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1546日目 - 道(タオ)


今日は、新月。
新たな始まり。
録画してあった「道(タオ)」というテレビ番組を見た。
老子の教えをわかりやすく解説したものだった。

長野県の伊那谷に住む加島祥造さんが訳された老子がベースになっていた。
加島祥造さんは、83歳。
以前は、大学で英米文学を教えていたらしい。
いくつかの翻訳本や詩集も出版されている。

ここ20年ほどは伊那谷に住み、老子の翻訳と独特の絵に専念している。
その老子の翻訳は、とてもわかりやすい。
現代人にもわかるように訳されている。
中国語からではなく、英訳版をベースに訳したとか。

美しい伊那谷の風景をバックに、わかりやすく老子が語られていた。
しかし、残念なことに今一つエネルギーが伝わってこない。
道(タオ)の躍動感が伝わらない。
なぜ?

無理もない。
老子は、2500年前の人。
しかも、翻訳。
生きている道(タオ)ではない。

訳としては、考えられる最上のものかもしれない。
現代の状況に即して、やさしく訳されていた。
しかし・・・
しかしなのだ。

テレビで放映された内容は、ほとんどこの日記に書かれてあることだった。
こちらは、老子を直に読んだことはない。
しかし、本質的なことは、既にこの日記にすべて書いてあった。
しかも、老子よりも何倍もわかりやすく。

なぜ?
なぜ老子よりもわかりやすく書かれているのだろうか。
それは、人類2500年の経験が加味されているからだろうか。
いや、そうではなくて・・・・

それは、今、生きている道(タオ)だから。
2500年前の教えではなくて、今ここの真理だから。
躍動している目の前の真実だから。
真理が生きているから。

老子に言わせれば、「道(タオ)」。
この日記では、「ひとつ」。
同じものの別の表現。
すべての元の元。

その道(タオ)=ひとつを体得した人が、神。
正確に言えば、神人。
生きている道(タオ)そのもの。
だから、老子を読まなくても老子がわかる。

自然と共に生きる。
宇宙と共に生きる。
いのちの循環と共に生きる。
ひとつを生きる。

真理は、道(タオ)に極まる。
真理は、ひとつに極まる。
極まったものは、分かつのが道理。
この日記を本にする時期が近づいている。

加島祥造さんが訳された老子も売れているらしい。
新聞の広告を見た記憶がある。
老子が売れる時代になったということだろうか。
時代が本物を求めているということだろうか。

今ここの生きている道(タオ)を世に出す。
2500年前の道(タオ)ではなく、今ここの道(タオ)。
2500年前の仏陀の教えではなく、今生きている真理。
それが、これから為すべきこと。


『道(タオ)という 真理を説いて 人類の 生き方示す 老子の教え』

『今ここに 道(タオ)も真理も 生きて在る 本読まずとも 真理は一つ』

『今ここの 生きてる真理 世に出して 新たな時代 開く新月』


これが日記を書き始めて1546日目の心境。



☆ 「1545日目 - 統合」も同時にアップしました。
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空観

老子の語っている場所も空観

言葉を否定として使い、

肯定的な意味の観念として残さない。

空観に導こうとする良師は、

思考者の思弁的解釈を奪う。

否定を通じて肯定に導くより他に、

言葉の跡を残さない語法はない。

空とは、観念が払われた意識、

観念が蓄積されてしまえば、本末転倒。

問題の答えとは、問題の消滅が答え。

その時、答えは跡を残さない。

問題と伴に答えが残ってしまえば、思弁。

思弁を残せば、求道者が囚われてしまう。
 
自分の心から離れた所に、

たどるような道は、ない。

空観 その弐

思考は、言語によって成り立つ。

言語により、観念は表現される。

ゆえに、観念は言語の機能の内にある。

言語は、左右、上下、是非、等の

対立概念の要素で成り立つ。

ゆえに、観念は対立観念となる。

右という概念は、右だけで成り立たない。

右の概念には、左の概念が含まれている。

善を考えるとき、善の観念には、

悪の観念が含まれている。

何が善であるか考えるとき、

思考は、同時に何が悪であるかを考える。

事実を、善と悪の目で同時に観ている。

思想は、観念により表現される。

ゆえに、思想もまた対立構造を免れない。

どのような観念も、思想も、

対立する言語認識によって、成り立つ。

考えること自体が、対立構造の内に在る。

ゆえに、思考に立脚すれば、心はせめぎ合う。

事実を、どのような感情で染め上げるかは、

観る側の問題である。

事実を、ありのままに観るとき、

自分の解釈ではない、真実がそこにある。

無為自然

生きることが、目的の手段に過ぎないとき、

人生は、夢のなか。

生きることは、行為自体に意味を感じること、

観念や思想を権威として、なぞるのではなく、

願望の結果のための通路でもない。

観念や願望は、思考から生まれ、

思考は、過去である。

思考に立脚すれば、過去を足場にすること、

過去を修正するだけで、過去を一歩もでない。

創造や新生は、思考の外にある。

無心は、言葉を忘れること、

言葉は過去、ゆえに、無心は今。

無心の行為は、即座の行為。

現実に即した行為が、無為自然。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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