる人」や「愛されてる人」みたいに見えるのでしょうね。
愛情深い人に見えたり・・・
愛を一杯受けて育ってるように見えたり・・・


その実体は、パイプの詰りが無い、ということだったんですね。
愛は誰のものでもない。愛は愛。酸素みたいに。

それで、あとりちゃんの自分の中の闇にごめんなさい、
出会う人、被害者の人に自分が「ごめんなさい」というの。

とってもわかりました。

愛を通さないで、跳ね返してしまう、
そんな自分のパイプの詰りを、そうやって見つめて溶かしていくのですね。

あとりちゃん、皆様、教えてくれてありがとうございます。


誰からも愛はやってこない。
誰かに愛されたように見えて、その誰かを通して愛がきたのだから、
まず自分も受け取れるように、エントツ掃除をしようと思いましたw

・・・だから家の掃除なのですね(汗)。
家と一緒に、心もすっからからんにしなきゃ(笑)。

ベルさんへ

ベルさんありがとう^-^

不思議でね。
何でもまっすぐに向かうとね、
全てが全てを全力で癒そうとする。

自然に
ごめんなさい、
ありがとう 
愛をこめて、愛している

言葉にしちゃうと、ちょっとアレだけれど、別にしなくてもいいかもだけれど、
そういうものが全て含まれているようなエネルギーに私がなっているの。
私自身が赦しであり、愛であり、感謝みたいな。

よくまだわからないけれど、私自身がそういうもの全てになるようになるの。

私が今まで謝ってきたことは、
私がわるかったな「ごめんなさい」
そういうまず、自分という思いが先にきて、言葉になったの。

でも、なんだかまっすぐ見るとね、ごめんなさい、愛しているありがとう、
そんな全てのエネルギーがあふれるような優しさしかないところから、理解が見えて、
そこからなんだか自然に言葉が出るの。
それがごめんなさい、と出たりする。

相手も自分も痛みを感じてそのまま何か出てくる感じかなあ。

全ての人にそんな気持ちしかでてこない感じ。

尊い
慈しむ気持ちが
あふれてもあふれて限りないくらい尊い。
すべてのものが、すべての人が。
理屈じゃなく尊い。

ごめんなさい
ありがとう


そして、こんな深い赦しや尊さや愛に包まれて、
私たちは存在しているのかな。


私が満ちていけば、自然に私は消え、
自然に愛はとおって、何か言葉になって伝わるんだろうね。

ベルさんのおっしゃるように透明になパイプになれたら^-^

愛がながれ、それに乗せ言葉になって、詩になって、ふれあいになって。
目で見ることすらも光が通る、愛が流れていく。

kimiさんがこのコメントに目を通してくださるだけで愛と光が通るように。

存在が光であり愛ならば、
存在していることが全てを照らし包むのだと感じます。

そう、

その痛みも
あなたも
その傷も
言葉にしちゃうと対象がそれぞれわかれちゃうけれど、
繊細に全てを感じ、それら全ての中に全ての尊さが流れ込むような・・・。
自然に流れていく。

私、まだ落とせない。詰まっているものがある。
でもチャレンジはずっとできるものね。

ここでいつも光に照らしてもらいながら、見てきたけれど、しつこいねえ(笑)

ベルさんの風は私を通してくださるよ。
いつも本当にありがとう。

きゃ、やっぱり書き込んでるし(笑)

でも一人でやってみようと思います。
ありがとうございます☆

追伸:パーティがどうも居心地わるかったら、
サラダのプチトマトをいっぱいポッケにつめて、
トンズラしちゃうのがおすすめです。

わかります!
私も、昔、一回参加したねるとん合コンで、セクシーな女性に囲まれて
ハイソックスガールは、どうも浮きまくりで、テーブルの上にあったお菓子、バックにつめて
帰りました。

帰り道、吉祥寺のサンロードでチーズオカキを食べたような。

(あれ、これは私、ただ相手にされなかったから、スネただけかな?
うーーん、日記の主旨からすでに軌道ずれているかな?)

何回もごめんなさい

>一人でやってみます

なんて、ちょっと言葉も難しくってえらべませんでしたが、
変な言い方ですよね。

ちょうど、パソコンを離れる時期であり、
それで、しっかり長期間はなれて、その中で
やっぱり、優先的に体のケアにたいしても重点的にやっていこうと思ったからです。


体が資本ですものね。
体も一緒に元気にならないと。

また、体がアップし、こちらが開かれていたら、また参上します(笑)
あれ?参上って、なんかえらそうだな?
やっぱ言葉って難しいな。
(言葉の勉強が足らなすぎる私)

なんだか失礼がおおくて、すみません><
合コンと屋久島のホテルのパーティも一緒にしちゃうし。
やっぱどこかずれているんだよな・・。

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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