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1432日目 - 不安も恐れもない生き方

ここのところ暖かい日が続いている。
連日、快晴。
青空が、気持ちいい。
昨日は、久しぶりに水晶の浄化に行った。

海は、美しく澄んでいた。
ほんの少し冷たい程度。
しかし、川の水はかなり冷たかった。
それでも、一時間ほどは手足を浸けていられた。

陽射しがあるので、寒くはない。
半ズボンでも大丈夫。
浄化の際は水に浸かるので、どうしても半ズボンになる。
さすがに上は、ワイシャツをはおった。

水晶は、海と川によって本当にきれいになる。
自宅に帰って、じっくり見ると、見違えるように美しくなっている。
新しく届いたものと、今月の水晶祭りに出るもの。
それに、長らく浄化していなかったもの。

みんなきれいになった。
後は、写真を撮って、解説文を書くだけ。
今回の水晶祭りも、バラエティに富んでいる。
カラフルで美しい。

水晶を浄化している間、誰にも会わなかった。
空と海と太陽と木々。
川の流れる音と、波が打ち寄せる音。
冬場なので、岩場には雁が止まっていた。

こんなにすばらしい自然に囲まれていても、病気になる人はなる。
屋久島でも精神を病む人がいる。
考え過ぎれば、心の闇に落ちる。
それは、どこに住もうと変わらない。

今、不安な人は、将来も不安に違いない。
今、安心な人は、将来も安心だろう。
不安は、心がつくり出すもの。
将来は、今の投影に過ぎない。

将来は、本来はない。
あるのは、今だけ。
今が、将来をつくり出す。
今、健全であれば、将来も健全に違いない。

なぜ不安になるのだろうか。
それは、考えるから。
これまでの経験と現状を見比べて、いろいろ考える。
その結果、不安になる。

別に不安にならなければならないことはない。
実際、同じような状況下でも不安にならない人もいる。
それは、癖だろうか。
発想のパターンだろうか。

自分にとって良くないことが続くと、不安になる。
このままいくとどうなるだろうか・・・
本当は、先のことはわからない。
にもかかわらず、不安になってしまう。

それは、過去の辛い経験からくるものだろうか。
もう同じような目に二度と遭いたくないので、不安になるのだろうか。
潜在的な恐れがあるということだろうか。
だから不安がよぎるのだろうか。

幼児も不安を感じることはある。
しかし、それは親の雰囲気を感じてのもの。
自分で考え出したものではない。
しかし、辛い経験が続くと、自分で不安を考え出すようになる。

経験ベース。
記憶ベース。
似たような状況になると、不安がよぎる。
それは、自分の身を守るため。

しかし、不安が慢性化すると不安神経症になる。
過度の不安は、精神的な病気をつくり出す。
身の危険を感じて、警戒する。
それは、本能的に備わっているもの。

それは、身を守るために必要なもの。
しかし、それに思考が加わると、必要以上に警戒することになる。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
過度の警戒は、自分の身心を傷つける。

思考が空回りし、思考に呑み込まれる。
思考に振り回され、自分を見失う。
主体性の喪失。
自分が見えなくなってしまう。

冷静に、一つ一つ紐解いていくしかない。
一つ一つその元を辿っていく。
一つ一つ元に戻していく。
そうやって自分の意識構造を理解する。

不安の元は、潜在意識にある。
何かを恐れている。
何かが再現されるのを恐れている。
自分が辛い立場になるのを恐れている。

恐れているということは、それを避けようとしているということ。
つまり、逃げようとしている。
しかし、逃げている限り、問題は解決しない。
問題を解決するには、直面するしかない。

直面すれば、恐れは消える。
なぜなら、恐れは逃げる時に生まれるものだから。
逃げなければ、恐れはない。
つまり、逃げようとしなければ、不安もない。

どのような現実であれ、逃げない。
直面する。
そのまま受け止める。
そうすれば、不安も恐れもない。

ただ事実と共に生きる。
極めてシンプル。
それだけで、不安や恐れは解消される。
事実に直面すればいいだけ。

今の事実に直面する。
ありのままの事実と対峙する。
その事実に自分でよけいな脚色をしない。
単なる事実として受け止める。

事実によけいな脚色を施せば、不安や恐れが沸いてくる。
ただ事実といるだけなら、不安も恐れもない。
冷静に、いかに対処するかを検討すればいいだけ。
ただ霊性に生きればいいだけ。

不安も恐れも必要不可欠のものではない。
別になくてもいい。
不安や恐れのない人生は、快適。
心やすらかに生きることができる。

あれこれ思い煩わないこと。
ただ、どんな事実であれ直面すると決めること。
逃げない、避けないと決めること。
そうすれば、もう怖いものなし。

逃げているから、怖くなるだけ。
避けようとするから、不安になるだけ。
すべて直面する気になれば、何も恐れるものはなくなる。
極めて単純。

冷静に事実に直面すれば、たいていのことは乗り越えられる。
乗り越えられないものは、まずない。
意外となんとかなる。
不安や恐れがなければ、事態はなんとかなるもの。

ただ直面する勇気があればいいだけ。
ただ逃げないと決めればいいだけ。
何事も避けようとしない。
何であれ、正面から直視する。

その生きる姿勢が、人生を切り開く。
真っ直ぐに前を向いて生きる姿勢が、困難を乗り越えさせる。
逃げよう、避けようとする姿勢は、更なる困難をもたらす。
生きる姿勢の違い。

あらゆる事態に正面から立ち向かえば、超えられないものはない。
道はある。
道は見つかる。
逃げたり、避けたりする必要はない。

逃げたり避けたりしている限り、どんどんツケが膨らんでいくようなもの。
いつかは、そのツケを払わなければならない。
溜まりに溜まったツケを払うのは、大変なこと。
重過ぎて自己破産する人も出る。

精神が壊れたり、遠くへ逃避したり・・・
最悪は、自殺ということも考えられる。
そんなになるまでツケを溜め込まないこと。
生きる姿勢を転換すること。

目を逸らさない。
逃げない。
避けない。
すべて直視する。

事実のみを直視する。
事実によけいな脚色をしない。
淡々と事実と共にいる。
そして、冷静に解決法を探る。

そのような生き方をすれば、人生が変わる。
不安や恐れから解放される。
何も難しいことはない。
逃げたり避けたりしなければいいだけ。

いかなる事実であれ、直面すると決める。
直面すると決めれば、不安も恐れも消える。
事実に負けない。
事実に押し潰されない。

しっかりと事実を見つめる。
しっかりと自分にグランディングして、事実に対処する。
そうすれば、道は開ける。
生きる姿勢が、人生を開く。

くれぐれも逃げないこと。
間違っても避けようとしないこと。
直視すること。
何事も真正面から見つめること。


『不安なし 恐れなしで 生きること その気になれば 即座にできる』

『逃げないで 避けようとせず 直視する 真っ直ぐ見れば 恐れは消える』

『直視せず 逃げ回る時 心配や 恐れや不安 絶えることなし』

『何事も 考えるなら 冷静に 考え過ぎは 自分喪失』

『何であれ 避けたいものが ある限り 不安や恐れ 消えることなし』

『起きてくる 事実と共に 生きるだけ 何も避けない 逃げたりしない』

『どのような 事態になっても そのままを 受けとめ生きる 真っ直ぐ生きる』


これが日記を書き始めて1432日目の心境。

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コメント

名前を付ける

不安は私は友達です。一番馴染みの深い困ったちゃんです。
そうですね。過度の不安や思考が加わることで恐怖にまでなります。

思考が加わるって何でしょう。多分、分析ぐせでしょうか。
なんでも名前を付けて箱にしまって安心しようとする癖。
不安だからですね(笑)。

どうして名前なんか付けずに、そのままをガツンと味わい切らなかったんだろうと思います。
向かい風に踏ん張るようにして逃げず。

不安とは、過去と未来に生きてしまうこと。
今に居切っていないから。
なぜ今に居切れないかというと、「今」にこそリアリティーがあるからだったのですね。

kimiさんがおっしゃるように恐怖そのものを逃げずに見据えることが出来ればいい。
全てがある「今」から逃げる、名前だけいい加減に付けて
素早く安全な過去や未来に逃げる。

見れるチャンスは今にしか来ず、そこで待っていなければ遭遇できない。
恐怖から逃げることは実は一番恐ろしいことだった。

悪霊退治のカギは「今」から出ないこと、目を開けてること。

日々心をよぎる恐怖のかすかな信号、匂い。
今までは自動的に見ないようにやり過ごしてきました。
狂うことを最も恐れていたんだと思います。

だけど私が恐れていた狂人、狂うことってなんだろうと思います。
それは理性を失うこと。理性とは?

はっきり言ってしまえば過去から続くパーソナリティー、キャラクター。
整合性のある「私」という人物像、誰かを守りたいだけでした。

そのお面にヒビが入りそうな事態を全て避けようとしていました。
それが自分の恐怖の正体のような気がします。

整合性、続いている脈絡、一致していること・・・

「いいんだ」と思い、何が見えても(恐怖の幻影)もう目を逸らさない。
今度来たらやってみようと思います。
ベルという人なんて、別にいなくなっても構わないのですよね。
私はちゃんと居れます。



Re:1432日目 - 不安も恐れもない生き方(12/03)

藍の母親は病気か!?と思うくらいの心配症です。。
まるで不安神経症と言ってもいいくらい。。
いつも目に見えない何かを恐れ、そうならないように藍にも
執拗に強要します。
だから。。いまのあの宗教にしがみついていられるのか。。と思うこともしばしば。

そんな心配症を藍もしっかり受け継ぎました。
これこそ正に親の刷り込みですね。
でも、この心配症はKimiさんに出逢えたことで克服できたように思います。
無用な心配や恐れ、恐怖は。。もう今の藍には、あまりありません。。
時々出没することもあるけれど。。

ここ最近は。。現実の藍の生活のありようがまざまざと認識できてしまって
現実にしっかりグランディングされた感じです。
ちょっと前までの藍は、現実を直視しないで。。ふわふわと
夢想していたような感じかな~。。

現実は。。とてもガッカリするようなものでしたが
いまは、その現実も受け入れて心地よくさえ感じ始めています。
やはり。。藍は幸せ者でした。。
周りがどうあろうと。。藍は幸せです。。
よ~く考えてみたら。。そうでした。。

Re:1432日目 - 不安も恐れもない生き方(12/03)

自己防衛のための思考パターンは根強いものがあります。
ネガティブな思考パターンが自動的に作動してしまうという事実、
そして自分の行動によって人の期待を裏切る、もしくは人を都合の
悪い状態にさせてしまうという事実。

それらはすべて観念の中でのこと、お互いの思い込みの中でのこと
なのでしょう。ただ自我にとっての事実であって。

やはりそのような観念の世界から外に踏み出して、本当の事実を
直視しなければならないですね。
自己防衛のために対処を思考で構築すると不安や恐怖が生まれて
きて、それに対してまた思考で対処を構築しても、さらに新たな
不安や恐怖が生まれて。無限に続く思考地獄です。

物事を冷静に直視し、
逃げないでとりあえずそこにとどまってみます。
今日の日記から、事実を正面から見つめ淡々と事に当たる勇気を
いただきました。
ありがとうございました。

病は思考から・・・

確かに、考えすぎると体調がおかしくなる。
不安は、血液循環を滞らせる。

先日、ウオー・ダンスという映画を観た。
アフリカのウガンダ北部の紛争地域で、
両親を殺されたり、
小さい子供が誘拐されて、
少年兵にされ殺人を強要されたり・・・
そういったことで、
心が傷ついた子供達が、
難民キャンプの学校で、
自分達の文化である、ダンスや楽器の演奏を通して、
生きる喜び、生きる意欲を取り戻していく・・・・。

前向きのドキュメンタリー映画なんだけれど、
私は、そのむなしい紛争の犠牲者となる、
一般の人々のことを考え込んでしまいました。

突如、村が襲われ、
無残に殺される状況に、
自分が置かれた場合、
私は、
その事実とどう向き合えるだろう?
ただぶるぶる震えて、
そして、意味もない犠牲者となるということに、
どう向き合えるだろう・・・

そんなことを考えながら寝たあくる日、
体がこわばっていました。

体中の血液がストップしたかのように、
凝り固まってしまい、
首の周りが痛くてたまりませんでした。

もっと思いつめたら、
恐怖や不安に益々落ち込みそうでした。

映画を観ても、
何も考え込まなければ、
体がこわばることも、不安になることもない。

思考は、事実に関係なく、
私を恐怖に落とし込める・・・

精神はもろいところがありますね。
精神を鍛える・・・
それは、
事実としっかり向き合うことでしょうか。
冷静さを見失うことなく。

>くれぐれも逃げないこと。
>間違っても避けようとしないこと。
>直視すること。
>何事も真正面から見つめること。

勇気が要りますね。




不安との付き合い方

積極的に不安に向き合える時もあれば、逃げるしかない時もある。
身体の問題で、不安現象に固まっている場合もある。
DVを受けた経験を持つ人にとって、相手との関係を直視するプロセスは必要なことなのかもしれない、(DVだけではなく、パワハラや、セクハラなども)しかし、そのことを強く勧められ、さらに追い詰められた人々も、確実に多数存在する。
病気をすれば、ただ何もせず、ひたすら休む、そこには直視することも無い。ただ休んで、身体を回復することを待つのみ。下手にああでもなくこうでもなくやれば、回復を遅らせる。
身体の病気に対して人は、この様な対処をちゃんとするにも拘らず、何故、こと心となると、ああでもなく、こうでもなく、また自分でも、ああでもなく、こうでもなく、とにかく一刻も早くなんとかしようとするのだろう?
他者の苦しみを直視するのが辛い、この感覚は、エゴにもなるが、エゴではなく、違うものをも人は、
生み出してきた。だからこそ、人類が生存を続け、子孫を残す営みが続いている。
苦しんでいる他者に対して、直視することが その時、その状態において、その他者が、それに持ちこたえ、乗り越えられる状態であると、はっきり事実として、証明できるところを必要とするはずである。
全くの、善意で、この様な体験をさせられ深く傷つき、立ち直ることもままならない人を知っている立場として、言葉の不足を感じます。

私は、逃げずに直視しなさい、と言うことは、あなたのこれからの人生を私が、全責任を負うから、と言えるのなら言うこともできる。今のところ、そんなことはできない。



Re:不安との付き合い方(12/03)

thougt makiさん

一般論は、どうでもいいのですよ。
極端に言えば、他の人のことはどうでもいい。
thougt makiさんに問いかけているだけですから。
自分にとって可能かどうかだけが重要なのです。
一人が変わることから、すべては始まるのですから。
自分が変わったら、他の人にもお勧めになればいいことですから。

Re:1432日目 - 不安も恐れもない生き方(12/03)

先日から、逃げかかっていたことがあって、kimiさんの日記をタイムリーに読めて
とてもありがたく感じています。

直視しました。
ついつい意識が逃げかかるのに気づいては戻し、気づいては戻ししていました。
いろんな思い込みに気づけました。

でも「もう逃げない」としっかり決めると、本当に楽になるのですね。
相手がすーっと遠くに行ってしまうように感じられます。
何も怖くなくなります。
もうすべての現象をしっかりと目を見開いて見ようと決めました。
(私の強いパターンでよく囚われる)こんなことに振り回されて逃げてばかりいたら、
自分を生きることなんてできないと感じました。
何だかコツを掴めたようです。
しっかり見れて、気づけると、人生ってすごくおもしろいんだなと感じました。
何からも逃げない強い自分を頼もしく、楽しみに思えます。

「思い込みがなくなると、私ってなくなってしまうよなあ。
これがただ在るっていうこと?これって楽だよなあ。」
なんて、自分なりにいろいろ感じています。

注意深く、自覚していこうと思います。
kimiさんにとても感謝します。

直視

恐れや不安があると、真実の光り輝く自分は、出てこられないですね。
そのこと、自分の痛いほどの実体験として、よくわかります。

先日テレビで、ひきこもっている人の、「なぜ外に出られないか」、
という理由を聞いていた時、その語られる言葉を聞いていて、私の第一に
心に湧きあがってきた正直な感想は、
「それって・・・考えすぎだって・・・」
というものでした。

心身症の方と、直接お話する機会があったときも、話の間中、
「それは、妄想では・・・?」 の連続の連続で、どう相槌を打っていいものやら、
とにかく疲れに疲れ果てたことがあります。
それとは別に、生徒さんの父兄で心身症の方がいらっしゃり、時々相談に
みえるのですが、やっぱり・・・、考えすぎです。

共通して感じることは、ものすごくみなさん、思考が活発なのですね。
思考が一人歩きして、思考が遥かかなたに彷徨っていっていることを
ご自分で全く理解できていなく、振り回されている という感じを受けました。

が・・・そういう私も、人のことは言えません。(>_<)
よく、考え込んじゃいます。

でも、見守る意識が育ってきていることを、自分自身、深く感じます。
その、見守る意識が、考え込む私を包み込んでいます。
なので、何がどうであっても、『大丈夫』 という絶対の安心感が、深い深い内で、
常に寄り添うようにいてくれています。

恐れに直面した時、この常に寄り添う意識の領域、存在感が、時としてとても薄く
感じられる時があります。
そういう時に、逃げたくなります。
いえ、逃げています。(爆)

続きです

しっかりと事実を見つめて、しっかりと自分自身にグランディングするということは、
深い、包み込む意識、見守る意識が、同時に、どこからともなく光が射すように、
やわらかく現れ出でてくるような・・・ 私自身の感覚では、そのように感じました。

逃げないこと、大切ですね。
今まで何度も伝えてきてくださったこの言葉、この日記で、さらに深いエネルギーを
伴って浸透してきました。
さらなる意識の覚醒、呼び覚まされた感覚に感謝の、この日記です。

Re[1]:1432日目 - 不安も恐れもない生き方(12/03)

くみこさん

うれしいコメントですね。
くみこさんが気づかれただけでも、この日記を書いた甲斐があるというものです。

逃げないこと!
それが、キーですね。
逃げないと決めること!
それによって人生が変わります。
怖いものがなくなるのですね。
どんどん人生が開いていきます。
新しい人生が始まるのですよ。
ただ逃げないだけで・・・

ぜひこれからも逃げないで、正面から直視して、すばらしい人生を創造してください。

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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