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1551日目 - 引き籠り


知り合いからメールが届いた。
友人に引き籠りの子供がいるのだが、なんとかならないかという内容。
引き籠りとは・・・
部屋に引き籠っているだけではない。

自分自身のなかに引き籠って出てこない状態。
心の扉を閉ざし、心のなかに閉じ籠っている。
もうこれ以上傷つきたくない。
そっと一人にしておいてほしい。

亀が手足を引っ込めた状態。
甲羅のなかで小さく縮こまっている状態。
神経はピリピリし、外側の刺激に敏感。
自分を守ろうと必死。

まったく精神的な余裕はない。
頭のなかに空間はない。
想念(おもい)が、びっしりと詰まっている。
それをなんとかしないと・・・

必要なものは、気分転換であり、解放。
詰まっているものを解放しないことには、何も始まらない。
では、どうやったら解放できるだろうか。
既にいろんなことを試しているに違いない。

話し合うのが一番なのだが・・・
心を閉ざしているので、話し合うのは難しいかもしれない。
それでは、まったく違う環境へ連れて行く。
自然のなかに放り出す。

自然のなかで何も考えないで、ひたすら歩く。
あるいは、サバイバルゲームをする。
ポイントは、何も考えないこと。
自然と共にいること。

これまでの環境とまったく異なるところへ行く。
これまでの人間関係のないところに入る。
家族と離れ、自然と共に生きる。
そこから、再生の道が見つかるかもしれない。

あるいは・・・
別に何もしなくても、時が来て解決するということもある。
タイミングが合って、動き出すこともある。
何もしないで、ただ見守るというのも一つの方法ではある。

ひたすら見守る。
小言を言わない。
雑音を入れない。
本人を信頼して、時を待つ。

自然のなかに入ることと、時を待つこと。
両方に共通するのは、静かに見守ること。
これ以上詰め込まないこと。
自立するのを待つこと。

いずれにしても、ゆっくり焦らないことだろうか。
周りにいる人が、まず落ち着く。
しっかりグランディングする。
そうすれば、いずれ道は開ける。

周りが焦ると、結果は出ない。
出たとしても、悲惨なことになる。
まず周りにいる人が、落ち着く。
静かに見守る。

いろんな提案をしてみる。
本人が乗ってくれば、一緒にやってみる。
拒否したら、静かに待つ。
できるだけ話し合いを持ちながら・・・

まずは、周りにいる人が腹を据えること。
ゆっくり生きること。
生き急がないこと。
静かに自他を見守ること。

そうすれば、時が来れば道が開ける。
ゆっくり時を待てばいい。
静かに自然のなかに入ればいい。
何も考えないで自然と共にあればいい。


『廃鳥に なったゲージの ニワトリも 自然のなかで 卵生み出す』

『人はみな 自然と共に 生きる時 自然のいのち 甦(よみがえ)るもの』

『引き籠る 子供がいたら 慌てずに ジタバタせずに そっと見守る』

『ゆっくりと 大きな心で 見守れば 時節が来れば 独り立ちする』


これが日記を書き始めて1551日目の心境。
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コメント

さなぎの時期

機能不全(AC)の問題に共通する印象は、

子供に対する、親の干渉が強いこと。

権威主義的な、父権性のコントロール。

過保護的な、母権性のコントロール。

子供の精神的な成長過程に必要なことは、

主体性を確立する為に必要な、自由である。

主体性の根幹は、自己責任能力である。

自己の価値観に基づく行為を、

自発的に行う力のなかに、自己責任がある。

引き籠もる子供たちは、’よい子だったのに’と

呼ばれることが多いが、

押しつけられた責任を、義務として行う。

自由な行為が、抑圧された環境では、

自己の価値観が何であるかを、発見できない。

行動のなかの失敗から、学ぶことや、

失敗を恐れずに行動する力が、身につかない。

家族という閉鎖的な集団では、

家族という枠組みが、一つの意識全体。

子供の扱い方だけを前提として、

考えるのであれば、問題の本質からずれる。 

子供のみならず、親の主体的な生き方が、

問われている。親自身の問題でもある。

子供は親の鏡、とは至言である。








本当の自分を見失う?

私が子供だったころ・・・というNHKの番組がある。

なんと、あの陽気そうな宮本亜門さんも、
高校生のころ、一年間も自分の部屋に引き篭っていたという。

どこかみんなと違う・・・そういう自分だけど、
学校でクラスメイト達に受け入れられるために、
自分を取り繕っていたという。

そういうことに耐えられなくなって、
登校拒否となり、
自分の部屋に引き篭もってしまう。

自分の部屋では、
存分に自分らしく振舞える。

一年程して、母親が病院へ行こうという。
気持ちがやや外向きになっていたのか、
素直に病院へ行くと、
とても気さくな先生がさりげなく聞き出す。

亜門さんのポツポツ話しはじめた話を、
先生はとても面白いと楽しそうに聞いてくれる。
亜門さんはうれしくなってどんどん話し出す。
先生は、もっと聞かせてほしいからまた来なさいという。

変だとかじゃなく、面白いといって聞いてくれることがうれしくて、
その先生のところに通い始め、
ある時、亜門さんは先生に聞くのです。

先生、僕は病気ですか?

先生は、いや違うよ・・・という。
仮に病気だったとしたら、
とっくに治ってるよ・・・。

亜門さんは人が変わったように、
学校へ行き始め、
学校でのびのびと自分らしく過ごし、
人気者になっていくのです。

引き篭りも、外的要因より、
思い込みの要素が大きいみたいですね。

その子供さんも、
屋久島の森で、
のびのびと本当の自分に出会えるといいですね。


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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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