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1505日目 - 手放し抜く


昨日の日記のコメント欄に、次のようなものがあった。

「よく思います。
今、自分が望んでいる理想やしたいこと、
無人島でもやりたいと思うかどうかって・・・。

どんなに真理を求めるようでも、向上したいと願っていても、
それは何のためか?と自問します。
自問すると私の場合・・・

正直に言うと、
『そういう素晴らしい自分になって、いつか他人に認められたい』
でした。
だから全ての望みも希望も、無人島では色あせてしまう。

そんな時、一つ一つ剥がれていく、
認めて貰いたい対象が、様々な理由で離れていったり、
こちらが幻滅したり、もはや権威を感じなくなってしまったり。

そんな風にネガティブなやり方で、ある時から崩れていきました。
今でも、全ては崩れていません、けど、
基準をどこにもしつらえられなくなりました。

掴もうとしても空だったり、
捉まろうとしても地面とつながってない枝だったり。
淋しい頼りない、足場が崩れてく感覚でした。

じゃあ自分自身しかもういないじゃない、
自分なんて・・・こんなもの何の力も頼りにもならないのに!
虚しいというか、砂を噛んでるみたいな味気ないような。

その幻滅がくり返される時期が一時にやってきて、
今は指針も持てずにいます。
けどようやく、
無人島でやりたいことと、今ここで皆とやりたいことが一致してきました。

何一つ確信のような安心感はなくても、
何かを諦めてしまえば・・・

自分は本当にネガティブだと思います。
失うことによってしか、一歩も進まないようです。
他のやり方はないものか。

人生を真剣に生きる姿勢。
とても深い、広い言葉ですね。」


自分にとって真実でないものを手放していく。
それしかない。
それは、ネガティブなことではない。
真実に至るプロセス。

最初から真実を掴もうとすれば、真実でないものを掴んでしまう。
なぜ?
それは、真実を知らないから。
真実を知らないから、真実でないものを真実だと思い込む。

最も安全で確かな方法は、真実でないものを削ぎ落としていく道。
自分が真実だと思っていることは、ほとんどが思い込み。
それらは、後天的に身に付けたもの。
外側からの影響。

内側から湧き上がる不動のものではない。
内側にある揺るぎないものを発見するためには、真実でないものを手放すしかない。
自分の思い込みを手放すしかない。
そうすれば、真実に辿りつける。

かどうかは、保証の限りではない。
誰も保証はしてくれない。
この世に保証はない。
自分自身で見い出すしかない。

保証があれば、ギブ&テイクの世界になってしまう。
「努力しますから、結果をください。」
それは、ゲームの世界。
現実世界ではない。

現実世界は、ジャングルに似ている。
未知の世界。
既知の世界ではない。
既成概念は、通用しない。

今起きている世界同時不況は、未曽有のもの。
過去のデーターで判断すれば、道を誤る。
国家が崩壊の危機に瀕するほどの大異変。
それが、現実。

何の保証もない。
この世は、常に未知の世界。
そういう世界で真実を見つけ出すのは、そんなに簡単なことではない。
本に書いてある?

それが真実という保証はどこにある?
そんな保証は、どこにもない。
百万冊の本を読んでも真実は把握できない。
外からの情報で真実を発見することは、不可能。

ただ真実でないものを手放す。
手放して、手放して、手放し抜く。
真実でないものが、すべて消え去ったら・・・
真実だけが残るかもしれない。

それには、本当に真剣なエネルギーが必要となる。
生半可なことでは、真実には辿りつけない。
イージーに真実は見つからない。
真剣に生きるしか真実に至る道はない。

試行錯誤でいい。
ただ常に真剣に生きること。
真っ直ぐに前を向いて生きること。
安直に近道を求めないこと。

近道と思えるものは、結局、遠回りになる。
これが真実と提示されているものは、結局、自分でそれを証明する必要がある。
つまり、回り道。
ストレートに自分自身を直視するのが、最短コース。

手放して、手放して、手放し抜く。
自分にとって真実でないものを、徹底的に手放す。
見せかけや体裁や世間体を捨てる。
内なる真実だけに忠実に生きる。

自分に正直に生きる。
それは、当たり前のこと。
本来のこと。
それが・・・

生きている間に、歪んでしまったということ。
何が真実かわからなくなってしまった。
本当の自分を喪失してしまった。
内なる真実が見えなくなってしまった。

もう一度、すべてリセットして、自分自身を見つめ直すことだろうか。
自分にとって真実でないものを、どんどん手放していくことだろうか。
真に自分が望むことにフォーカスすることだろうか。
真の願いに・・・

よけいなものは、もういい。
回り道は、もういい。
今は、真実を生きる時。
自分の真実を・・・


『持てるもの すべて手放し 丸裸 何もない時 何かがわかる』

『手放して 持てるすべてを 手放して 両手上げれば ひっくり返る』

『真実で ないものすべて 手放せば 真実だけが その場に残る』

『真実で ないものすべて 手放せば 何もせずとも 真実がある』

『掴もうと するから真実 遠くなる 手放すならば 今ここにある』

『真実は 掴むことでは 得られない 手放す時に 今ここにある』

『手放して また手放して 手放して 手放し抜けば 光が見える』


これが日記を書き始めて1505日目の心境。

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コメント

丸裸

もうすぐ丸裸になる。
誰も見たくない?
そりゃそうですね。

その丸裸じゃない。
私にとって、
経済的にはそよ風を・・・
でも、
精神的には寒風吹きすさぶ仕事が無くなる。

ちょっとホッとする気分。
精神的には穏やかな春が近い・・・
財布には北風が吹きすさぶでしょうが。

手放すと、逃げと、違っているかなあ。
この事態を、手放すと解釈して、
真実の生き方を見つけたい・・・。

保障

保障は、ないのですね。
ギブ&テイク。そう思っていました。
どうしてもどうしても期待してしまいます。

以前は誰かに認められること。
そのための向上でした。
今はその対象は宙に浮いた感じで曖昧です。
ではなぜ、真実が知りたいと思っているのか。

真実が知りたい。
本や様々な人が言っておられる真実、
自我が完全に消えた境地とか、
全てが一つにつながっている(らしい)至福とはどういうものなのか。

それを求めて救われたいと思い、今を脱しようと試み。
でも、今を剃れたら(未来を希求したら)永遠にたどり着かないとも読みました。

どんな本を読んで憧れても、わかった気になっても、
誰のどんな言葉を聞いて納得した気持ちになっても、
本当はないかもしれない。

ないかもしれない物を追い求めるような感じに思えます。

もしも無いなら、眉間に皺よせて内面など見ていないで、
若い頃と同じように、楽しみでも追い求めたらいいじゃないか・・・
と思える時もあります。

でも、どっちにしたって
「そうだね、楽しみを求めたが勝ちだよ」とも、
「諦めずその方向に進め、きっと何かみつかるよ」とも、
誰も言ってくれる人はどこにもいないのですね。

ギブアンドテイクではないから。

三蔵法師さんのお話を思い出しました。
天竺に行ってありがたいお経を頂けば、全ての人が救われる。
そこへの旅がどんなに過酷でも耐える。

でも、頂いたお経は白紙だったのですよね^^

今日の日記から、白紙のことを考えさせていただきました。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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