記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1532日目 - 無私


今日の屋久島は、ものすごい強風が吹いている。
雨はたいしたことはないが、風は外に出るのを躊躇するぐらい。
春の嵐?
もうすっかり春という感じ。

魚座の水晶祭りは、昨日で全員受付が終わった。
今日からは、リクエストがなかったものは先着順となる。
今回は数が多かったので、まだ半分ぐらいは行き先が決まらない。
ステキなものが、たくさん残っている。

海と川で浄化し、二度、月光浴をさせた。
浄化と月光浴で、見違えるようにきれいになった。
水晶たちは、旅立ちが近づくと美しくなる。
それにしても、驚くほど美しい。

今回の一番人気は、No.1のライトニングレムリアンだった。
今回唯一の大型水晶。
しかも、昨年のkimi宅を支えたもの。
雷で光化された抜群の安定感のあるポイント。

実は、この水晶は巫女見習いもリクエストしていた。
ところが・・・
残念なことに、巫女見習いは外れてしまった。
彼女がリクエストした時、彼女に行くのかなと思った。

しかし、蓋を開けてみると、別の人のところへ行くことになった。
巫女見習いよりも、この水晶と合っていた人がいた。
それは、魚座の人だった。
今回は、魚座の人のリクエストが多かった。

たとえ巫女見習いでも、特別扱いはない。
それは、秘書でも知り合いでも変わらない。
どんな人も平等に扱われる。
ただ水晶と合うかどうかだけ。

どんなに倍率が高くても、合えば初めての人のところへでも行く。
合わなければ、常連でも外れてしまう。
まったく依怙贔屓(えこひいき)はない。
厳正中立。

水晶の行き先を恣意(しい)的に決めると、何かが狂ってしまう。
まるでボタンを掛け違えたような・・・
無私でやると、行くべきところへ行く。
まるでジグゾーパズルが、ぴったしと決まるように。

恣意とは、自我。
恣意でやれば、宇宙のバランスが壊れる。
行くべきところへ行かないで、別のところへ行ってしまう。
それは宇宙の秩序ではなく、自我の混乱。

自我とは、自分勝手。
自分好み。
自分の気に入ったところに、人気のあるものをやろうとする。
しかし、それをやりだすと、すべてがおかしくなる。

「私」とは、混乱の元。
自分本位。
自分さえよければいい。
全体のことは考えていない。

そういう自我ベースで生きると、世の中は混乱する。
競争による予定調和は、幻想。
現実は、競争による弱肉強食。
幸せよりも悲しみの方が多い。

自我の生は、混乱の生。
全体を忘れた自分勝手。
自分さえよければいいというのは、近視眼。
結局は、回り回って自分の首を絞めることになる。

人類も、そろそろ自我の生を卒業する時。
もう十分に体験した。
体験から学ばなければ、体験の意味がない。
これまでは、物質次元を学ぶための体験期。

これからは、その体験を活かして真に豊かな世界を創る時。
いつまでも試行錯誤を繰り返していてもしかたがない。
もう目覚める時。
気づく時。

新しい生き方を始める時。
自我から脱皮する時。
青虫から蝶になる時。
それには・・・

まず蛹(さなぎ)になる必要がある。
蛹とは、静かに自分を見つめる時期。
自分を理解する時。
深く理解した時、蛹は蝶に変身する。

蝶は、地を這う青虫ではない。
全体を見渡しながら、ヒラヒラと自由に舞う。
全体が見えるために、自己中心的にはならない。
もう自分勝手な生ではない。

全体と共に生きる生。
全体の調和を図る生。
全体を見ながら、個を生きる生。
個であり全体である生。


『恣意的に 生きればすべて 混乱し 苦しみ悲しみ 尽きることなし』

『全体の 調和を図る 心から すべての人の 幸せ生まれる』

『自分さえ よければいいと 思うのは 目先のことしか 頭にないから』

『長い目で 見ればみんなの 幸せが 自分にとっても 幸せとなる』

『皆のため 生きれば皆が 幸せに なるだけのこと 難しくない』

『人類の 意識成熟 する時に 互いのために 互いに生きる』

『これまでは 体験学習 予備調査 これから本番 地球創造』

『これまでの 地球体験 活かしつつ みんなで笑う 世界を創る』

『これまでは 本能ベース 肉体に 翻弄されて 生きていただけ』

『これからは 魂ベース 本来の 神の世界を 地上に創る』

『神なれば 叶わぬことは 何もない 望みのままに 現実創造』

『神の世を この世に創る だけのこと 単純明快 生きる方針』


これが日記を書き始めて1532日目の心境。


関連記事

コメント

縁起にて

宇宙の鏡に我観れば

光の中の影法師

何も無きが尊き命

影法師

執着するものと、一体化することにより、

「私」という、自分のイメージが作られ、維持される。

私の、体・所有物・信念・帰属集団、との一体化。

これらの属性が、「私」という意識の母体である。

執着する対象に囚われるとき、

「私」の自意識が強まる。

執着を手放し、属性から離脱するにつれ、

「私」という自意識が、幻であることを理解する。

もうひとつの感情

これは無私なのかわかりませんが。

先日、検査手術を終えた母の見舞いに行った日。
母はさまざまな人や出来事に対し苛々し、たくさんの不満を言っていました。

それを聞いて、私は母を非難したい気持ちがたくさん湧きました。
母に対し冷淡でジャッジする気持ち、
私自身が損をしているというような気持ちになりました。

でも、それが苦しくなります。
あまりにも残酷な評定を相手にしてしまうので、

「お母さんはもう年なんだから」
「今、病気で辛くて気持ちも萎えてるんだから」
「私だって母の年になって一人だったら、弱くなるはず」

などと次々、母を弁護する思考も沸いてきました。
そして、

「なんで私、こんなに非難を打ち消そうと思うんだろう?」
とふと思いました。

その時、
たくさんの騒がしい思いの奥、無言な一番奥にある感情に気付きました。

母を(そのままで)許したい。

ただそれだけの素朴な感情に気付きました。
それは何の理由も必要としない、ただ「在る」だけの感情でした。

ああ、私は一番奥底で、母を許して認めたかったんだな、とわかりました。

母はわはままだ、母は甘い、いや母は年だから当然だ・・・
などの無数の思考など要らなかったんです。

理由が無い思い。
シンプル過ぎるほどあっけない思いです。
これが自分の本心であるなら、もう何の思考も要らないのだと思いました。

従う行動

そして、様々な思考、表面的な感情、思いに比べ、
その奥底のシンプルな感情は、
その瞬間からの私の行動の、とても助かる指針になります。

その日、病室を後にする時の母の、
淋しそうな顔が、帰りのバス停でもずっと残りました。
さんざん愚痴を聞かされて、母がうっとおしく感じた後でしたが、

売店に寄って母の好物と私の飲み物を買って、
もう一度病室に戻りました。
「バスが行っちゃったから時間つぶすし」と言って、
15分ぐらい、他の病室の人も一緒に世間話をして笑いました。

帰る時は母はゲラゲラ笑っていました。
あ、なんかこれでよかったな、夕飯作るのは少し遅れたけど良かったな。
(たまたまその日は、旦那は突然飲み、子供は友達と遅くなるメールがきました)

騒がしい感情でいつもいっぱいですが、
奥にも別の、静かな思いがあることを知り、
そちらに耳を傾けると・・・
なんだか全て、上手く廻っていくような気がしました。

水晶の行き先のように、
研ぎ澄まされた「いいこと」へ向かっていきたいな、と思いました。

自由と平和

属性との一体化から、自我が生じ他者と分かたれる。

所有物、イデオロギー、宗教的信念、等々と、

一体化した「私」は「他者」の一体化物と対立する。

故に、属性からの自由は、争いの種子を内在しない。

空虚さ、を恐れるとき、所有物、信念、集団、等と、

一体化を求める。執着物を手放す過程に自由がある。

故に、空虚さを恐れないとき、自由と平和が在る。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

Twitter

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カウンター

  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。