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1645日目 - いのちの海


屋久島は、まだ梅雨。
落(おとす)の滝が、大きく膨らんでいる。
今朝、庭のハマユウが咲いた。
しばらくは、甘い香りが楽しめそう。

次のようなメールが届いた。

「14年間一緒に暮らしてきた愛犬が、もうすぐいのちを終えようとしています。
一ヶ月ほど前から具合が悪くなり、病院に連れて行ったら腎臓がほとんど機能していないとのことでした。

もう何も食べられず、日増しに衰弱していく愛犬を見るのは、仕方のないことといえつらいです。
また、かなり体もしんどそうで、苦しそうになるので、夜もほとんど寝ずに毎晩看病の日々です。

といっても、何もしてやれないので、私なりのヒーリングをしてやったり、部屋のエネルギーを整えたり、一緒にそばにいてなでてやって、声をかけてやって安心させてやることしかできません。

落ちついて静かなエネルギーをおくりたいと思うのですが、どうしても感情が先にたってしまい、体をなでてやりながら泣き出してしまうこともあります。
そのたびにこんなことではいけないと思い・・・

こういうとき、また今後、私はどのようなエネルギーで愛犬に接してやったらいいでしょうか。
何かアドバイスいただけましたら、よろしくお願いいたします。」


命あるものには、死がある。
それが、この世の掟。
死とは、別れ。
これまで一緒にいたものと会えなくなること。

死に際し、心身が苦しくなることもある。
それは、見ている方にとっても辛い。
だから、何とかしようとする。
楽にしてあげたいと思う。

できるだけのことをすればいい。
しかし、それまで。
それ以上は、執着。
いつまでも一緒にいたいという囚われ。

自分のものが自分から去っていくのは、辛い。
しかし、それは自分のものと思っているから。
形あるものは壊れ、命あるものは死ぬ。
自分のものなど何一つない。

ただ今一緒にいるだけ。
それだけ。
ただそれだけ。
それしかない。

感傷に浸りたければ、浸ってもいい。
楽しかった日々を反芻(はんすう)してもいい。
しかし、そこまで。
それがなくなることを悲しまないことだろうか。

よろこびの時を与えてくれた存在に感謝する。
心から感謝する。
感謝して手放す。
ありがとう!

手放すことができなければ、苦しみが待っている。
それは、自我の苦しみ。
いつまでも持っていたいという執着。
それは、自然の営みに反する。

自然の営みに反すれば、事実と思いにギャップが生じる。
それが苦しみとなる。
思いベースで生きるのが、自我の生。
それは、苦しみの生以外の何ものでもない。

刻々を一緒にいる。
そうすれば、感傷も執着もない。
感傷や執着は、思考がつくり出すもの。
過去のことを思い出し、もう再現されることがないと思うと悲しくなる。

しかし、この世のことは、すべて一回生起。
再現されることはあり得ない。
今ここにあるだけ。
それがすべて。

そういう事実を深く自覚すれば、更に深く一緒にいることができる。
今という時間が、より貴重になる。
漫然と過ごすことの愚かさがわかる。
時間の密度が変わる。

傍(はた)から見れば、ただ淡々と過ごしているように見える。
しかし、その時間の質はわからない。
一緒にいる密度は、計り知れない。
時間の密度には、無限の深さがある。

表面意識で生きるから、執着や感傷が生まれる。
深い意識で生きれば、囚われもこだわりもない。
今目の前の現象と共にあるだけ。
縁のあるいのちと共に生きるだけ。

美しいものは、美しいままに。
醜いものは、醜いままに。
病むものは、病むままに。
苦しむものは、苦しむままに。

何とかしようとしない。
ただ一緒にいる。
そうすれば、自然に為すべきことがわかる。
何とかしようとするのは、自我。

現実に耐えられない自我。
現実をそのまま認められない自我。
目の前の現実とは違うものに執着している自我。
過去を掴んで放さない自我。

あたふたと動揺するのは、表層の意識。
波立つのは、湖面。
湖底は、波立つことはない。
深く深く生きることだろうか。

しっかりグランディングして生きることだろうか。
深く生きれば、生きる質が異なる。
いのちとの繋がりが異なる。
分離はない。

表層で生きるから、分離が生じる。
目に見えなくなることを嘆く。
この世もあの世もない。
生も死もない。

深く深く生きること。
自分のなかの海を生きること。
いのちの海を生きること。
いのちは、ひとつ。


『執着の 思いのなかに 呑み込まれ 嘆き悲しむ 自我の人生』

『人の世の 苦しみ悲しみ 囚われは 思いがつくって いるだけのこと』

『表層の 現象だけに 囚われて いのちと共に あるを忘れる』

『共にある いのちであれば 生き死には 無きに等しい いのちはひとつ』

『現象の 奥に息づく いのちあり いのちと共に いのちを生きる』

『刻々の いのちと共に ある時に 執着はない いのちあるのみ』


これが日記を書き始めて1645日目の心境。
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コメント

Re:1645日目 - いのちの海

「あの世もこの世もない 生も死もない」…暫し絶句。自我を超えた意識の境涯からならそれだけが真実、実相。ああ無情。

いのち

現実に、目の前で苦しんでいたら、見ているだけでつらいです。
なんとかこの子のこの苦しみが少しでも楽にならないかと、
その想いでいっぱいになります。
神様、どうかこの子をこんなに苦しませないで天国へ
いかせてあげてくださいとお祈りしてしまいます。

まだまだ私は、深い意識には程遠いです。
淡々とは、難しいです。
苦しんでいる愛犬を前に、淡々とはしていられません・・・

お別れするのは自然の流れのなかのことです。
悲しいですが(という想いは執着ですけれど)ありがとうと感謝で手放します。

でも、このことを機会に、さらに深く一緒にいること、
漠然と過ごすことの愚かさをわかり、今という時間の貴重さをわかり、
そして時間の密度の無限の深さを感じてみたいと思います。

こんばんは

私もとっても同じ思いを持っています。
いのちの長さがあり、今、私ができることは
何かと思っている方がいます。

ヒーリングをしながら、その方のことを思いながら、時にわんわん涙しながら、
相手の思いと私の思いが共鳴しながらも・・・。
懸命に私自身生きながらも、共にいるしかないのだと、
苦しくても苦しくてもその姿をまっすぐ見て一緒に居るしかないのだと・・・
なかなか最後まで目を向けきれないのですが・・・。
ずっと一緒に感じきり、共にいたいです。

自分を生き、やれることをやり・・。

静かに自分の時間を、自分の一番力のもらえる場所でお祈りしながら思いました。

燃え出ずる命、消えかける命、ともにひとつのいのちなんだと、
ああ、もう自我では生きていかないことを、
その方たちとともいることをすごせば感じてしまいます。

そして、私も何度も思いました。
私自身をすべて、自分をどうこうしたいという気持ちを投げ出すこと。
何度も何度も自分の中で繰り返し戻ったりしているけれど。

生き方を大きく変えていくしかないと。

共に生きるのは、不思議と幸せと感じます。
私は宇宙の一部で、つながっていて、分離がない、
そして生命を作り出す装置・・・
というか大元でしかないのですね。
どんどん自身の中の深くに入っていきたいです。
すべての苦しみも
すべての悲しみも醜さも
ただ共にいる。
それはとてもあたたかいですね。生半可ではなかなかそこまでいくまでに屈折してしまったり、
巻き戻ってしまったりします。
でもとてもとてもお慈悲を感じます。

そう、ずっと私もそうあることに帰りたかった気がします。
ありがとうございます。

苦しみは何故あるのでしょう・・・

死は、
もちろん誕生があれば存在する約束事。

でも苦痛は何故存在すのでしょう。
苦痛は和らげてあげたい・・・。
ましてや、
他に苦痛を与える行為は悲しすぎる。

存在にすべて意味があるなら、
苦痛の意味は何でしょう?

終えるいのちが安らかであることを、
心より願っています。

Re:苦しみは何故あるのでしょう・・・(07/04)

えっちゃんさん

>終えるいのちが安らかであることを、
>心より願っています。

ありがとう。
このようなお心遣い、おくってくださるお気持ちが、
今の私には限りなくやさしく、心の奥深くに沁み込んでいきます。
穏やかになれます。
心静かになれます。
固まっていた心がゆったりと、緩んでいくようです。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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