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1493日目 - 精神が病む時

二月になって、少し気温が上がってきている。
あと一ヶ月もすれば、屋久島は春になる。
春は、もうすぐ。
山が待っている。

最近、意味不明の書き込みが時々ある。
誰が読んでもわからないので、削除することにしている。
明らかに精神が病んでいるとしか思えない。
なぜ精神は病んでしまうのだろうか。

病気とは、気が病むと書く。
気が病むとは、どういうことだろうか。
それは、気が滞っているということ。
気が流れていないということ。

川の水が淀めば、濁る。
やがて、その水は腐ってしまう。
体のなかに老廃物が溜まれば、病気になる。
精神も、古いものが滞れば健全ではいられない。

物事に執着し、拘り、囚われる。
古いものをしっかり握って放さない。
過去を所有し、今に生きない。
頭のなかが、常に何かで一杯。

そういう状態になると、気が滞る。
気が滞れば、頭のなかは古い気で一杯になる。
頭は濁り、淀んでしまう。
それが続けば、精神が病むことになる。

便秘は、万病の元。
食べたら出さないと、体のなかは古いものだらけ。
やがて体内から腐敗していく。
万病が、体内から発生する。

精神も、まったく同じ。
今を生きない精神は、新鮮な空気を吸えない。
淀んだ空気は、精神を窒息させる。
過去に執着し、過去に囚われ、過去で一杯の精神は、やがて壊れていく。

もう頭の中に一杯溜め込んでいる時ではない。
今は、手放す時。
これまで執着してきたものを手放し、本来の自分に戻る時。
後ろ向きに生きるのをやめ、前を向いて真っ直ぐに生きる時。

執着や囚われは、ネバネバしている。
頭のなかがネバネバしていると・・・
やがて頭の中は、ドロドロになる。
まるで泥沼のようになり、収拾がつかなくなる。

それが、精神が病んでいる状態。
意識は朦朧とし、明晰さの欠片(かけら)もない。
クリアーとはほど遠く、意識は常にボーッとしている。
その状態がひどくなると、支離滅裂なことを言い出す。

便秘しただけでも、頭はクリアーではなくなる。
毎日排便することが、頭をクリアーに保つためには絶対必要条件。
精神を病んでいる人は、頭のなかが便秘状態。
排便しない限り、救われない。

手放すこと。
握った指を放すこと。
結んで、開いて、結んで、開いて・・・
結んだものを結んだままにしていると、病む。

人は、過去からできている。
人格とは、過去の経験の集大成。
しかし、過去はあくまで過去。
今ここは、空。

今ここは、何もない。
過去のデーターを使って生きているだけ。
今ここの主体性を確立することだろうか。
空の主体性を確立すれば、精神が病むことはあり得ない。

過去に執着し、過去と自己同一化する時に、流れない精神は病んでしまう。
空の精神は、何ものにも囚われない。
何もない。
常に空っぽ。

それこそが、真の自由というもの。
始まりも終わりもない。
過去も未来もない。
ただ今があるだけ。

色の移り変わりを楽しむだけ。
それに囚われることはない。
何も所有しない。
空っぽの意識のなかを通り過ぎるだけ。

所有し過ぎた精神は、やがて所有したものに占有される。
自由な空間はなくなり、息苦しくなる。
所有し過ぎた精神は、やがて腐り始める。
自己崩壊を始める。

物であれ肉体であれ、循環していないものは腐っていく。
精神も同じ。
所有し、執着し、手放すことを忘れた精神は、腐敗していく。
詰まった精神は、生き詰る。

閉じた窓を開け放つことだろうか。
窓を全開にして、空気を入れ替えることだろうか。
それから、部屋の掃除をすることだろうか。
溜まっているゴミやホコリを一掃することだろうか。

まだ間に合う。
まだギリギリ間に合う。
大掃除をすることだろうか。
精神という部屋を・・・


『流れない 水は淀んで 腐りだす 手放さないと 気が病んでいく』

『握り締め 手放すことを 忘れれば 新しいもの 掴めなくなる』

『持つことに 執着すれば 重くなる 気は滞り 身動きとれず』

『過去握り 過去に生きれば 気は淀み 頭の流れ 鬱屈していく』

『閉じられた 意識の部屋に 住む限り 新鮮な風 吹くことはなし』

『窓開ける ことがなければ 部屋は死ぬ 心閉ざせば 精神は病む』

『新鮮な 空気を吸って 新鮮な 水を飲むとき 健康になる』

『物・記憶 所有しないで 使うだけ 使う時だけ 楽しめばいい』

『何もない 何も持たない 空っぽの 心のなかを 風吹き抜ける』


これが日記を書き始めて1493日目の心境。


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コメント

Re:1493日目 - 精神が病む時

節分前のせいかちょっとネガティブが浮上してしんどかったのですが
この日記を読ませていただいて楽になりました。
肩(と頭)に力が入っていたようです。
ありがとうございます。

空の精神

精神が病むということ・・・
以前から、なぜ精神を病んでしまうということがあるのだろうと
不思議に思っていました。

体を病むのは (三次元一般的意識では) つらい (とされている) ことだけれど、
そして、どうか良くなってくださいと願わずにはいられないけれど、
精神のエネルギーが真っ直ぐに保てていれば、体を病みながらも、
それと共にありながら、そしてそこを越えて光を見ていくことはできることです。

でも、精神が壊れてしまったら、どうやって自分の主体性を確立していけば
いいのだろう・・・
幻想、妄想の中でしか生きられないとすると、どうやって光に向かっていけば
いいのだろう、混沌とした意識から出てこられる術はあるのか・・・
つかみどころのない精神の浮遊感、霧のなかの迷路を延々彷徨うような感覚を
受けてしまいます。

どうか、一人一人、皆が、魂の願いを生きられますように、真実の自分を
生きられますようにと願います。
光に向かっていけますように、光を生きられますようにと願います。
願うのは自我ですが、それでも、願わずにはいられません。

すみません、コメントを、と打ち始めたら、私の想いの場になってしまいました。

続きです

その、はっきりと手に取るようには見ることができない精神、
その精神が病む理由、とてもよくわかりました。

掴んで掴んで掴んで、いっぱい溜め込んでしまった頭のなかは、
もう整理をしようにもできない状態、整理されない頭のなかから、
整理されない想いが、整理されずにどんどん溢れ出てきてしまうのですね。

それは、程度の差こそあれ、誰にでもあることですね。
よほどクリアーな人でない限り、多くの人は、大なり小なりの幻想の世界、
思い込みの世界を生きていると思います。

そして、それはすべて過去をベースに起きてくるものです。
すなわち、囚われと共に生きているということですね。
今ここの意識は、今ここにもありません。

何ものにも囚われない空の精神。
過去も未来もない今ここ、今ここ、今ここを生きること。
瞬間瞬間に、光はあるのですね。
今ここ、今ここだけが、自由な空間、真の自由な精神が輝く瞬々。
その瞬々を、瞬々に生きられたら、すばらしいですね。

手放して、手放して、滞りを、過去を、すべて一層して、すべてを解放して、
なにものにも囚われない空の精神を生きていきたいと思います。

空っぽの意識の中で、色が舞を楽しむ、そして空っぽの意識の中を、
その色が通り過ぎていく、囚われない、所有しない、眺めて、愛でて、手放すだけ。
そう生きていきたいと思います。

どうやって自分の主体性を確立していけばいいのだろう・・・ではなかったですね。
空の主体性を確立すること、なのですね。
すべての答えが、ここに集約されてあるように思います。

はじめまして(*^^*)

素敵なブログに出会えたこと幸せに思っています。
ちょうど一年くらい前に『生まれる前にいた素敵な場所に還りたい…』という思いが強くなり、スピの世界を探検してきました。只今の私のキーワードはちょうど「無色透明」でした!。
心にわだかまり(罣礙)無く、愛の海に心を浮かべていたいです。
このところ好き好んで一つの思いに囚われていました。ブログを拝見して開放できました。
自然の中に身を置いたときのようなのびのびした気分になりました。
ありがとうございます!。

Re:続きです(02/02)

ぴあの@サファイアさん

>どうやって自分の主体性を確立していけばいいのだろう・・・ではなかったですね。
>空の主体性を確立すること、なのですね。
>すべての答えが、ここに集約されてあるように思います。

まさにそのとおりですね。
空の主体性の確立。
色に惑わされない不動の主体性ですね。
それこそが、何よりも尊いものですよ。

Re:はじめまして(*^^*)(02/02)

心無罣礙さん

読んでいただいて、ありがとうございます。
自分のなかに無限の世界が広がっています。
どうぞ無限の可能性の海を探検してください。
きっとすばらしいよろこびが待っていることでしょう。

精神の壊れ方

私も、混乱の日々がありました。
でも、幸いなことに、
kimi言葉に出会って、
コメントを通して自分を
徹底的に、混乱は思い込みなんだと言い切られて、
自分を取り戻すことが出来ました。

まだ私にも、自分を見る力が残されていたから、
何とか混乱の泥沼から顔を出すことが出来たのでしょう。

けれど、例えばkimi言葉に出会うチャンスもなく、
徹底的に精神が壊れてしまう人もいる。

以前コメントしたことがある話ですが、
私の叔母は流産したことから、
精神が思い込みの泥沼に沈みきってしまい、
日常生活も破綻し、
どこか違う世界をさまよう人となりました。
ある教団に預けられましたが、
彼女の精神に光が届くことはなく、
精神病院で孤独な死をむかえました。

精神の壊れ方にもレベルがあるのでしょう。
自分を見失ってしまう程壊れてしまった精神に、
救われるチャンスはあるのでしょうか?

今だからよく分かります。

一人暮らしをはじめたばかりの頃、お金があまり無く食べたいものよりも適当に安いものを選んで食べてました。そうしているうちに何が好きなのか分からなくなっていました。

学生時代は、学校というある意味閉ざされた空間で一人になるのが怖かったです。修学旅行や行事で好きな人同士グループを組む際に、一人取り残されない為に、そのためだけに人間関係をがんばってました。そのうち、誰と仲良くしたいのか自分がどうしたいのか分からなくなっていました。

私を理解してくれない、周りはバカばっかりだと思ってました。

でも、バカは私でした。自分に真剣に向き合わず、他人にもいい顔するだけで真剣に向き合ってこなかった私がバカでした。

私も大掃除します。
もう自分を見失わないように、正直に生きます。

やっぱり

すいません。KIMIさん
上のコメント削除しておいてください。

コメントしようかどうしようか迷ってたんですが、やめればよかったです。ごめんなさい

Re:やっぱり(02/02)

あおぞらさん

>上のコメント削除しておいてください。
>コメントしようかどうしようか迷ってたんですが、やめればよかったです。ごめんなさい
-----
削除しない方がいいのではないですか。
せっかくコメント欄で宣言したので、そのとおりに生きてくださいな。
他人の顔色を見ながら生きるのをやめることですね。
自分に正直に生きることですよ。

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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