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1541日目 - 恐怖心


屋久島の旅の二日目は、木霊の森へ行った。
今回の六人のうち四人は、整骨院をやっているとか。
そのうちの一人は、昨年の9月にもガイドをした人。
彼の紹介で、他の人たちは来ることになった。

彼らは、木霊がわかるらしい。
森のなかで、時々、瞑想の時間を取った。
それぞれが気に入った場所で、座ったり立ったりしていた。
そうすると・・・

「今、木霊が手の上に乗っていませんでした?」
「来てたね」
という感じの話をしている。
どうも木霊が見えたり感じたりするらしい。

よく木霊の写真が撮れるところでも、木霊の気配がすると言う。
たまにこのような人たちが、やって来る。
そうすると、木霊がいるところを教えてくれる。
しかし、それは既にこちらが知っているところ。

こちらは、木霊が見えたりはしない。
しかし、六年間、何百回も通っているので、どこに木霊がいるのかはわかっている。
木霊の写真も数えきれないほど撮っている。
お客さんも数知れないぐらいの木霊の写真を撮った。

この森は、すばらしい。
いつ行っても、さわやか。
人が来ていないので、自然のまま。
屋久島でも特殊なところ。

こういうところを独占的にガイドできるのが、不思議と言えば不思議。
過去世で屋久島と深い縁があったということだろうか。
屋久島に二百人からのガイドがいるが、独自のフィールドを持っているガイドは、そうそういないだろう。
ガイドするのは、縄文杉、宮之浦岳、白谷雲水峡・・・

ガイドブックに載っているところが、ほとんど。
誰もいないところを専門にしているガイドというのは、まだ聞いたことがない。
なかなか恵まれている。
ありがたいことではある。

四時間ほど歩いて、帰路に就く。
まだ時間があったので、まず抹茶のソフトクリームを食べる。
それから、木霊のストラップを作っている木工所へ行く。
ここでは、昨年の11月に女の子が生まれた。

名前は、さくらちゃん。
赤いほっぺが、落っこちそうな赤ちゃん。
お客さんたちがストラップを見ている間、こちらはさくらちゃんと遊んでいた。
可愛いモミジの手でしっかり握ってくれて、感激!

こちらが「ネコのお巡りさん」を歌うと、楽しそうに手足をばたつかせた。
わかるのだろうか。
黒い瞳が、真っ直ぐに見つめる。
赤ちゃんは、みんな真っ直ぐに見つめる。

学校に行く前の子供は、概(おおむ)ね真っ直ぐに見つめるもの。
しかし、成長するにつれて目を逸らすようになる。
心が傷つくことによって、恐怖心が生じるからだろうか。
悲しいことではある。

お互いがまっすぐに見つめ合える世の中にする必要がある。
これから、そのような世の中になっていくだろう。
しかし、その前にやることがある。
それは、恐怖心の構造を理解すること。

恐怖心の成り立ちを理解して、恐怖心を超える必要がある。
それなしでは、人を真っ直ぐに見つめることはできない。
自分を守ることだけに意識が向くと、人を直視できない。
自分を守ることも必要だが、それ以上に必要なものがある。

それは、自分自身を理解し、人を理解すること。
理解することによって、真っ直ぐに生きることができる。
元々、人は真っ直ぐに生きるもの。
それは、赤ちゃんを見れば一目瞭然。

恐怖心に負けないことだろうか。
過去の再現に怯えないことだろうか。
必要以上に過去を増幅しないことだろうか。
むやみに暗い未来を想像しないことだろうか。

本能と思考が合体することによって、恐怖心が生まれる。
その構造を理解し、注意深く生きる。
必要以上に恐怖心を増幅させない。
しっかりグランディングしながら、一歩一歩進む。

今ここをベースに生きる。
過去にも未来にも振り回されない。
今ここを直視し、注意深く生きる。
それしか生きる道はない。


『恐怖心 理解と共に 乗り超える 今ここベース 注意しながら』


これが日記を書き始めて1541日目の心境。


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コメント

自灯明、行動明

思考の闇に気づきの光

恐れる心はそのままに

尚も踏み出す一歩かな

道連れ

子供や赤ちゃんは、自分をまとっていないから。
自由ですね。まっすぐですね。
あの瞳が示すもの、語るもの、教えてくれるものには心が躍ります。

守るべき自分がないから。
だからあんなに、まっすぐに見れるのでしょうか。

守る自己が無い時、どんなに身軽だろう。
どんなに幸せでいられるのか。重さが無いのか。
純粋に意識だけでいてみたいです。


恐怖心。厄介な「自分様」と何十年もつきあっています。
いつもこの人のことを気にしてあげなきゃいけない。

面目がつぶされないように、
立場を失って不満にさせないように、
すみっこに追いやられて淋しい思いをさせないように、
体が安全で快適で、できるだけ楽をできるように。
美味い汁を吸えるように、得するように・・・etc

一年中、四六時中、文句や要望や苦情の言い通しで、
こんな厄介なお荷物をなぜ、
人は背負ってしまうのでしょうか。

最初に風に触れ、
便利そうなコートを羽織る。
まさかそれが、こんな厄介な道連れに定着するとは知らずに。


脱いだり別れたり出来ないものか。
自分だけでいたいです。
そうしたら何を見ても自由だし、指図する声もなく、
ひょうひょうと仙人のように、空をひとっとびに渡れますね。

恐怖心の克服。
どうして怖いのか、うるさい自分の雇い主に、一から尋ねてみます。

Re:1541日目 - 恐怖心(03/22)

あたしの恐怖心は。。いつも子供や旦那。。また身の回りの関わる人たちの
心配ごとから始まる。。
とくに子供のことが多い。。
いまも雪山に行っている真ん中っ子のこと。。
お仕事先の心配な利用者さんのこと。。
考えても仕方ないのに。。むくむくと不安なことが
次から次と頭を駆け巡る。。

そのときにいつも。。誰かの苦悩の命が直伝わってくる。。
「頑張たって無駄だ!!どうせ死ぬんだ。。」
この言葉。。なんどもなんども藍の命に突き刺さってくるんです。。

自分が思ってる言葉じゃなくて。。でも、自分のうちから湧いてくる言葉。。なんでだろう。。?

昨日。。気がついたんです。。
「旦那だ。。」って。。。

彼は今単身赴任で。。きっと、しんどい思いをしているんだと思います。

こういう思いを開放するには。。どうしたらよいのだろう。。
うまく言えなくて。。つらつら書いてしまいました。。

今日一日

回復の過程で、仲間が死のメッセージを残して、

毎年去っていった、仲間の死に様を思いながら、

自分の死に様を思い浮かべた。

新たな人生は、最後から始まった。

最後にどう在りたいのか?

その問いかけが出発点になり、生き方に変わった。

生の終わりに死を思うのではなく、

始まりに思うことになった、

これからの人生に、必要のないものを理解した。

自分の空虚さを埋めてくれるものに執着するが、

執着するものを失うことを、恐れる。

恐れと執着はコインの裏と表のように、

切り離すことはできない。

死は、それらすべてとの別れである。

執着を手放すことは、死の意味と同じこと。

夏は暑いと受け入れ、冬は寒いと受け入れるように、

生者必滅と受け入れるより仕方がない。 

苦諦から無常観が生まれた。

風はながれる、命もまた然り。だからこそ、

頭の中にしかない明日を生きるのではなく、

現実の今日一日を生きる意味がある。


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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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