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1654日目 - 集中と拡散


屋久島は、連日暑い日が続いている。
山へ行く途中に先島芙蓉が咲き出した。
淡いピンク色が太陽に照らされて眩しい。
これから全島に広がっていくことだろう。

木霊の森の仕事が続いている。
森は、天国。
まったく暑くない。
いつもさわやかな風が吹いている。

夏は、毎日でも仕事をしていた方が楽。
里にいると、ほとんど灼熱地獄。
猛烈に暑い。
室温は、軽く35度を超える。

木霊の森では、瞑想している時間が長い。
お客さんが休憩中、こちらは瞑想をしている。
たまに沢渡り用の石を並べたり、枯れた木を切り倒したりもする。
しかし、ほとんどの時間は、沢の中の石の上で瞑想している。

水の振動が全身に伝わり、凝り固まっていたものがほぐれていく。
背骨も脳も、微細に振動しながら緩んでいく。
今は、解放している時期。
固まったものを緩め、本来の状態に戻そうとしている。

そういう作業をしながら、ふと気づいたことがある。
元々は気体のような状態で、それを人間の形に固めていると・・・
霊の次元は、気体のようなもの。
物質次元は、固体のようなもの。

水の三体がある。
氷、水、水蒸気。
固体、液体、気体。
人は?

もちろん、気体ではない。
しかし、固体とも言いきれない。
なぜなら、血液は動いているし、体の80%は水でできている。
細胞も新陳代謝を繰り返している。

人は、固体と液体の合体物だろうか。
それとも、しなやかな個体だろうか。
意識は?
なんとなく気体に近いような・・・

人は、いろんなもので構成されている。
ある程度は、固める必要がある。
そうでなかったら個体を維持できない。
しかし、固まり過ぎると、心身共にフリーズしてしまう。

しなやかに動いている状態が、生きているということだろうか。
固まっているのでもなく、空中分解しているのでもなく・・・
ある程度の形を保ちながらも、可変的に存在している。
なかなか微妙。

凝り固まってしまっては、活きの悪い魚のようなもの。
活きの良い魚は、しなやか。
心も体もしなやかでないと、活き活きとしているとは言えない。
固まってしまえば、ギクシャクと不自由。

気体になって拡散してしまえば、宇宙に帰する。
それでは、個性はなくなる。
それは、全体。
ひとつの状態。

人とは、宇宙の気が集中したもの。
集中し過ぎれば、コチコチの鉱物状態。
人は、体温が低過ぎても高過ぎても、人体を維持できない。
37度前後という微妙なところで維持できるようになっている。

集中し過ぎても拡散し過ぎても、人としての存在はあり得ない。
しなやかに躍動的に生きるのが、人の有様(ありよう)。
頭も体もコチコチでは、鉱物に近い。
しなやかであることこそが、人の特徴。

集中し過ぎず、拡散し過ぎず、調和を保つ。
固い骨格部分は、人としての基本構成。
流れる血液やリンパは、生きている証(あかし)。
自由な精神は、創造力を持つ者の印(しるし)。

肉体という固体と液体。
精神という気体。
しかし、その気体も凝り固まれば、身動きが取れない。
気体にも、いろんなレベルがある。

集中の度合いによって、次元と言われる差が生じる。
人は、自分の中に多くの次元を持つ。
肉体や骨格のような集中固定化した次元。
意識のような拡散した次元。

その意識も、無限に近い集中の度合いの異なる次元がある。
そういう多くの構成要素によって人はできている。
個体に集中すればいいというものではない。
それでは、自我そのもの。

逆に拡散すればいいというものでもない。
それでは人としての個性が消えてしまう。
個であり全体。
集中されたものであり、拡散されたものでもある。

人は、多次元同時存在。
多くの構成要素からできている。
集中し過ぎて固体化したものは、ほどく必要がある。
恐怖によって縮こまった心や体は、ほぐす必要がある。

しかし、深いところでの集中を欠くと、自己喪失となる。
自我に凝り固まっても、自己形成を忘れても、人として健全に生きてはいけない。
調和とバランス。
それには、人生から学びつつ、注意深く生きる必要がある。

凝り固まった心身は、緩めることが必要。
しかし、個としての深い集中も必要。
しなやかに集中し、固まればほぐす。
刻々を生きるしかない。


『形ある 固体でもあり 形なき 流体でもある この肉体は』

『個としての 集中もいる 全体の 拡散もいる 個であり全体』

『集中し リラックスする 時々に 呼吸のように 共に必要』

『しなやかに 固まることの ないように 見守りながら 見極め生きる』


これが日記を書き始めて1654日目の心境。

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コメント

肉体は固体か?

>『形ある 固体でもあり 形なき 流体でもある この肉体は』

自然界において、
固体という概念はつかみどころがない。
固体と思われる部分も、常に変化している。
新陳代謝を思うと、流動しているとも言える。

岩も長いスタンスで変化する。
つまりは、流動的という点で液体のようでもある。

人工的な固体は、
磨耗とか腐食とか、
それなりの変化は起こすけれど、
本質が流動的というわけではない。

自然界のものすべて、
固体と位置づけられるのは、
瞬間の形態のみ・・・という気がする。

まさに、刻々変化することこそがいのちという、
底なし沼のようなつかみ所のない実感に、
神秘の様に、
何故か、沸々と感謝の想いが湧いてくる。

ヨガ

私事なのですが・・・、少し、今回の日記と通じるところがあるかと思い、コメントさせて下さい。

先週からヨガを習い始めたんです。
今日、3回目のレッスンに行ってきました。

以前から、体が柔軟になると心も柔軟になる、というようなことは、いろんな方がおっしゃっているのを見聞きしたことがありましたが、私もこのままではいけない(危機感?)と思い、今年に入ってからは、今までは○○坊主で続かなかったストレッチングを、細々とですが続けていました。

ヨガの方は、今はまだ、先生の指導のもと何とかついて行くのがやっとなのですが、始めてみて思うことは、いかに普段の私はコチコチに凝り固まって、不必要な力が(特に肩)入っているかということを思い知らされます。今まで、ずっと、普段から緊張が強いんです。

あと、呼吸も、普段の自分の呼吸はとても浅いということに気づかされます。

今後は、時間はかかるかもしれませんが、少しずつでも体を解していくことで、余分な力が抜けて、楽になっていくような、そんな気がします。そうなれたらいいな、と思います。
少しずつでも、体が柔らかくしなやかになっていったら、心は、どんなふうに変化していくだろう?

楽しみです。






Re:1654日目 - 集中と拡散

剛 柔 流 気… とか言いますね。多元多層的でありながら一つの個体を維持しつつ、揺らぎ変容もしていく…、思えば誠に不可思議 生きていると言う事。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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