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1543日目 - 教育


コメント欄に次のような書き込みがあった。

「クルシュナムーティスクールでは、教師が生徒達との信頼関係を築くことを通じて、生徒が愛情豊かな人間関係を学ぶ事を第一とし、学業はその為の材料や手段としての第二義的な意味に過ぎないらしい。
が、学業でも優秀な人材が育ってゆくと言う。
社会問題の大半が人間関係の軋轢に原因があることを考えてみると、子供にとっても社会にとっても、教育とは何なのか改めて考えてみてもいいかと思う。」

クリシュナムルティスクールは、イギリス、インド、アメリカにある。
全寮制の私立校で、そこで学んだ日本人もかなりいる。
クリシュナムルティが語ったことをベースに運営されている。
インドではエリート校であり、進学校としても知られている。

クリシュナムルティスクールの実情は、各国によって異なる。
すべてが理想通りにいっているわけでもないらしい。
しかし、その基本的な考え方は、すばらしい。
愛情第一、学業第二。

それが学校教育の大原則だろう。
いくら優秀な子供を育てても、自分勝手で我儘な子供では誰も幸せにはならない。
むしろ、そんなに優秀ではなくても人間性豊かな方が、本人も周囲も幸せになる。
大切なことは、心豊かな子供を育てること。

知性だけを重視すれば、人間としてのバランスが壊れてしまう。
知情意。
知育、体育、徳育。
最も大切なことは、愛情豊かに育てること。

愛情に包まれて育てば、愛情豊かな子供に育つ。
自分を大切にし、周りも大切にする。
その愛情のなかで、内在していた可能性が芽を出す。
それは、自然に大きく成長していく。

幼い時から知性だけに偏った教育をすれば、歪んだ人間になってしまう。
愛情豊かに、人間関係を大切にすることが何よりも重要。
それが、すべてのベース。
それなしでは、すべては砂上の楼閣となってしまう。

いくら知性が発達しても、それを自己中心的に使えば社会のためにはならない。
むしろ社会に害をもたらす。
知性や科学は、使い方しだい。
使う人間を豊かに育てないと・・・

愛をベースに教育をする。
それが、基本の基本。
その土台の上に知育や体育や徳育をおこなう。
徳育は、特に押しつけにならないように要注意。

あくまで話し合い。
話し合って理解を促す。
お互いに話し合いながら学ぶ。
教師も生徒と話し合う必要がある。

教師が一方的に教えるスタイルは、もう古い。
教師も未熟。
話し合うなかで生徒から学ぶことがある。
お互いがお互いから学ぶ。

学校とは、学ぶところ。
お互いがお互いから学べばいい。
教師といえども常に学ぶスタンスが必要。
それなしでは、今を生きる教師とは言えない。

その常に学ぶ姿勢が、自然に生徒に伝わる。
それが、真の教育というもの。
学校とは、すべてから学ぶことを体得する場所。
学ぶ姿勢を身に付けるところ。

教えることは、必要最小限でいい。
必要なのは、自分で学ぶ姿勢を身に付けること。
それさえあれば、何でも自分で学べる。
それが、一生の宝となる。

新しい時代には、新しい教育が必要。
真の意味での学びの教育。
愛と学びを両輪とした教育。
そうでないと、新しい時代は開かない。

実は、それは学校だけに限らない。
愛と学びが必要なのは、家庭や社会も同じ。
愛をベースに、すべてから学ぶ姿勢で生きる時、世界が変わる。
その変化をもたらすものは、この日記を読んでいる一人一人。

教育だけを変えることはできない。
この日記を読んでいる一人一人が変わることが、すべての変革に通じる。
愛をベースに、すべてから学ぶ姿勢で生きる。
それが、生き方の基本。


『未知のこと 知るよろこびを 体得し 自ら学ぶ 子供育てる』

『お互いに 学ぶ姿勢で 生きる時 上下関係 自然に消える』

『押し付けず 互いに学ぶ スタンスが 次の時代の 学校教育』

『愛情を ベースに据えて すべてから 学ぶ姿勢が 生きるスタンス』

『学校も 家庭も社会も みな同じ 愛をベースに 学びの姿勢』

『今ここで 注意しながら 学びつつ 日々を生きれば 歳は取らない』

『愛ベース 学び重ねて 二重奏 共に歌えば 瞳輝く』


これが日記を書き始めて1543日目の心境。


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コメント

本質

>使う人間を豊かに育てないと・・・

>愛をベースに教育をする。
>それが、基本の基本。

そうですね。こう読むとその通りだと思います。
なのに、いざ自分のことになると、そう考えられませんでした。

娘は今高2で受験生です。
のんびりというか、野心がないというか・・・
今の段階でラクに入れる学校を志望します。
私にはそれが、どうにも納得できませんでした。

死ぬ気で歯を食いしばって、自分が行けれる最大限のところに入学して欲しい・・。

競争は無意味だと思っていたはずなのに、
子供の学歴にだけは、欲でいっぱいになってしまいました。

「なんだかんだで少しでも世の中で有利なように」
「せっかく行けるかもしれないのに、何故努力しない?」
「人間とは努力するのが当り前だろう(現在の自分は棚に上げ)」

でも本心は「子供の威を借りたい親の見栄・エゴ」でしかありませんでした。

昨日、アル中のミョウガさんのコメントを読み、はっとしました。
なので唐突に、

「今年もオープンキャンバス(見学)行くでしょ?」
「偏差値はどこでもいいから、ピンときたところに行きなさい」

と言って見ました。
娘はキツネにつままれた顔をしていました。

悔しい私のエゴの向こうに、大切な本質があるかもしれない。
どの学校であれ、子供はそこで何か(学業以外)を学ぶのかもしれない。
心の柔らかいこの時に学ぶのですね。

そして今日、kimiさんの日記を読んで、
漠然とその先に望んだ「何か」が明確になりました。

肝心なことを気付かせて頂きました。
ありがとうございます。
そしてまたしても、子供から教わったようです。

本当に教育とは双方向ですね(^^)



The House Of The Rising Sun

子供を偏差値で優劣をつけ、競争させてゆけば、

虚栄心を煽っているようなもので、

愛情教育とは程遠いことには違いない。

学生時代を振り返って見れば、

一流、二流の肩書きだけを気にして、

中身には頓着しない生き方をしていた。

つまらないことに劣等感や優越感をもっていた。

今更、親や社会の所為にするつもりはないが、

同様の環境を与えられたら、

子供は同じ轍を踏むことになるだろう。

子供がいたら、自分の失敗話を聞かせて、

同じ過ちをする必要のない事と、

人生を無駄にするな!と言ってやりたい。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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