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1570日目 - 神の子・太陽


ここのところ、「全開」について書き続けている。
全開を阻んでいるものは、恐怖。
恐怖は、本能に基づくもの。
身を守るために必要なもの。

ほとんどの人は、自己保存と恐怖に基づいて生きている。
いずれも本能に源を発するもの。
それだけに根深いものがある。
それは、動物と異ならない。

しかし、人間の場合は、これに思考が絡んでくる。
思考によって本能は増幅される。
自己保存も恐怖も際限なく拡大していく。
どこまで行っても終わることはない。

動物たちは、満腹になれば狩りをやめる。
しかし、人間は際限なく所有しようとする。
本能と思考からなる欲望には、限界というものがない。
どこまでもどこまでも安全のために所有しようとする。

身を守る本能と思考が合体すれば、欲望は際限なくなる。
思考による恐怖の増幅が、必要以上に身を守ることを強要する。
いくら貯金があっても満足しない。
いくら財産があっても安心できない。

全開とは、このすべてを放棄すること。
身を守ることをやめること。
自己保存の放棄。
本能を超える。

全開とは、自分の全エネルギーを開放すること。
身を守るのとは、逆のスタンス。
無防備。
所有ではなく、手放すこと。

全開する時、人のなかから光と愛があふれ出す。
それは、自我とは異なる意識状態。
所有することのない意識。
無所有の意識。

内側にあるものを開放する。
自分に内在する光と愛の開放。
それこそが、神の子としての本質。
宇宙を創造する者の真実の姿。

神は、恐怖に支配されているだろうか。
神は、本能に支配されているだろうか。
それとも、恐怖からも本能からも自由だろうか。
神は、主体的に宇宙を創造しているだろうか。

恐怖を超え、自身を全開する。
無所有となり、すべてを開放する。
自我を超え、無私を生きる。
神の子となり、神の意志を生きる。

恐怖を超えること。
本能を超えること。
それは、全開によって可能となる。
真に神の子となることによって実現する。

全開すれば、何も怖いものはなくなる。
全開すれば、内側から光と愛があふれ出す。
何も問題はなくなる。
人は、太陽となる。


『所有する ことを放棄し 全開し 恐怖と自我の 次元を超える』

『身を守る ことを手放し 全開し 光あふるる 太陽となる』


これが日記を書き始めて1570日目の心境。



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コメント

こんにちは

欲望は際限ないし、恐怖も際限ないですね。
戦争も、激しい差別も、人を人とみないような、
だましあいも、
恐怖に蓋をして、逃げようとする道だと感じます。

恐怖の行き着く先の恐ろしい世界を、
終わらない恐怖の世界を
何度も何度もいろんな立場でいろんな時代に体験してきました。

自分の今回の人生だけではなく
かつて、かつての恐怖の塊が積み重なっていて、
でもそれでも、生まれてきたのは、恐怖で生きる道は、
もう終わりにしたくて生まれてきたなあって、思います。

あらためて、日記を読み、
自分が生まれてきて、進みたかった方向を
強く感じました。

時代や立場や状況に
翻弄されて生きていくしかないと思い込んでいた歴史に
幕をおろしたいな、って思います。

太陽、エネルギーの中心であって全てなのかな。
湧き出るパワー
あふれるままに。

手のひらから、体から、瞳から、全身から
光があふれだしたら、
愛おしさがあふれだしたらステキです。
ステキです。

いずれにしても・・・

所有も、恐怖も、身を守ることすら、
本来、人は持ち続けられない。

始皇帝も、
クフ王も、
財閥も、
アメリカも、
私達すべてが・・・

否が応でも手放す時に出会う。

それなのにがむしゃらに、
所有し、守ろうとし、しがみつき、
支配し、他を蹴散らし・・・

宇宙から見れば、
なんと小さきこの地球で、
混沌のエネルギーを撒き散らす。

太陽のコロナのように、
黒点のように、
うごめくエネルギー・・・だろうか?

なんと私たちの混沌のエネルギーの微々たること。
地球という観音様の手のひらで、
はちきれるほど撒き散らす混沌も、
たかだか、
月から見るだけでも何事もないように、
ただただ青い地球に包まれている。

同じことなら、生きてあるうちに・・・
混沌を手放し、
こころの扉を開いて、
あふれる愛を解き放ちたい・・・

そうしたら、地球からも、
輝くコロナが放たれるかも知れない。

私たちにそう出来るなら、
なんと素晴らしいことだろう・・・

テレビで、紛争地域の人々に会いに行き、
武装解除を推し進める若き女性を観た。

kimiさんは、
私たちに武装解除を勧めてくれるわけですね。
武装は混沌を生み出すだけだと・・・
武装を解けば、こころが平和に包まれると・・・。



他力

良師はすべてを奪う、という禅語を目にした。
Kを思い浮かべて、ため息が出た。
本当にそうだなあ、としみじみ思った。
絶望の淵まで追い込んでくれた。
酒に逃げたけれど、逃げ切れなかった。
真理の種子は、どんなに遅くとも成長を続ける。
自分に誤魔化しが利かなくなってゆく。
最近、ようやく「他力」の意味を了解できた。
正直、救われる思いがした。
自我の重荷を下ろすことは、
己の計らいを捨てることと識る。
真理は知られざるものであるが故に、
信が必要であると識る。
知られざるものに任せて、
己の計らいを捨てる、
思考で捉えられるものは、
すぐに自我で汚染されてしまう。



身を守る

身を守ろうとすることが、
見えないビッシリと張り巡らされた糸のように、
自分の意識を埋め尽くしていることを知りました。

手放しても手放してもある。
ふと小さな、どんな微かな反感の中にも、
「私を守りたい」根強い何かが息巻いています。

そして最近、kimiさんのグーパー。
これを瞬間瞬間に思い出しています。

パーになってるつもりが、完全に開ききっていないです。

完全パーが良いです。
完全パーとは、バンザイなのですね(^^)

憧れのバンザイです。

>全開すれば、何も怖いものはなくなる。
>全開すれば、内側から光と愛があふれ出す。
>何も問題はなくなる。
>人は、太陽となる。

今窓の外に、カーっと昇り出した太陽のように感じます。
力強い励ましです。
ありがとうございます。
バンザイの手をもう、下ろさないでいようと思います。


だんだん、太陽になる・・・

最初から、太陽でなくてよかったなあ。

苦悩したり、迷ったり・・・
囚われてみたり、執着したり、
悔しがったり、後悔したり・・・
時には恨んでみたり、恨まれてみたり・・・

色んな想いが・・・
色んな自分に出会い、
そして理解し、
色んなまわりをも理解し、
自分のキャパシティを押し広げる。

自分の少しずつの歩みが、
太陽へと向かっているなら、
私たちのじめじめした想いは蒸発して、
だんだんと軽やかな自分となって・・・

やがて太陽と同化して、
自分という意識も霧散していくのでしょう。

生きるということは、
だんだん太陽になっていく、
その過程を精一杯味わうことなのだと思う。

自分の歩みを、
太陽へと軌道修正出来たら、
きっと・・・
だんだん、太陽になっていく・・・

その歩みそのものが至福というものなんだと思う。

自分の望みが一体なんなのか。。。

分からない。。。

ひとつひとつ、考えてみるけど

飽和状態になって 切れてしまう

でも 居心地悪くなって また

考える。。。バンザイですか

まだ 自分を客観的に見れてません

とりあえず 言い訳しない 様に

します 言い訳の言い訳もしない

様に。。します。

日々の中の 欲求を。。。

大切にして行きたいと思います。

そうすれば 何か見えて来るかも

しれませんよね。

神の意思

今いろいろ続けて事がありますが、どれもあらゆる何かがつながっており、
とにかく自分の中を見て、手放す、続きです。

責められても、軽蔑されても、受け止め、まっすぐに生きられるかどうか。
問われていますね。

はあ、現象ってすごいな。
全て映し出してくれる。
私は今まで、なんて知らずにいろんな現実創造をしていたのでしょうか!

からくりに気づいてしまったら、自分に嘘はつけません。
まさに、自分のまいた種は自分で刈り取れですね。

光が足りないですね。逃げまくっただけの人生は、光が何も届いてなかった。

本当に恐ろしいと思っていた事実、
実際、避けたい人が多いかもしれませんが、
私自身も恐ろしくて嫌悪してしまっていましたが、
でも、違う、なんだか光になる気がするのです。

恐ろしいと思っていたからこそ、誰かを何かを必要で、
その前提の上に出来事を考えてました。

本気で問題ないのかもしれない。

イメージは邪魔をします。
最後まで邪魔をします。
光というイメージさえも出てきて、神というイメージさえも出てきて、
私の行動と動きは、光から反すると・・・。
孤独に陥らせるということをアピールします。

イメージに負けない。
天使が出てきても悪魔が出てきても、かまわない。
イメージに思考に、色に振り回されない。

宇宙のメッセージでも、ハイヤーだろうが、なにだろうが、関係なく。
うまくいえないのですが、神様という偶像にそむいてまでも、
本心を、私を、主体的に生きる力があるかどうかみたいな。

今ここにいて、この私として、生きていくこと、動いていくこと。

真に神の意思に沿うこと、それにはもっと本気モード(まだ足りなかった)で、
破っていかなければならない段階な気がします。

深く深くまで降りて見極めていきたいです。

ごめんなさい

あ、すみません><
天使のメッセージがどうとか言ってないんです。
失礼な言い方してごめんなさい。

本当に本当に天使は守護してくださるし、
神様のご守護もあると思います。
宇宙も本当に守ってくださり、大きな意識の全て理解された応援もあると思います。
それはそれでありがたくって。

孤独に墜ちると恐れて、現れるのは、私のあらゆるエゴの抵抗なんです。
あらゆる形に化けてくるものは、私の得意なんです。
エゴがあらゆるものにはびこっているから。
思考をすべて静止するまで、
あらゆる手段でいろいろ抵抗するんです。

でも感じていれば、解けてくるので、おのずときっと理解すると思います。
途中の過程でわけわからないコメントしてしまった気分です。

そして、どんなときも、決めるのは動くのは自分しかいないんだ、
ということでした><
主体性があまりにないということに気づいたんです。
今日は本当にその全てをみてしまったんです。

。。。うまくいえませんが。
どんな形でも抵抗していこうとするエゴの最後の姿を見ているような気分です。

限界、ギリギリまでいると、
なんかいろいろ持っているものが放たれてスパーク寸前になるのですね><

まったく何も持たないことはすごいことなのだと、
光はそれまたすごいことなのだと、
少しだけ感じながらも
この創造全ての原点は、神はものすごいものだと、少しだけ感じ気がしたんです。
エネルギーが極限であり最大なようなものを。
強くてあふれ出る、ものすごいものを。

それでもそんなこと感じることさえも全く振り回されず、
ただ、ただ、今ここにいたいです。

全く何も無い、それはなんだか私の想像を超えているような気がしました。

とんちんかんなコメントでした。
やっぱりとんちんかんだったTT。

野生動物のいのちのあり方

旭山動物園に関する何冊めかの本、
『動物と向きあって生きる』を、遅々としながら読んでいる。
獣医の坂東さんの本。

彼は、野生動物の生き方にとても感動している。
とりわけ、象のアサコのいのちのあり方に感銘する。

年老いたアサコはあちこち弱ってきて、
足裏のパッドも磨り減り、
足が化膿して骨まで壊死してきても決して横にならず、
激痛のあるようになると鼻を扉のさんに引っ掛けてでも立っている。
ついに横になったときは、ただ死を待つばかりとなる。
けれど、アサコはそういう間も、
優しい目で、痛みを嘆くでもなく、
淡々と生き、淡々と死んでいった。

そのあり方をどう捉えるか・・・

そんな時坂東さんは、柳澤桂子さんという科学者のドキュメンタリーを見る。
前途に期待の寄せられていた30代から次々と難病に襲われ、
食べ物ものどをとおらなくなって、
尊厳死を望むようになった時、
悟りのような心境になり 空を理解する。

『人は何故苦しむのでしょう・・・
ほんとうは野の花のように
私たちも生きられるのです』

野の花に私はいない。
私を主張しないで、ありのままの現実(環境)を受け入れる。
私がないから他者と自分と分けることもしない。
私がないから苦しみもない・・・と。

そのいのちを淡々と生きたアサコにも私はなく、
ただ、象として生きた。
苦を苦しみとせず・・・。


kimiさんがいつもおっしゃってる、
空の生き方・・・
野生動物はすでに実践しているんですね。



全開

私今まで仕事など人へ接してきたことで、
その時だけは無に近いことでやっていることもあったかもしれません。
でも家に帰ってきたら、エゴにひたる。
悩みを持っている一人の基準に悩む人になる。

恋愛に、体に、家族に悩み、痛みを解消するために、時間を費やす。(最初から向き合う気がなく)
そんな感じでした。

ほんのひとつのことだけをあげても、
祖母のお世話をしてきてその時は、無であった経験もあっても
自身が粗相するようなことでは、向き合えないときがまだたまにあります。
そこで少し揺れている。

相手は受け入れて?
自分に降りかかると揺れる?

まだ対岸のことだと思っていたのでしょうか。
相手に起きてくることが、自分ではなくてよかった。
意識まであがらなくても、そういう言葉にならない区別
差別が私の隅にひっそりと隠れているからこそ揺れるのでしょうか。
相手と私を、どこかで、持っているもので区別している。

どこかでシャットアウトしている。
闇という存在を作り、逃げようとしている。
それは私の生き様に出ている。
全然うまくいえませんが、矛盾を感じます。

真の慈しみなんてでるわけがありません。
だから、言葉はいつもうわすべりで、言葉を出すごとに舌はざらざらで、
体から水分がなくなるような、
ミイラのように乾いた気分になっていたんだなあ、と思います。

真に理解の下、私を動かしてないんですね。

Re:1570日目 - 神の子・太陽(04/20)

私は矛盾の中に生きてきたのだと、
うまくいえませんが、私自身が、360度、いや、
上下何もかもすべて、
一秒足らずオール完璧な愛でないと
そこに一寸の隙間を持たずして、全て愛の中で愛にならないと、
私の孤独の影はつきまとうのだと感じます。

その時経験しても、すぐそれは過去になる。
経験という一つのラインだけで生きるには、いつも矛盾というものが生まれてしまいます。

どこを切り取ろうとしても、愛しかでてこないようにならない限り、
矛盾はつきまとう、苦しみはつきまとう。
愛で生きないと重い。

どこまでも自身が追い詰められて虐げられる恐怖。屈辱。
守らないという「気持ち」だけのもの。
たったそれだけのことを持っているために、
相手にある大きな愛を光を見ることができないのです。

自身を曇らせ、世界の中の闇を作る加担者になってしまっているんです。

なんて浅はかな。
そう感じました。

静かな静かな、本当に自身の元の場所に
戻れるよう、向かっていけるよう、落ち着いていきたいです。

何度も失礼しました><

こんにちは。

あとりちゃん、人間そんな完璧じゃないと思うよ。
(kimiさんの前で何を言う。。--;)

心の中で突風が吹いて コントロール効かない日
もあれば 訳の分からないCMのフレーズが頭の
中でエンドレスで回ってる日もありませんか?

ほんと、コントロール効かないけど、少しすると
治まる気もするから。。。

若輩なわたしが何言ってるんですかね。^^;

ピントはずれな書き込みで ごめんね。

あと はた迷惑で すみません。><

どうもありがとう

るりちゃん

言葉を読ませていただいて、ふっと力が抜けました。

追い込んだようなコメント書いちゃってごめんね。

時に口調がきつくなって、それが誰かを追い込んじゃうときもすごくあるんだ。
力はいっちゃうんだ。
るりちゃんお声かけてくれて、緩まりました^^V

完璧になる必要も全然ないよね。
若輩者なんて、そんなことないです^^

私はそういう自分を見てね、それに気づけてほっとしたんだ。
自分も人も変わりなく愛せるような優しさに包まれた。

いつも苦い気持ちになり、何か矛盾してズレ、壁があるようなものが
よく見れて
それは、大事なものを見てこれなかったからなのかあって
本当に生きたい生き方をしてこなかったんだって。
体からも教えてもらってます。

私に潤いと優しさを与えてくれたその祖母の存在に触れたことを
私の人生に生かしていきたいっていつも思っていました。

それが祖母の存在を私が受け継ぎ生きることだって。
だから、気づけてよかったなあ、って。

今ね、ここで、祖母と私の何か経験?が良い感じで統合?豊かになった気分なんだ。

いろんな感情を持ったり、考えたり、
そういう部分あるけれど、それはそのままで感じてOKだよね^^
うん♪

CMのフレーズがまわりめぐっているときあるある!
すごいあるよね。ふふ。

愛の中に愛としていつもある。
そんな存在の全てを静かにいつくしむ。
えっちゃんのかかれたように野の花のように生きること、なんて幸せだなあ、って。

本当人は不思議です。
見守る器の中で、作り上げるものでもあって。全ての宇宙そのもののよう。

何からも自由な神様の意思は
どこまでいってもあたたかいかなって。

はた迷惑じゃないよ~
こうやって触れてくださって、心から感謝です#^-^#
皆さんの力を本当にいただいているのです^^
いつもありがとうございます。

こんばんは^^

あとりちゃん、えっちゃんさん

こちらこそありがとうです!

本当に 野の花の様に生きたい

です。 何故 苦しむのかな。

苦しまない様に生きたいです。

今日も一日ありがとうございました☆

人生はミステリー小説

犯人やら、答えやら・・・
解らないから面白い。

ああでもないこうでもないと考えるから面白い。

でも、小説の中に埋没しては混乱する。
誰もが金田一君でも、ホームズ君でもないだろうから・・・

読者の気分で、小説の主人公を演じているのが面白い。

ん?
作者の方が面白いかな?
ねえ?アガサ・クリスティさん・・・

あとりさんは作者がお好き?
私は読者が気楽だな。
ゆかさんは作者になってみるのはどう?
ベルさんは、エッセイストがお似合いかな?
るりさんは読者派かな?

人生小説、楽しみたいものですね。
ハラハラ、ドキドキもね・・・。




ありがとう

えっちゃんありがとう^^

えっちゃんの書かれたコメントを読ませて
いただけるのがいつも本当嬉しいです。
最近はずっとここに来る時間をいっぱい集中して持てたので、
いーーーっぱいコメントを読ませていただきました^^
うう、幸せ。
まったくありがたいことです。

悲しい脚本ばかり書いていた私は、それにばかりに没頭して
勝手に苦しんでばかりでしたが、かなり最悪だったのですが、
みんなと一緒に楽しめる作者になれるかぁ。
なんて、ずれているかもだけれど思いました^^

つくりたい人生ストーリを、めいっぱい楽しまないとなあ。

やけにコメントを書き倒してしまいましたが・・・
ありがとう♪

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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