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1486日目 - 光ベース

今日の屋久島は、曇。
雲が低く垂れ込めて、暗い。
今日は新月。
旧暦では、元旦にあたる。

今年になって、意識は完全にシフトした。
シフトすると、過去は重要性をなくす。
過去世も同様。
光とは、今ここ。

意識の中心は、光。
意識のなかは、光がいっぱい。
その光は、今ここ。
今ここに、すべてがある。

意識の表面は、今生の意識。
それは、屋久杉で言えば表皮の部分。
表皮のすぐ下には、潜在意識がある。
それが、過去。

過去世が、どうであったか・・・
それは、今生の過去がどうであったかということと、さほど変わらない。
今となっては、両方とも、あまり意味はない。
過去は、どうでもいい。

過去の栄光も過去の惨めさも、遠い遠いところにある。
あるのは、今ここだけ。
意識の中心は、屋久杉の中心部。
幹のほとんどは、空洞。

その空洞は、光でキラキラ輝いている。
そうなると、光がメインの意識となる。
今生の過去や過去世は、ほとんど重要性がなくなる。
必要な時に使うデーターバンクに過ぎなくなる。

今ここは、光の世界。
今ここに、暗さは微塵もない。
意識の中心は、光そのもの。
人類の悲惨な歴史も、光に比べれば取るに足りないもの。

光とは、それほど強烈なもの。
圧倒的な光の前で、人類の暗部は微々たるものに感じられる。
ほとんど児戯に等しい。
自我は、未熟な子供。

意識の中心は、空洞。
そのなかは、光で満たされている。
そこには、悲苦の欠片(かけら)すらない。
ただ光が満ちているだけ。

表皮だけが、今生の意識。
そのわずか下に、潜在意識の暗部がある。
苦しみや悲しみの部分がある。
しかし、それは全体から見れば、可愛いぐらいのもの。

今生の過去も過去世も、全体のほんの一部。
意識の中心が、どこにあるかということ。
自我か今生の過去か過去世か・・・
それとも、光か。

意識の中心は、光にある。
それは、微動だにしない。
時々、この世の意識で遊ぶ。
それもまた楽しい。

しかし、遊んでいても、基本は光。
そこから中心がずれることはない。
あくまで、光。
間違っても、光。

光と共に生きるのではない。
自分自身が、光そのもの。
自分は、光。
光が、今生の意識の皮を被って生きているということ。

光をベースに生きている。
それは、もう揺らぐことはない。
揺らぎようがない。
なぜなら、自分は光そのものだから。


『本来の 光になれば 人類の 悲苦は意識の わずかな部分』

『悲苦だけに フォーカスすれば 悲苦だけが すべてと映る 人の悲しさ』

『九分九厘 光であれば 一厘の 闇も抱(いだ)いて 進んで行ける』

『今生の 過去も過去世も 遠い夢 光の意識 常に今ここ』

『揺るぎない 光ベースで 生きていく 光遍(あまね)く 振りまきながら』


これが日記を書きじめて1486日目の心境。



* 今日の日記は、旧暦の元旦にふさわしい日記ですね。

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コメント

自分は、光

すごいですねえ・・・

今日の日記、いつも以上にクラクラしながら読ませていただきました。

で、『間違っても、光』 っていうフレーズ、めちゃくちゃ印象に残りました。

『九分九厘 光であれば 一厘の 闇も抱(いだ)いて 進んで行ける』

それから、この短歌も・・・いいですね、感動です。

光る屋久杉ですね。
そしてほんとうに、光のkimiさんというお名前どおりなのですね。
お写真に写すと、光が写るかもしれませんね。(そんな方が以前いらっしゃいましたね)
でも、まだ水晶中毒なさっている表皮があるので(今日のHP掲示板カキコより)
表皮が写るのかしら・・・

あ、すみません、またコメントがズレちゃいました・・・(>_<)

>今日の日記は、旧暦の元旦にふさわしい日記ですね。

ほんとうに、そうですね。
光の日記を、ありがとうございます。

日記は分かりやすいです。

kimiさんのすごいところは、多くの方々にわかりやすい言葉や言い回しでこの日記を書かれていることだと思ってます。

エネルギーエネルギーと普段連呼してる人に限ってあまり理解できていない方が多いように感じます。

まぶしい・・・

光であるはずなんだけど・・・

人間関係や、社会生活・・・
私に暗い影を落とす・・・

>『九分九厘 光であれば 一厘の 闇も抱(いだ)いて 進んで行ける』


一厘の闇なら、
何とか明日に向かって向かい風を受けよう・・・

それ以上の闇だって、向かい風に突き進もう・・・

なんたって私は光なんだもの・・・
そういえば、
まぶしくて、自分がよく見えないなあ・・・。

Re:1486日目 - 光ベース(01/26)

九分九厘 光であれば 一厘の 闇も抱(いだ)いて 進んで行ける

それほど光は強いものなのですね。
過去も過去世と思えば、もう気にしないと思いました。
それでも、今世につくってきた人間関係は今目の前にある・・。
一人ひとりに色んなことが起こってることが
現実として表れてきてるけど
みんなつながってるから
自分の闇も抱くように
みんなが光の意識に包まれるようにと思います。

光ベース

今日の日記からは、光が、ほとばしってます…。
眩しくって…
本当に目をつぶってしまいました。
私の自我は子供どころか、赤ちゃんです。まだまだ幼な過ぎますね。
自分自身の光を思い出しながら歩んでいきたいと思います。
いつも素晴らしい日記をありがとうございます!

差取り

優れた人も得してる人も、
劣った人も損してる人も、
進んでる人も遅れてる人も、
いない。

私も、この人も、あの人も、彼も彼女も、
わずか一ミリも一ミクロンも違わない。

全部比べてもちっともどこも違わない。
色彩の素晴らしさに個性があるだけ。

今日の日記の”kimi杉”の中央の、目もくらむ光。

これが全く私たち一人ひとりの中と、まったく同じだということ。

「わずか一ミリぐらいは違う」

という誤解から、そのちょっとした誤解から
一大歴史絵巻ぐらいの悲苦の世界が出現してしまう。

でも、誤解が治ると差が取れて覚ると、
その一大歴史絵巻は、ツボに吸い込まれる空気の魔王みたいに、
一瞬にして消滅する。


私たちは、素晴らしさに個性があるだけの、今日の日記みたいな眩い光同士。
何の憂いも要らなくて、その素晴らしい人(しかいない)同士が、
ひゅるひゅると左右に手を伸ばして、
暖かい手のひらを探って握って、
そこには愛しかない。嬉しいしかない。
悲しさなんて一ミリもない。ジョークなんですね。

みなさん、こんにちは。おはようございます。
私の周りの神様、女神様、
手をつないで下さい!(*^-^*)//


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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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