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1598日目 - 設計図・対処・展開


二週間ほど続いた晴天が、やっと終わった。
山の方は降っていたが、里はまったく降らなかった。
昨日から里の方も少し雨が降り出した。
しばらく雨模様の天気が続きそう。

何事にもアーキタイプ(原型)がある。
人にも物事にも。
つまり、設計図があるということ。
すべては、設計図を基に現実化される。

人は、生まれてくる前に基本的な人生計画を決めてくる。
しかし、生まれてしまえば、そのことは忘れてしまう。
それでも、人生は基本計画に沿って展開していく。
なぜなら、そのように自分自身にセッティングしてあるから。

自身の幽体に、プログラミングされている。
肉体も精神も出来事も。
それが、基本。
その基本をベースに人生が展開する。

しかし・・・
予定通りに事が運ぶとは限らない。
なぜなら、この世のことは、今の人格に決定権がある。
予定通りに事が起きても、対処はこの世の人格しだい。

例えば・・・
病気になったとする。
あるいは、交通事故に遭ったとする。
その時、どのように対処するか・・・

その対処の仕方によって、人生の展開は大いに変わってくる。
他人(ひと)のせいにして、周りを責めることもできる。
社会のせいにして、世の中を呪うこともできる。
運命や宿命のせいにして、天を恨むこともできる。

もしそのような対応をすれば、その後の人生は暗転する。
その後にすばらしいことが起きてくる計画でも、それらはすべて暗く解釈されてしまう。
どんなすばらしい出会いも、ネガティブに捉えれば、すばらしさは消えてしまう。
人生は、捉え方しだいで、どのようにも変化する。

病気や事故に遭った時、それをポジティブに捉えることができたら、また人生は変わる。
そのことをきっかけとして、人生が好転する。
その後に起きる出来事が、すべて明るく捉えられる。
起きてくることをポジティブに捉えられたら、人生に幸せの花が咲く。

今生は、生まれる前に計画してきた通りになるとは限らない。
人生の基本設計はしてある。
そのプログラムに沿って、いろんなことが起きてくる。
しかし、それにどのように対処するかによって、人生が決まっていく。

起きてくる事実を素直に受け止めることだろうか。
病気や事故に遭ったら、病気や事故と共にあることだろうか。
病気や事故を、しっかり受け止めて生きることだろうか。
何かのせいにして責任逃れをしないことだろうか。

事実をしっかり受け止める。
事実をじっくり感じる。
病気の時は、病気と共にあればいい。
事故に遭ったら、事故と共にいればいい。

それらをゆっくり感じて、自分自身を振り返ることだろうか。
病気や事故と一緒にいれば、その原因らしきものがなんとなくわかってくる。
日々の自分の思いと行いを、もう一度フィードバックすることだろうか。
病気や事故がどういうメッセージなのか、よーく感じてみることだろうか。

何かのせいにして責任転嫁をしても、人生は開かない。
自分自身を掘り下げる時にだけ、人生は深くなる。
自分の外には何もない。
あらゆるものは、自分の内にある。

自分自身の人生設計を思い出すことだろうか。
何をしようとして今回生まれてきたのか、深く感じてみることだろうか。
少なくとも、そのような問題意識を明確に持って生きることだろうか。
そうすれば、いろいろ気づくことがある。

問題意識もなく不注意に生きれば、何も気づくことはない。
ただ流されて時が過ぎるだけ。
大切な人生を無駄にしてしまう。
無駄ではなくても、更なる可能性を逸してしまう。

常に自分自身と共にあることだろうか。
自分から逃げないことだろうか。
そうすれば、多くのことに気づける。
人生が深まる。

日本では、年間三万人もの人が自殺する。
世界全体では、どれほどの数になるのだろうか。
せっかくのチャンスを活かしきることなく、途中で放棄してしまう。
最後の最後までチャレンジし続けるのが人生。

それによってのみ、新しい道が開く。
これまで体験したことのない人生が開示される。
未知のものを体験すること!
そのために生れて来たのだから。

いまだかつて体験したことがないものを創造するために、今の時を選んで生まれてきた。
そのチャンスを十二分に活かすことだろうか。
最後まで諦めないで、日々を真剣に生きることだろうか。
人生は、無限の可能性に満ちているのだから。


『設計図 通りにいくとは 限らない 実行するのは この世の自分』

『必要な ことが起きると 決める時 あらゆることが ポジティブになる』

『ネガティブに 受け止めること やめる時 世界が変わる 意識が変わる』

『起きてくる 事実そのまま 受け止めて 事実と共に 深く見つめる』

『ポジティブに 積極的に 受け止めて 未知の体験 すればいいだけ』

『恐れずに チャレンジすれば 人生は 未知の体験 夢の実現』


これが日記を書き始めて1598日目の心境。

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コメント

意味はわからないけれど・・・

私は獅子座です。
太陽のようであり、
王のように君臨するイメージのように言われるけれど、
今までの人生では、
どちらかといえば誰かに服従している立場が多い。

これは、プログラムされているシチュエーションなのだろうか?
このことに意味があるのだろうか・・・

とはいえ、
どんな人生の場面でも、
後で思えばそれなりに面白い。

最近テレビに、素人の方を直撃取材する番組があるけれど、
どの人にもそれぞれ、ドラマの主人公になりうる人生がある。
それぞれ面白い・・・客観的にみれば。

それぞれの人生に何の意味を見出せるか?
それは私にはわからない。

ただ一生懸命生きている人生には味がある。
辛いなりに、渋いなりに、酸っぱいなりに・・・
ちょっぴり甘いも含めて、
それなりに味わいがある。

目的も、意味もわからないけれど、
人生の味わいはなかなか深いものがある。

設計図どおりにいかなくても、
横道人生にも、迷い道人生にも、
自身の幽体に提出できる人生レポートはある。

私も自身の幽体には、
設計図通りじゃなくても、
ため息混じりながら、
楽しんで読んでもらえレポートを提出したいものです。

こんにちは

最後の最後まであきらめない。
勇気がでますね!

ちょうど、先日書かせていただいたその方のことで
夢を見たんですが、イマイチ理解してなかったのですが、
今日記を読ませていただいて、ストンときたきがします。

最後の最後まで真剣に生き切るとき、全て、人生全てそのものが何か新しいものになる
そういう感じでした。
あーだ、こーだ、思考は予測をたてようとするけれど、
そして、喜びとがっかりはセットだけれど、そのようなものは本当に薄いもの。
もうこの先は無駄!

真剣に歩むのは、思考じゃない、本当の私自身ですね。
今ここにいて、進む私、そのものです。
そして、その方です。
その方のその足で、進むのですね。
最後の最後まで、わからない。
その最後の一歩で、大きな全体が、光に変わっていくという感じの夢を、物のたとえで見ました。
(意味不明ですみません)
誰だって可能性に満ちているから、介入することもなく、止めることも必要ない。
まっさらでいつもあればいい。

何度も喪失の体験をしていき、それに慣れていくようなものが、人生なんて感じがしがちですし、
その喪失にいかに対応していくか、みたいなものが、人生学やら、
心理学だったりするような(違うかもだけれど)気がするけれど、
自身の足で生きるということは、本当にま逆ですよね。
何もいらない。
一歩一歩、瞬間瞬間豊かになれる。
比較を使えば、進み、深まるばかり。
すばらしい人生のはじまりですよね。いつだって。

周りはどうでもいいですね。
周りはいい、自分がどう生きるか。
いつもその一歩は自分自身の本当の生き方からはじまるのですよね。

何も持っていなければ、いつだって、無限そのもの。
今ここが天国ですね。
せっかくだもの、体験したことのない、オリジナルをいつだって、歩んでいかないと
生まれてきたかいがないや。


負けないようにしようっと。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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