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1633日目 - 意地悪

午前三時頃に目覚める。
窓の外を見ると、満天の星空。
外に出ると、天の川が・・・
久しぶりの銀河。

夜が明けても晴天は続いていた。
五時半頃に水を汲みに行く。
朝の山は、とても清々しい。
さすがに梅雨時なので、水量は多かった。

天の川や朝陽を見れば、ただ感動するばかり。
意地悪とは、まったく縁がない。
ところが・・・
人には、意地悪という反応パターンもある。

先日のコメント欄に、次のような書き込みがあった。

「真剣に生きようとする上で、私には意地悪な心がどうしても邪魔してしまいます。
たとえば、職場で他人に上手に甘えてうまくやってる人をみると、なんだかうらやましいと同時にその人に意地悪したくなります。
もちろん意地悪なことなんて何もしません。

ネットでもブログとかで幸せでルンルンというような記事を見ると、なぜか意地悪な心が出てきます。
エネルギーとかハイヤーセルフとか私はあまり感じられません。
エネルギーとかスピリチュアルなことばかりをあれこれ言う人をみると、どうしても意地悪な心になってしまいます。
特にそういうことでお金を取っているスピリチュアルショップとかも潰れちゃえばいいと思ってしまいます

なんでかわかりません。
うらやましいからというのはもちろんあるのかもしれません。
でも、なんというか自分自身の根本の性格が意地悪なのかもしれません。
人のことを純粋に受け入れられないというか。

キミさんには意地悪な心が顔を出すことはないんですか?
意地悪な心、、、意地悪な自分で生きるしかないんでしょうか。」

人は、なぜ意地悪になるのだろうか。
それは、持って生まれた性格だろうか。
それとも後天的なものだろうか。
いずれにしても、意地悪という反応パターンは存在する。

では、どんな時に意地悪が顔を出すだろうか。
羨ましい時?
妬む時?
素直になれない時?

そこにあるのは、何だろうか。
本当は、自分もそうありたい。
でも、そうできない。
だから、意地悪になってしまうのだろうか。

自分の本当の願いを生きてないから、意地悪になってしまうのだろうか。
では、本当の願いを生きればいい。
でも、それができない。
だから、なおさら意地悪になってしまう。

それは、悪循環だろうか。
あるいは、パターンだろうか。
幼い頃、自分の願いが叶わなかったのだろうか。
それが何度も繰り返されたのだろうか。

だから、諦めてしまったのだろうか。
でも、本心ではそうありたい。
でも、できない。
そういう自分を慰めるために、意地悪な見方をするようになってしまったのだろうか。

それは、自分を守る手段だろうか。
言い訳であり、自己正当化だろうか。
それを何度も繰り返しているうちに、それが性格になったのだろうか。
そして、長い間に、どうしてそうなったのかわからなくなってしまったのだろうか。

今では、意地悪が自分の一部になってしまっている。
まるで、自分が意地悪そのものであるかのように。
性格=意地悪になってしまった。
なぜそうなったのか思い出せないままに。

意地悪な性格のままで、宇宙の星々を見て感動できるだろうか。
天の川を見て、心の底から共感が湧くだろうか。
それとも、意地悪な反応が出てくるだけだろうか。
美しい花や夕陽を見て、素直に喜べるだろうか。

意地悪が悪いわけではない。
それは、善悪の問題ではない。
単なる反応パターン。
長い間に性格になってしまった反応の仕方。

それは、真っ直ぐではなくて、斜(はす)に構えた生き方。
斜めから物事を見るスタンス。
一杯飲みながら憂さを晴らす時に出やすいパターン。
苦(にが)い諦めと、鈍い怒り。

しかし、それはエネルギーを捻じ曲げる。
真っ直ぐに入ってきたエネルギーを真っ直ぐに受け止めるのを妨げる。
宇宙からのエネルギーが、途中で歪められてしまう。
魂からのメッセージが、自我によって歪曲される。

意地悪とは、結局は自我。
今生の意識が、意地悪という反応パターンを身に付けてしまった姿。
自分の真の願いを押し隠して、拗(す)ねている状態。
独り芝居を演じているだけの意識。

そういうことを理解することだろうか。
深く深く自分自身をわかることだろうか。
自分の意識構造を。
自分の反応のパターンを。

その奥にあるものは、何か。
なぜそのように反応するのか。
自分の真の願いは何か。
その真の願いを生きているか。

性格は、先天的なものと後天的なものの合体物。
先天的なものは、過去世の影響。
過去世の性格も、今生と同じように形成されたもの。
そうであるならば、絶対的な性格というものはない。

それは、単なる反応パターン。
その繰り返しによる固定化。
過去世も今生も同じ。
それは、不変のものではない。

性格は、可変的なもの。
単なるパターン。
意地悪は、絶対的なものではない。
その気になれば、変更可能。

自分の真の願いを見つめることだろうか。
周りから好かれること?
みんなに認められること?
みんなと仲良しになること?

そういうことが実現できなかったから、意地悪になっていただけ?
親の愛を独占できなかったから、意地悪な心が芽生えた?
美味しいところをいつも誰かに持っていかれたので、意地悪にならざるを得なかった?
思うようにならないから、意地悪になっているだけ?

意地悪になるには、人それぞれ事情がある。
そういう経緯(いきさつ)を理解することだろうか。
素直に認めることだろうか。
良い悪いではなく、自分の意識構造を深くわかることだろうか。

自分の真の願いと意地悪。
それは、表と裏の関係かもしれない。
意地悪とは、表がひっくり返っただけのことかもしれない。
意地悪の反対側に自分の真の願いが潜んでいるのかもしれない。

その辺りを理解することだろうか。
意地悪が出る度に、その反対側の願いを知ることだろうか。
素直に認めれば、その願いが実現する可能性がある。
斜めに構えている限り、願いが実現することはない。

真っ直ぐに願わない限り、実現するものも実現しない。
魂の真の願いを歪めているのは、自我の反応パターン。
魂から降りてくるエネルギーを歪めて受け止めているのは、自我そのもの。
素直でない限り、魂の願いを実現することは不可能。

それでは、何のために生れてきたのかわからない。
自我の願望を実現するために生れてきたわけではない。
魂の願いを地上で実現するために人は生まれてくる。
夢とビジョンを持たせて、魂は分身を地上に送り出す。

その夢とビジョンを実現する際に、意地悪は妨げとなる。
素直に宇宙からのエネルギーを受け止めない限り、魂の願いは実現しない。
シンプルにストレートに生きる必要がある。
わざわざエネルギーを歪曲する必要はない。

「キミさんには意地悪な心が顔を出すことはないんですか?」
もしキミさんにも意地悪な心があれば、救われるのだろうか。
誰の心にもあることなら、自分だけが責められることはないかもしれない。
自我は、あくまで自分を守ろうとする。

自分を守ること。
自己保存の本能は、根深い。
それが、ありとあらゆるカモフラージュをつくり出す。
意地悪も、その一つでしかない。

自分を守ることも必要。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。
過度の自己保存は、逆効果となる。
自分を守っているつもりが、自分を苦しめる。

深く理解して、手放すことだろうか。
いつまでも意地悪をしていてもしかたがない。
それでは自分で自分の首を絞めているようなもの。
どんどん苦しくなるだけ。

エネルギーの流入は少なくなり、ますますエネルギーに鈍感になってしまう。
魂からのメッセージは途絶え、宇宙の孤児となる。
地上に降りた意味を喪失し、迷える子羊になってしまう。
何のために生きているのか途方に暮れる。

もう一度、ゼロからやり直すことだろうか。
すべてをリセットして、素直に生き直すことだろうか。
それには、相応の覚悟がいる。
命をかけるぐらいの情熱がいる。

そういう真剣さがなければ、意地悪のままで一生を終るかもしれない。
捻じ曲がった反応パターンのまま、終生拗ねて生きることになるかもしれない。
自分の人生だから、どのようにでもできる。
自分の人生の決定権は、自分自身にある。

意地悪は、人のせいではない。
自分がつくってきた反応パターン。
そうであるならば、自分で修正できる。
どのようにでも人生は変更可能。

いかに生きるか。
それは、この日記を読んでいる一人一人にかかっている。
いかようにも生きられる。
人生は、自分の望むように生きるもの。

意地悪な人生に、どんな意味があるだろうか。
自分自身に問うてみるといい。
今の人生に満足しているか。
意義のある毎日を送っているか。

意地悪なままでもいい。
それが自分の望みの人生であるならば。
しかし、そうでないならば、改めることだろうか。
真に自分の望む人生を創造することだろうか。


『どのような 意味があるのか 意地悪に 自分自身に 問うてみること』

『人はみな 望み通りに ならないと 拗ねて甘えて 意地悪になる』

『意地悪は 否定によって 気に入らぬ できない自分 慰めること』

『意地悪に 逃げて自分を 慰めて 独り淋しく 過ごす人生』

『気づかずに 繰り返すうち いつの日か 性格となる 反応パターン』

『エネルギー 歪曲させる 意地悪は 自分自身を 苦しめるだけ』

『今生で つくったものは 今生で 変更可能 どうにでもなる』

『真実の 願いはなんと 意地悪の 裏にあるもの 裏が真実』

『意地悪の 裏にあるのは この叫び 共に一緒に 生きていきたい!』

『魂の 願い素直に 生きる時 深い喜び 湧いてくるもの』

『真剣に 生きる姿が 今生の 真の願いを 実現させる』


これが日記を書き始めて1633日目の心境。




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コメント

Re:1633日目 - 意地悪(06/22)

>もう一度、ゼロからやり直すことだろうか。
>すべてをリセットして、素直に生き直すことだろうか。
>それには、相応の覚悟がいる。
>命をかけるぐらいの情熱がいる。

自分の内面を見れば見るほど複雑で
怒り、後悔、罪悪感、妬み、悲しみ、寂しさ、孤独、ずるさ・・・意地悪もあります。
それらの裏にあるものを感じて理解するにはなかなか至らず、
時間ばかりが過ぎて行くようで、疲れてきてしまいました。
・・なんて、弱音を吐いていても何も変わらないのだから、、
創り上げてけ来てしまった現実を受け入れて一歩一歩進むしかない。 と奮い立たせるのですが、
ほのかな灯火は、すぐに消えかけてしまい
呆然と立ちすくんでしまっている感じがします。

自分が本当に望んでいる事は何なのか、どうしたいのか、、真の願いって・・?
考えれば考えるほど、わからなくなってしまいます。

全てをリセットして、ゼロからのスタート。
その覚悟と情熱を、いったいどうしたら呼び起こせるのでしょうか?

Re[1]:1633日目 - 意地悪(06/22)

シオンさん

突然のコメント許してください。
私も同じ気持ちになることがたくさんあります。
だけど、前よりは楽になってきました。
それは、祈ることを通してです。
自分の中のいろいろな気持ちを、触発して、思い起こさせてくれる、その人たちや物に対して、自分の辛い気持ちが押し上げてきたら、その人たちに手を合わせています。手を合わせて、まず、その人たちに、お礼をいいます。そして、自分の湧き上がってくる気持ちに、集中をして、消えたかな、と思うまで、そっと、目を閉じています。
私は、この間は、ずっと、手を合わせています。

地道な作業ではありますが、
手を合わせて、相手ではなく、自分の気持ちに集中することで、
気持ちがいくらか落ち着きます。
これを続けていると、だんだんと、他人の言動が、気にならなくなってきました。
もちろんこれをするのは、一人で、静かな時間がもてるときです。
もっと良い方法を知っている人もたくさんいるかも知れませんが、
手を合わせる、(となぜか私は自然に目を瞑ってしまいます)だけで、
なんとなく沈静作用がある気がします。

長くなってしまってごめんなさい。


シオンさんの幸せを、願っています。



ありがとうございました。

Re[2]:1633日目 - 意地悪(06/22)

たいようさん

すてきなコメントですね。
落ち着いたエネルギーです。
グランディングされていますね。

静かになるまで自分の気持ちと一緒にいるのは、とてもいいですね。
相手に感謝して合掌するのもいい。
心が落ち着きますね。
すべてが静まっていきます。
すばらしい。

静かに自分自身と一緒にいることですよね。
静かな時間は、とても大切です。
毎日、静かな時間を持つことですね。
自分自身と一緒にいる時間を・・・

ありがとうございました。

たいようさん

優しいお気持ちとアドバイス
心からありがとうございました。

すぐにお礼が言えなくて、すみません。

まるで、お日様の光に包まれているようで・・
心が暖かくなりました。

本当にありがとうございました。
心からの感謝を込めて・・

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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