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1559日目 - 開放


四月になり、新入学や就職のシーズンを迎えている。
巫女見習いも、四月から屋久島の病院で働き始めた。
日勤3日、夜勤1日。
週の半分ほど働いている。

しかし、勤務時間は朝の7時から夕方の6時まで。
一日11時間働いても、以前よりは遥かに楽と言う。
医者というのは、よほど過酷な労働環境にあるらしい。
働き始めると、いろんなことが起きてくる。

働いて帰宅すると、頭がパンパンに緊張している。
一日に何十人もの患者を診る。
緊張しない方がおかしいかもしれない。
頭のなかが詰まってしまっている。

屋久島に来て三ヶ月が経ち、心身はかなり浄化された。
完全菜食となり、動物性のものは一切口にしていない。
きれいになったところで、一日に何十人もの病人に接すると・・・
きれいになった分だけ、余計に吸収してしまう。

もっとも、吸収された分、患者の方は楽になっているに違いない。
患者が楽になればいい?
しかし、それでは身がもたない。
では、どうすればいいのか。

いくらかはプロテクトするように心がけているらしい。
ぜんぶをまともに受けたら身がもたないことは、巫女見習いもわかっている。
ところが・・・
その心がけに問題があった。

美しく澄んだ水も、濁った水に交われば濁ってしまう。
濁った水を美しくするには?
美しい水を流し続けるしかない。
美しい水を流し続けるには・・・

プロテクトしていたのでは、それは不可能。
なぜなら、プロテクトとは心身を閉じることだから。
眼、鼻、口、耳、毛穴・・・
すべての穴を閉じる。

体の穴とは、吸収するためのもの。
穴が開いたままでは、濁った水を吸収してしまう。
しかし、すべての穴を閉じてしまったら生きてはいけない。
正確には、半開きと言ったところだろうか。

ところが、半開きにしてしまうと、今度は気が流れにくくなる。
穴を閉じれば、滞る。
新鮮な気を流すためには、全開にする必要がある。
濁った水を浄めるためには、美しい水を流し続けるしかない。

つまり、プロテクトすることは、美しい水が流れないことを意味する。
必要なのは、プロテクトではなくて全開にすること。
全開にすることによって、宇宙の気が流れる。
美しい水がどんどん流れる。

それによって、濁った水は美しくなる。
心を開く。
体も開く。
すべてを開いて、宇宙の気を流す。

愛のエネルギーを流す。
清らかな宇宙のエネルギーを流す。
それによって、すべてを浄めていく。
それしか道はない。

自分のなかに大量の宇宙エネルギーを流すことだろうか。
それが自分を浄め、周りを浄める。
プロテクトとは、自分を守ろうとする行為。
自分を守ろうとすると、すべてが閉じてしまう。

閉じてしまえば、宇宙からのエネルギーも流入しない。
宇宙からのエネルギーが流入しなければ、濁った水を浄めることはできない。
自分を守ろうとする行為は、結局、自分の首を絞めることになる。
閉じれば、すべてが滞る。

人は、なぜ閉じようとするのだろうか。
それは、自分を守るため。
しかし、守ろうとすれば、守れない。
真に開いた時にのみ自分を守ることができる。

自分を守ろうとするのは、肉体の本能。
しかし、実際に守ろうとしているものは肉体ではない。
守ろうとしているものの実体は、ほとんどがイメージであり思い込み。
多くの執着や囚われがあるほど、守りに入りやすい。

自分を守るとは、自分の所有物を守ること。
所有物とは、物に限らない。
名誉や地位や格好やプライド。
どう見られるか、認められるか、評価されるか。

本当に守りたいのは、自分というイメージ。
バカにされたり、後ろ指をさされたくない。
よく思われたい。
みんなから認められたい。

そういう守りたいものがたくさんあると、心身を全開にできない。
しっかりプロテクトしようとする。
何も守るものがないと、プロテクトする必要もない。
ぜんぶ開放しても、何も恐れることはない。

ぜんぶ開放されれば、宇宙からのエネルギーが怒涛のように流れ込んでくる。
すべてが流れ始める。
それが自分を浄め、周りも浄めていく。
為すべきことは、プロテクトではなくて開放。

開放し、自分のなかからエネルギーを流す。
そうすれば、頭が詰まることもない。
自分を守ろうとするから、流れが滞ってしまう。
流れが滞れば、頭も心身も詰まってしまう。

但し、ぼんやりと開放するのは危ない。
それこそ取り憑かれてしまう。
しっかりと方向性を持つ必要がある。
意識的に開放する必要がある。

宇宙からのエネルギーを自分を通して流す。
全身を宇宙のエネルギーが流れる。
それが周りの人を癒し、すべてを生かしていく。
そういう意識を明確に持つこと。

自分からエネルギーが流れ出ていれば、濁ったエネルギーを吸収することはない。
吸う息により宇宙のエネルギーを体内に取り入れる。
吐く息により宇宙のエネルギーを周りに解き放つ。
いつもそういう意識でいれば、濁った気を吸収する暇はない。

守ろうとしたり、自分のものにしようとするから、自分からエネルギーを発することができない。
人は、無限のエネルギー体。
無限のエネルギーを開放することができる。
心を開けば、愛のエネルギー源になることができる。

心を閉じて身を守ろうとすれば、エネルギーは流れない。
エネルギーが流れなければ、気が滞って病気になる。
開放すること。
心身共に開放すること。

医者とは、心を閉ざした人を開放するサポート。
心を開放し、エネルギーが流れるようにする手助け。
病気とは、気が滞っている状態。
気が流れないで淀んでいる状態。

気が流れないのは、閉じているから。
開放していないから。
自分を守ろうとしているから。
所有しているものを手放そうとしないから。

開放する。
自分から宇宙のエネルギーを開放する。
そうすれば、すべてが流れ出す。
流れ出せば、病気は自然に回復する。

まず気づいた人が、自身を開放する。
開放すれば、宇宙のエネルギーが自分を通して流れ出す。
流れ出せば、自分を守る必要はなくなる。
ただ愛のエネルギーを流していればいいだけ。

そうすれば、自分も幸せになる。
周りも幸せになる。
何も問題はなくなる。
すべてが流れ始める。

問題は、守ろうとすること。
守ろうとして心を閉ざすこと。
そこから、すべてが滞り始める。
ひたすら開放し、エネルギーを流し続けるしかない。


『心身を 開放すれば 宇宙より エネルギー来る すべて流れる』

『守ろうと すればするほど 守れない 開放すれば 守る必要(よう)なし』

『手放せば 手放すほどに 宇宙から 際限のない エネルギー降る』

『全開に すれば流れが 太くなる 自分も浄まり 相手も浄まる』

『手放して 心開けば 宇宙より すべてを癒す 慈悲の雨降る』


これが日記を書き始めて1559日目の心境。

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コメント

こんにちは

病で大変なご苦労をされたりしている方たちと
絶え間なく毎日接するお仕事は生半可ではありませんよね><

純化されていかれていくと、
余計に、タバコの煙が洗ったばかりの衣類につくように、
重いものが鮮明に感じることもあるでしょうね。

でも、そんな純化されている女医さんが居てくださることが嬉しいです。
患者さんにとって、とってもすてきなエネルギーですね。
これからどんどん美しいエネルギーとつながりあふれだすでしょうね。
#^-^#


周りのエネルギーを感じつつ、でも染まらない。
透明。
本当に透明なお水ですね。

プロテクト
私は散々してきた気がします。
どんなにきれいな光っぽい言葉をつかっても、
プロテクトはプロテクトなのですよね^^;;

散々プロテクトを自分の納得するまで、いろんな形を使ってきました。

結局、そのプロテクト、という方向性に行っている間に、
隙間ができます。油断がでます。
重い、軽い、いい、悪い、無理、大丈夫、判断が入ります。
自分の通路に入り込んでしまう。エネルギー漏れ。

最近は、静かに体といると、呼吸を止めます。
最初は苦しいんだけれど、それがカイカンに・・・
じゃなくって・・・そりは、脳内モルヒネだって。

そうじゃなくって、それがいいんだかわるいんだかわかりませんが、深い呼吸を散々こころがけてきたのに、
なにをやりたいのかよくわかりませんが、
静かに呼吸がやんでいくと、頼るという気持ちが消え、呼吸が消え止まり、しばらくして、全身の毛穴が、静かに呼吸しだします。

呼吸という大本のパワーと同時に、全てのちいさきものものも呼吸している感じです
宇宙の星ぼしと全てみたいな感覚がします。
開放って、きっと壮大なのでしょうね。

人生全てプロテクトで、毛穴もばりばり詰まっていると感じていたので・・・・。
この日記はタイムリーでした^^

宇宙のパワー

方向性はいつも光

全体の中で咲く。
周りの花が咲き、開いていくのを個としてではなく、全ての喜びの中で見守り、
自分も生きる。
その全てが喜び。


開放・・・まるで全てが安心の中に在る感じ。

無駄なものは何一つなく、全てが愛から生まれ出ている、
それを吸収している。
あますことなく。

ああ、そうかぁ、
この体のつくりも宇宙のつくりも、なんて深い御心なんだろう。
もうそのものが、全て、現れているのに、
宇宙の御心が現れているのに・・・
私ひょっとして気づいてないだけですね。
私がつくりだした矛盾がなんだか崩れ落ちていく感じです。

なんて完璧なんだろう。
ひとつひとつに気づくたび、嬉しくなります。

ありがとうございます。

垣根

今、母の通院に付き合って帰って来ました。
そして日記を見たらビックリ。お医者さんのお話!

今日、狭い待合室のすし詰め椅子に座って、計5時間待ちました。
気候が暑かったのもあり、頭がボーっとなりました。
隣りの母はやけに嬉しそうに、ずーっと話し掛けてきます。

一度外に出てみたら、空気が爽やかで生き返りました。
ああ、あそこの部屋の「気」なんだな、とわかりました。

お医者さんはいつも、どうしてらっしゃるのか。
堪らないだろうな。

私はその部屋にいることが、とても息苦しかったのですが、
母や、周りの患者さんは平気そうに見えます。
むしろ憩っていました。
それで・・・・

卑しい考えですが、
私は「自分の元気が吸い取られている」ように感じました。
傲慢でもあるけど、やはり健康な付添い人と患者さんでは、
発するものの高低があるようです。
高低というか、水が高いところから低いところに流れるように。

家にいて娘のそばにいて、話を何時間聞いても疲れません。
(娘も疲れないようです)
その他の場所でも、病院に長時間いる以外なら、こういう疲れは感じません。

自分の周りにバリアー、気の場を作ろうかな?と思い、
そんなセコイことはいやだ、何様?とも思い(笑)、ふと、

「心を開けば開くほど、その心は傷つかない」

というセリフを思い出しました。

あ、そうか。どんどん自分を周りのおじいちゃんおばあちゃんに開いて、
部屋に開いて病院の「仕組み」に開いて受け入れて、
自分から元気を、どんどん作っていけばいいや!

そう思いました。

セコイ心

それで、(顔じゃなく)心でニッコリニッコリして、
何が押し寄せてきても、ニッコリニッコリしていたら、
自分の身体も軽く、胃から食道あたりにサイダーを流したように
気持ちよくなりました^^;

霊能者、まともに患者さんに向き合われるお医者さん、看護婦さんならいざ知らず。
「あなた病気の人、私健康」なんていう区別が、思い上がりだったな、とわかりました。

そういう風に他者を区切って遠ざける。
そういう根性こそが、弱い心、「自分さえ良ければ」精神を生むのだな・・・
と思いました。

解放。通すことは、「ケチでないこと」にも関連するのかなと思います。

開放

書き込みをしたあと、
家のことで近隣の保障問題のようなものがでました。
一瞬きた、加害者になる恐怖。
関係者もみんな感じていました。
近所も我が家も関係者もないですね。
被害者も加害者もないです。

本当に国と国との争いや裁判は、
企業や政治の利益主義は私の中にあると・・・
いつも感じます。

私もあなたも近所も人も植物も何もかも大切です。
宇宙の全てにそこに差はないです。
どこから始まってどこから終わるもなく
しじゅうあふれている気がします。

壁はどこにもないし、逃げ道もないです。
たぶん、この先私逃げることはないと思います。
この先、自分も責めることもしないと思います。
起きたことも意味づけしないと思います。

そういう思考回路につながらない、
もう離れていける。そういう思考にいく必要がない。
今日そう感じました。

思考につながらない、ずれていない一体な体験をしたり、
逆に
また思考にどっぷりつかったりして、自暴自棄な意識にいこうとしたり、一日の動きは激しかったですし、
冷静をぶっとび、もやもやしたりを繰り返しましたが、
今日の出来事を機に、自分が本当に楽に生きる、
全てを受け止め生きることにつながると本気で感じました。

全てを見守り生きる。
あまりにも未熟ではありますが、本気の光を通していきたいです。
私はここの場所で、全てとともに生きたいです。
(でもまだ、クリアではないですが(笑)

なんだかちょっとベルさんのコメントに優しくリンクさせていただいた気がします。
この場所と皆さんにありがとう☆

Re:1559日目 - 開放(04/09)

仕事から帰って来てこのブログを読んで、全く今日の私の状況と似ていたので、ついコメントを書いてしまいました。仕事場で自分のプライドを守るべく、意地になってプロテクトしていた自分がいた。帰り道、月は満月できれいだった。いつもなら、月の光に癒されるのだけど、今日は違った。月の光までプロテクトしてしまったらしい。気づきをありがとうございます!!

こんにちは

具合の悪く気持ちが乱れた方と付き添っていたのですけれど、
前まではずっと、私はその乱れに侵食されるような気がしていたんです。
一緒にいる時間や、距離に限界を持っていました。
その限界が超えるとき、もうだめだ、の繰り替えしで。

怒りと悶えに一緒になり、
自分がもらってしまい、時間がたつたびに、しらずにげっそりしているのです。

もちろん、私もその逆を、知らずにいろんな人にやってきたわけです。
助けて、というエネルギーは人にべったりとついて、奪おうとするだけで飢餓のようなもの、それは私が散々人に蒔いた種でして・・。

とにかく、いつも非常に残りきってしまい、あなたも辛いけれど、
私も結構体辛い時あるわ~、という気持ちになることもありました。

でも、いくら具合がわるかろうが、相手が乱れていようが入ってこないんですね。
自分の体調があんまり良くなくても、関係ありませんでした。
相手のそばに優しく違和感なく居れるのです。
その優しさに自分も癒されます。

気づいたら、私の周りに少しフィールドができてるような。
違うかもだけれど、素直な感想そのままです^^;;

意図的なプロテクトみたいに、何か想像や視覚や感覚に頼って作り上げるのではなくて、
何も拒絶しないのですが、もうすでに、自分のスペースみたいなものが、放たれているのですね。
自身自体が、放つそのものみたいな感じです。

寄せ付けないようなガードじゃなくて、放たれている感じです。

開放すれば、本当に楽になるということが、少し実感した気がします。
自然になるんですね、こうやって。
何も持たないのが、一番あふれているのだろうなあ、本当に。

この日記を以前、何回か読ませていただいて、この体感をしたとき、この日記が自然に浮かびました^^

日記からエネルギーを沢山いただいてるのに感謝します。

そう

なんだかまた壁というか、段差が少しなくなりました^-^

仕事だから、生活だから、家族だから、近所だから、
今だけだから、なんとか相手と頑張るとか、
今だけだから楽しまなきゃ、とか、
そういう枠をつくり、規定をつくり、
壁を持ち、なんとか自分を支えたりして、
そこだけ頑張るとか、手を抜くとか、
規定をつくって、それ以外で、ストレスを発散したり、そしてまた気をはったり・・・。

(抜いたり、気を入れたりとかがどうのじゃなくて、
オンオフが変とかじゃなくて、
あまりにもいろんな場面で自然ではなかったということです。頭で反応してきただけだったから)

結局裏表をつくり
限界をつくっていたのですね。

矛盾がなくなっていく。
嬉しいな。

私はどこの場所でもどんな状況でも離れられなく、通っている
変わらないもの、
そこからしか動けない。

仕事だけ頑張るのではなく、
近くにいる人が、具合悪いときが長くなると耐えられないじゃなくて、
ここの場面だけ頑張るのではなく、
ただその一瞬を愛おしく共に居るだけ。
そこにいちいち判断がうまれない。

自分が、どれだけ長く具合が悪かろうと、
このニ三日悪かろうと変わらない。

その一瞬に宝がありますね。
その一瞬のきらめきは、いのちの輝きです!
生命の源そのものがあふれてる。


前と変わらず、私は今でも、ありとあらゆる犯罪の世界のような闇だし、
出てくるものも、いろいろだし、
やっぱり、震えてガタガタしてしまうことも多いけれど、
不思議とストレスがたまらないんです。
今までたまったものは果てしなくありますが。
少しずつ違和感がなくなってくる感じがします。

私の知りたかったこと、矛盾で苦しんだ先の答えが
私そのものから少しずつ見えてきている気がして、
まだ、うまく言葉にならないけれど、ありがたいです。

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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