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1560日目 - 青空


昨夜の満月は、澄み切っていた。
何層ものオーラが美しかった。
牡羊座の水晶祭りに出ている水晶たちは、全員月光浴。
海と川で浄化され、更に月の光を浴び、一段と美しくなっている。

体にシコリができると、ほぐすか休む必要がある。
すぐにほぐせば、回復する。
十分に休養を取れば、元に戻る。
しかし、そのまま無理が続くと・・・

シコリは、どんどん固くなっていく。
それをほぐすのは、大変になる。
体のシコリは、まだいい。
自分で自覚できるから。

しかし、心のシコリは、なかなか自覚できない。
そのまま固まってしまうと、心が不自由になる。
心にシコリができると、心をオープンにできにくくなる。
心をオープンにできないと、気の流れが妨げられる。

自己保存の本能は、自分を守るために必要なもの。
しかし、守ろうとすると緊張する。
それが続くと、心身は固まってしまう。
楽に生きるには、リラックスが必要。

自分を守ろうとすることは、どういうことだろうか。
そもそもは、身の安全を守ることから始まる。
それが家族や一族にまで発展する。
やがて、民族や国家にまで広がっていく。

しかし、本質的に守ろうとしているものは、自分自身。
家族や民族や国家も、自分の延長でしかない。
自分とは、肉体だけではない。
自分が所有するすべてのもの。

地位や名誉や財産。
プライドや自己イメージ。
バカにされないように、認められるように。
見下されないように、評価されるように。

絶えず自分を周りの視線から守っている。
愚かに見られないように絶えず守っている。
守っているものは、結局は自分という自我。
自分のものと思っているイメージ。

守ろうとすればするほど心身は緊張し、その結果、血流は悪くなる。
息苦しくなり、心身ともに疲れ果てる。
人は、自我を維持するために、日々戦々恐々として暮らしている。
それが、まぎれもない事実。

守ろうとしているものは、過去の遺産。
これから創り出そうとしているものではない。
守ろうとする意識自体が、後ろ向き。
守ろうとすればするほど、苦しくなる。

守るのではなくて、新しく創造する。
絶えず前向きに生きる。
その時にこそ心身は活性化する。
守りの姿勢は、エネルギーを萎(しぼ)ませる。

開放!
心身を開放。
のびやかに生きる。
自分のなかを流れる宇宙のエネルギーを開放する。

開放とは、所有とは逆の生き方。
自我ではない生き方。
開放とは、すべてを手放すこと。
すべてを手放せば、自分のものは何もない。

その時に、物事は最もスムーズに流れる。
私心がなければ、何も滞るものはない。
宇宙の流れのままに自然に流れる。
物事は、落ち着くところに落ち着く。

静かに横になって、自分を全開にしてみるといい。
すべてが緩む。
緊張がほぐれていく。
血液の循環がよくなる。

すべてを手放してリラックスすれば、何も問題はなくなる。
自分がしっかり握っているから、問題があるだけ。
手放せば、その瞬間、問題は消える。
手放せば、その瞬間、宇宙のエネルギーが流れ込む。

自我とは、所有。
自我とは、所有したものを守ろうとする意識。
自我とは、自我の自分を維持しようとすること。
それは、苦しみの生。

開放とは、自我の対極にあるもの。
すべてを手放すこと。
自我を放棄し、宇宙と共に生きること。
宇宙の流れと共に生きること。

自我は、苦しみの生。
開放は、喜びの生。
自我を手放しても、意識はあり続ける。
自我とは異なる意識が・・・

それは、自我以前の意識ではない。
幼児期や動物次元の意識ではない。
それらを遥かに超えた意識。
感覚も感情も思考も含んだトータルな意識。

時代のトレンドは、自我を超えようとしている。
自己中心、自分本位の自我から、別のものへシフトしようとしている。
私心のない意識。
宇宙と共に生きる意識へ。

『新しく 芽生える意識 曇(くもり)なし 開放された 青空の如し』

これが日記を書き始めて1560日目の心境。

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コメント

理解

kimiさんが以前からおっしゃっていた「手放す」ということ。

私は何か、違うように受け止めていました。
手放すということは、ある種の手段で、
手放した暁に何か・・・

清浄な、輝ける何かを「手に入れられる」ように感じていました。
そうじゃなかったのですね!

文字通り「手放す」ことが目的。
手段でもあり、それ自体が目的、ゴールだったのですね。

それは解放するという生き方、やり方。
対極は留める、囲うという所有の生き方、やり方。

非常にスッキリしました。

手段、方法論だと思っていたことが、
その過程そのものの一瞬一瞬が、目的である活動なのですね。

明け渡して流し、中継し、来るもの全て放出していくこと。

シコリを手放すのも、
やってくる愛を惜しみなく他に回すのも、
同じ運動に思えてしまっていますが・・・。

考えたら、愛を回すうちに、シコってた内部の詰りは、
同時に吹き飛ばされざるを得ないですね(^^)
流れが悪いですよね。

この運動が理に敵っていると、深いところでとても、とても感じます。

ストンと入ってきました。
ありがとうございました。

効用

「流す」という決断をした途端、

今まで宝物だと思っていたものが、
障害物に変わってしまうのですね。

流す、と決めるだけでよかったんですねw

青空にも条件が必要・・・

青空となるには、
高気圧が低気圧とのせめぎ合いに打ち勝ち、
且つ、低気圧による空気の浄化もなされている・・・
そういう条件下で素晴らしい青空となり得る。

いのちをこの地で育むには、
やはり自分を守る意識、自我は必須条件では?
執着しないとしても・・・・

・・・と書いて気付いたことがある。
自我は表面意識。
色の世界。

ただ、低気圧の厚き雲の上にも、
常に青空は存在するという事。
せめぎ合いを超えたところに、
常に存在する青空の意識。
空の意識と共にあれということなんですね。

すべてのいのちの根幹を成す、
色の世界の奥で繋がる空の世界。

その意識を持てば、肩で風切る自我が、
分をわきまえた自我でいることが出来るということでしょうか。

それは、自我の萎縮なのではなく、
自我の開放という深い意識に目覚めることなのですね。

色の世界の自我を責めたり、
悔やんだり、否定することではなく、
ただ、
気付けばいいのですね。
私たちはひとつの空の世界を共有しているいのちなのだと。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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