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1506日目 - 新化


屋久島は、春のように暖かくなっている。
春になれば、虫たちも動き出す。
青虫が、地を這っている。
首をクニョクニョさせて、辺りを見回しながら進んでいる。

青虫のスピードは、遅い。
地を這うように歩くので、視界も限られる。
それでも、餌を求めてさまよい歩く。
人は、青虫に似ているだろうか。

青虫は、今日も歩く。
未知の世界を、ひたすら探検する。
食べものを求めて歩くことが、同時にこの世界を知ることにもなる。
いろいろ歩き回れば、だんだん賢くなる。

餌の位置や危険な場所などが記憶されていく。
その記憶をベースに進めば、楽に餌が手に入る。
しかし、自然は一定していない。
季節と共に変化する。

春にはあったものが、夏には姿を消している。
春には役に立った記憶が、夏には逆に遠回りをさせることになる。
記憶は、万能ではない。
今ここを注意していないと、記憶だけでは生きられない。

あそこに美味しい餌があったはずだと思い込んでいると、危険な動物が待っていたりする。
記憶も役に立つが、記憶が危険をもたらすこともある。
片時も注意を逸らすことはできない。
今ここの注意力が、何よりも肝要。

青虫は、進化する。
いろいろの経験を経ることによって、進化していく。
しかし、どこまで進化しても青虫は青虫。
青虫以上にはなれない。

蝶になるためには、青虫をやめるしかない。
これまでの生き方を見直し、根本的に生きる姿勢を転換する必要がある。
それは・・・
進化から深化への変身。

青虫の時代は、注意は外へ向いていた。
外のことだけが気になった。
環境を理解し、環境に適応するので精一杯だった。
それが、生きるということだった。

しかし、それを続けている限りは、青虫のまま。
青虫からの脱皮は、夢のまた夢。
青虫の生は楽しいこともあるが、苦しみも多い。
できるものなら、蝶のように自由に空を舞ってみたい。

その蝶の夢を叶えるには・・・
今の生き方を切り替える必要がある。
意識の向きを180度転換する必要がある。
外に向いていた意識を、内に向ける必要がある。

つまり、青虫から蛹(さなぎ)への変身。
意識を内に向け、静かに自身に聴き入る。
内なる声を聴く。
耳を澄まして、自分の本心を意識する。

蛹は、動かない。
ひたすら静かにしている。
静かに本心の声に聴き入っている。
内側へ内側へと意識は指向する。

内側に意識が向かない限り、蝶になることはあり得ない。
なぜなら、蝶とは本心が花開くこと。
本来の自由に戻ること。
本来性は外にではなく、内に宿っている。

内へ深く深く潜入しない限り、真実には至らない。
深く深く内を探求することによって、内なる真実に気づく。
その内なる真実が目覚める時、蛹の役割は終わる。
蛹から蝶が現れる。

それまで内に内に向かっていた意識は、突然、飛翔する。
自由の天地を羽ばたく。
限りない宇宙へ。
創造の舞を舞う。

人には、いろんな時期がある。
青虫のように外の世界を学ぶ時期。
蛹のように自分の内側を見つめる時期。
そして、蝶のように自由に飛翔する時期。

それぞれの時期に、それぞれの意識の変化がある。
青虫は、進化。
蛹は、深化。
蝶は、神化。

今は、新化の時期。
新しく生まれ変わる時。
時代が変わる。
地球が変わる。

人も、新人類となる。
神人になる。
神として人を生きる。
全体と共に個を生きる。


『青虫は 外の世界を 学ぶ時 蛹となって 内を見つめる』

『外を見て 環境学び 内を見て 己がルーツに 気づき飛び立つ』

『真実に 気づいたならば 蝶となり 創造の舞 踊り楽しむ』

『青虫が 蛹となって 蝶となる 進化は深化 神化への道』

『新化とは 進化を終えて 深化して 神化すること 新人類化』


これが日記を書き始めて1506日目の心境。

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コメント

真剣に生きる

好きな人がいて執着してしまう、
苦手な人がいて憎んでしまう、
何故自分は、その人たちに拘ってしまうんだろうと
ずっと考えていました。

何故この人?
分析したり、自分自身の子供時代を考えたり、
果ては「過去生か?」とまで考えました。
でもすっきりできませんでした。

最近、長年ご無沙汰だった叔母と、関わりが多くなりました。
私はこの叔母を嫌ってしまい、それが悩みでした。

昨日、『真剣に生きる、真剣に生きる・・・』と
電車の中でブツブツ言っていたら(声に出さずに)
突然、真剣に生きていない自分の部分が見えてきました。


私はこの年まで、子供としての生き方をしてきたのだと思います。

子供(乳幼児)の生き方・・・
弱さをアピールして、人からの保護や助けをあてにして生きるやり方。

先月から突然、母の看病と、叔母の世話が同時にやって、
自分の能力を超える、忙しくて放り出したくなる気持ちの中で、
叔母に対する苛立ちがよけいに募ってきていました。

私が叔母を嫌うこと。
それは叔母のせいだ。
私は、叔母の中に自分の苛立ちの原因を探していました。

でも、
真剣に生きること。
自分の生き方をいつも見直すこと。

「もう子供の生き方は卒業して、大人の生き方をしたい」
深い部分では、私はそう願っていたのかもしれません。

何でもかんでも人に依存する叔母に、
もう手放したい、私自身の生き方がありました。

責任の範囲が変わったこと。
いつもサポートを受ける立場にしがみつくのをやめて、
自分で立ち、できる範囲で他者もサポートする。

そして以前ボランティアに求めていたように、
人を助ける自惚れにも溺れない。

大人の生き方とはきっと、プラマイゼロなのだと思います。

私はもう、子供でも救済者でもなく、自然な成人になりたい。

さなぎと青虫

それに気づいたら、叔母がどんな性格の人であろうと、
あまり気にならなくなりました。

「好かれること」が生存に関わるほど大切でなければ、
好きだと思う人に執着もしなくなります。
居ても居なくてもいい。

好きな人が、こうこうこういう人だから執着してしまう、
のではなく、
「私が執着せざるを得ない」私の中の理由の問題でした。


私は地上に見える、花や葉っぱばかリ見て、
花や葉っぱの特徴に全ての原因があると思い込んでいましたが、
全ての現象(キライ、好き)の原因は、地中の根っこでした。


そう考えていくと、どんな出来事やどんな人に遭遇しても、
あまり重要ではないのかもしれないですね。
人生で何が起こっても、あまり重要ではない。

それは花や葉っぱの部分なのですね。
目には映るけれど、本質は常に私の中にあるのだと思いました。

花や葉っぱは目を引くだけの幻。
本質は根っこ。


青虫も時には立ち止まって、内省する時があるのかもしれない。
そうしたらさなぎになっていけるのでしょうか。

さなぎになりたいです。

今ここ

気づくべきものはいつも、
今ここ、今ここの自分の心の中にあるのですね。

過去生も過去もインナーチャイルドも、
何も知らなくても、今ここに全部の概要がある。

外界にいて外界を見つつ、
ひっかかってくる様々なことを内面の根っこに探すのですね。
今ここ以外の情報がなくてもいいのだと、やっと気付きました。

新人類

青虫、蛹、蝶、
進化、深化、神化、
例えていただいて、とてもよくわかりました。

すべてが変わる時期なのですね。
時代も地球も変化していて、人も新人類になる。
意識を澄ませて、静かに深く内と向き合います。

Re:今ここ(02/15)

ベル@kaoruさん

>気づくべきものはいつも、
>今ここ、今ここの自分の心の中にあるのですね。

>過去生も過去もインナーチャイルドも、
>何も知らなくても、今ここに全部の概要がある。

>外界にいて外界を見つつ、
>ひっかかってくる様々なことを内面の根っこに探すのですね。
>今ここ以外の情報がなくてもいいのだと、やっと気付きました。
-----
すばらしい気づきですね。
今ここ!
今ここに、すべてがありますね。
今ここ以外に何もいらない。
今ここにすべてが集約されているのですね。
全宇宙のすべてが・・・




美しい物語ですね。

昆虫の生態に、
人の生き方が示されていたんですね。

どうやら私は青虫を長くやり過ぎてますね。
まだまだ這いずり回って、
たらふく食べて、
貪欲に外の世界をむさぼっている。

でも、蝶となれるのに、
青虫のまま干からびるわけにはまいりませんんね。

そろそろ意識を引き戻して、
静かな時を自分自身と過ごしてみようかな。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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