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1661日目 - グループソウル


朝から水晶の浄化に行く。
海水は、ぬるかった。
川の水は、極端に少なかった。
ここ二週間ほど、雨らしい雨は降っていない。

自宅に戻って、水晶たちをタオルで拭く。
家を出る時とは見違えるように美しくなっている。
感動するほど美しい。
一つ一つ丁寧に台座に取り付ける。

どの角度で取り付けるか。
どこをメインにするか。
それによって水晶の雰囲気が違ってくる。
最も美しい角度を探す。

人類は、地球に降り、肉体に入り、物質を理解してきた。
肉体と共に成長することで、肉体を自由に操(あやつ)れるようになった。
まるで自分自身であるかのように自由に動かせるようになった。
ところが・・・

あまりに肉体と同化したため、自分が肉体であると錯覚してしまった。
過ぎたるは及ばざるが如し。
ミイラ取りがミイラになってしまった。
肉体生活を楽しむつもりが、肉体の虜(とりこ)と化した。

肉体の維持が最重要。
自己保存最優先。
生きることが最も切実な課題となってしまった。
何のために生きるのかは、忘れ去られてしまった。

しかし、長い永い地球生活の末に、やっと人類は思い出そうとしている。
肉体がすべてではない。
肉体以前がある。
肉体以後もある。

肉体は、この世を生きるための乗りもの。
物質世界を体験するための道具。
それ自体が重要ではなく、地上で何を為すかが問題。
肉体人間としてではなく、魂人間としていかに生きるか。

そういう時代になりつつある。
肉体にまつわる意識が、これからだんだんと薄れていく。
肉体ベースの意識から、魂ベースの意識へと変わっていく。
もっと大きな視野を持った意識へと変容する。

ここ数日、獅子座の水晶祭りの準備をしている。
獅子座のメインになるのは、ゴールドルチルクオーツ。
これまでたくさんのゴールドルチルクオーツを購入してきた。
何十本になるだろうか。

もしかしたら百本を超えているかもしれない。
それらによって、宇宙のエネルギーをたくさんチャージしてもらった。
それは、魂意識に目覚めるのをサポートしてくれたように思う。
しかし・・・

最近は魂ではなく、グループソウルに意識が向いている。
自分の魂が問題ではない。
自分のグループソウルが問題。
グループソウルとして地上に降りているみんなが問題。

グループソウルを意識する際に役に立ったのは、カテドラルクオーツ。
いくつものトップを持つ水晶。
まさにグループソウルそのもののような水晶。
一般的には、宇宙の叡智の図書館と言われているが・・・

二千年毎に現れる水晶。
時代の変わり目に注目される水晶。
大きなキャパシティを持ち、多くのものを抱擁する水晶。
それでいて、一つに統合されている水晶。

グループソウルとは、星雲のようなもの。
多くの魂たちの集合体。
霊団であり、一緒に宇宙を旅するものたち。
魂レベルからすれば、そこに属しているとも言える。

しかし、それもまた自分自身。
グループソウルが、自分そのもの。
自分をどのように特定するかで、自分は変わる。
自分とは?

肉体が自分?
魂が自分?
グループソウルが自分?
それとも、八百万(やおよろず)の神々が自分?

いやいや、唯一絶対神こそが自分?
定義したところのものが、自分。
別に決まりきった自分というものはない。
自分が決めたものが、自分。

今どの部分にフォーカスしているかということ。
フォーカスされたところが、自分自身。
そこをベースに生きる。
自分とは、自分が決めたところのもの。

いろんな自分がある。
一定不変の自分などない。
肉体人間でさえ、刻々に変化している。
肉体も意識も固定していない。

固定したら、それは死を意味する。
生きている限り変化している。
自分とは、極めて曖昧なもの。
確固とした自分があるわけではない。

夜空にたゆたう天の川のようなもの。
風に流される雲のようなもの。
流れてやまぬ川のようなもの。
定かな姿形はない。

不思議な人生を生きている。
人は、宇宙の旅人。
地球は、道の途中。
途中下車の旅は、十分楽しめているだろうか。


『カテドラル 水晶見れば 思い出す 地上に降りた グループソウル』

『自分とは 自分が自分と 思うもの 一定不変の 自分はいない』

『目に見える 色の世界は 動なれば 一定不変の ものはあり得ぬ』

『空だけが 変わることなく 存在し 常に変わらず すべてを包む』


これが日記を書き始めて1661日目の心境。

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コメント

魂は肉体と繋がっている・・・。

けれど、
固体ひとつひとつには魂は宿っていないのではないか?

肉体はパソコンの端末機。
それ自体では個として機能するのみ。
だから自我の存在となる。
ネットとして繋がりを持たなければ、
自己に埋没する。

ネットのように肉体と魂は果てしなく繋がっている。
繋がれているパイプのようなものは、
肉体の想いのあり方で、
詰まり気味になったり、
スースースムーズだったりする。

宇宙から降り注ぐ、
ニュートリノのように、
グループソウルは宇宙から降り注ぎ、
私たちの周りにいつも満ちている。

想いの紐を緩めて、
心を魂の通り道にすれば、
私たちは魂のやすらぎに包まれる。

今日の日記を読んでいると、
そんな風に思えてきた。

道の途中

きのうは心身ともに疲れて、出てくる感情・思考にに翻弄されていた。落ち着いてただ自分と一緒にいようと思うのだけど・・・それができない。

エネルギーがないと暖かい見守りはできないのだろうか。途中下車の旅を楽しむためにもゆったり焦らずじっと一緒にいて自分を抱きしめ見守っていきたい♪

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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