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1553日目 - ありのまま


コメント欄に次のような書き込みがあった。

「私が子供だったころ・・・というNHKの番組がある。
なんと、あの陽気そうな宮本亜門さんも、高校生のころ、一年間も自分の部屋に引き篭っていたという。

どこかみんなと違う・・・そういう自分だけど、学校でクラスメイト達に受け入れられるために自分を取り繕っていたという。
そういうことに耐えられなくなって、登校拒否となり、自分の部屋に引き篭もってしまう。
自分の部屋では、存分に自分らしく振舞える。

一年程して、母親が病院へ行こうと言う。
気持ちがやや外向きになっていたのか、素直に病院へ行くと、とても気さくな先生がさりげなく聞き出す。

亜門さんのポツポツ話しはじめた話を、先生はとても面白いと楽しそうに聞いてくれる。
亜門さんはうれしくなって、どんどん話し出す。
先生は、もっと聞かせてほしいからまた来なさいという。

変だとかじゃなく、面白いといって聞いてくれることがうれしくて、その先生のところに通い始め、ある時、亜門さんは先生に聞くのです。
先生、僕は病気ですか?
先生は、いや違うよ・・・という。
仮に病気だったとしたら、とっくに治ってるよ・・・。

亜門さんは人が変わったように学校へ行き始め、学校でのびのびと自分らしく過ごし、人気者になっていくのです。」


このコメントのポイントは、「学校でクラスメイト達に受け入れられるために、自分を取り繕っていた」というところだろうか。
その自己欺瞞に耐えられなくなって、登校拒否になる。
正直と言えば、正直。
自分に嘘をついたまま生きないというのは、すごい!

一年間引き籠ることによって、自己欺瞞を清算したのだろうか。
何よりも、この医者がすばらしい。
何もしない。
ただ話を聞くだけ。

興味を示し、励まし、応援する。
何かをしなさいという指示はない。
どこかを変えろとも言わない。
ただあたたかく見守っているだけ。

自己欺瞞を清算しようとした方もすばらしいし、それを応援した方もすばらしい。
それが相まって、本来の自分に還ることができたということだろうか。
本来の自分に還ってみれば、自由に行動できる。
何も無理がない。

自分に嘘をつかないで正直に生きるのが、一番楽な生き方。
見栄や外聞や体裁を気にしていると、疲れてしまう。
それは、欺瞞的な人生。
本来の自分の人生ではない。

よく思われたい。
認められたい。
評価されたい。
大人になっても、心は幼児のまま。

その気持もわからないではない。
嫌われたくない。
仲間外れにされたくない。
みんなと仲良くやっていきたい。

そのために、自分を押し殺す。
しかし、それでは息苦しくなってしまう。
疲れてヘトヘトになってしまう。
自分が自分でいられなくなる。

そういうことを長くやっていると、精神に異常をきたす。
あるいは、肉体的な病気になる。
無理が限界値を超える時、突然、社会からドロップアウトする。
もしくは、社会的不適合となる。

自分の安全を守るための行為が、逆に自分を滅ぼす。
自分を抑え過ぎれば、自分でなくなる。
自分を見守るのではなく、力任せに抑え込んだ結果だろうか。
力ずくで何かをやれば、必ず反動がある。

他人に対してであれ自分に対してであれ、力任せの行為には無理がある。
力を行使するのではなく、見守ること。
我慢するのではなく、見守ること。
それを子供の頃から学ぶ必要がある。

自分を見つめる視点。
自分を見守る視点。
自我そのままに暴走するのでもなく、自我を抑え過ぎるのでもなく・・・
自我を包み込んで見守る意識。

そういうものをみんなが身に付ける時、世界は変わる。
一人一人が自分のものにする時、人生が変わる。
力任せに暴走しても抑圧しても苦しくなる。
あらゆるものを見守り、理解していくしかない。

肉体も、感情も、思考も、すべて見守る。
見守りながら、冷静に生きていく。
冷静さのクオリティが上がれば、霊静となる。
それは、限りなく霊聖へと近づいていく。

我儘(わがまま)も我慢も、度が越せば自分を壊す。
周りも自分も生かす方向性。
抑圧や妥協ではなく、共に生かす方向性。
それぞれの個性を尊重し、それぞれを生かし合う方向性。

まずは、そういう方向で自分自身が生き始めることだろうか。
そうすれば、そのような渦が自分の周りにできる。
小さな渦が、やがて大きな渦になっていく。
その渦が、やがて世界を変える。


『嫌われる ことが怖くて 本来の 自分殺せば 自分失う』

『正直に 生きねばやがて 本来の 自分自身が わからなくなる』

『様々な 思い・感情 肉体を 見守りながら 共に生きゆく』

『我儘も 我慢も共に 両極端 自分も生かし 周りも生かす』

『ありのまま 自分認めて ありのまま 生きれば楽に 生きていかれる』


これが日記を書き始めて1553日目の心境。

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コメント

正直とは、

日本人は、自分の意見よりも、

場にふさわしい意見は何かを、考える。

自分が、実際に思っていることよりも、

場にとって、正しい答えは何なのかを、考える。

個人よりも、個人が所属する枠組みの、

価値観や意思が、優先されている社会。

正直とは、ありのままのこと。

ありのままに、’あるべき姿’のオブラートで

包むことが、美徳とされている社会。

日本人の和の心の実体は、全体主義。

全体主義を、民主主義でラッピングしている社会。

全体主義では、個人の主体性が抑圧される。

個人の精神的な自立が、阻害される。

権威者や権力者に従順であることが、

評価される社会であるが、

個人の自己責任は、回避されやすい。

個人が主体性を確立して、精神的に自立すれば、

自律心が尊重される社会となる。

個人に、 和して同ぜずの心が育てば、

そのとき、真の民主主義の社会が現れる。

今、ありのままに生きてます。

今の仕事、92歳のおじいちゃまの、
夜中のトイレに付き合うのが眠いけど、
私自身はありのままの自分を生きてます。

92歳の旦那様は、それでいいと言ってくださいます。

体力的に続くかどうか、
92歳の旦那様の体調がどうなるか、
そういうことはともかく、
精神的にはかなりありのままの私。

胃も痛くならないし、
心も痛まないし・・・。

ありのまま生きることって、
こんなに心が元気になれるのですね。

どういう状況に変わっていっても、
ありのままでいたいなと思います。

本心

ありのままの自分に出逢うのも、容易なことではなかった。

ありのままの自分は、虚栄心や自己欺瞞の背後に隠されている。

認められたい自分と、隠しておきたい自分の、心の影に隠れている。

ありのままの自分は、自分の弱さを認めたときに出逢う。

アルコホーリックは、同じ境涯の仲間のなかで、

自分の弱さと向き合い、赤裸々な自分を晒してゆく。

そしてようやく、自分の本心が現れる。

本心が生き方に変わる頃、執着から自由になった自分に気づく。

ありのままの限界

ありのままも難しい・・・。

>自我そのままに暴走するのでもなく、自我を抑え過ぎるのでもなく・・・

この微妙なところが難しい・・・。

>我儘(わがまま)も我慢も、度が越せば自分を壊す。
>周りも自分も生かす方向性。
>抑圧や妥協ではなく、共に生かす方向性。

行なうは難し・・・というところ。

良かれと思ってあれこれ提案すると、
無理強いをするなと言われるが、
何も言わずにいると、
ただひたすら座っていて、
足もともおぼつかなく無気力になっていく92歳の旦那様。

家族の方との交渉事になるけれど、
休みの日に、朝早く出かけたいときのフォローが無くて、
そんな時つい、気が立ってしまい、
せかすような口調や対応をしてしまっっている私。
そんな自分が情けなくなるけど・・・
でも、私にも都合が・・・と叫びそうにもなる。

ありのままではいられなくなる状況を、
見守る余裕がない。


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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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