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1749日目 - 器に載った光の玉


屋久島は、新しいススキの穂が出始めている。
風になびく姿は、新鮮で美しい。
今日は、木霊の森へ行った。
じっとしていると、少し寒かった。

今日のお客さんも、ゆったりタイプ。
普段の仕事の疲れを癒したいとのことで、超スローペース。
昼寝をしたり、沢の音を聞いたり、霊気を感じたり・・・
その度に、こちらは瞑想。

歩いている時間と瞑想している時間が、同じくらいに感じる。
ほとんど瞑想しに行っているようなもの。
あまりガイドしているという実感はない。
今日の瞑想で感じたことは・・・

人は、殻付きのドングリのようなものだった。
もう少し正確に言うと、器に載った光の玉。
器とは、肉体。
光の玉とは、魂。

ベースは、器。
肉体という器。
この器は、地球の中心と繋がっている。
地球に根を張った器。

そのお椀のような器の上に、光の玉が載っている。
光の玉を感じてみると、眩しかった。
光そのものだった。
それが、器の上にあった。

器と光の玉を結んでいるものは、愛。
愛が、器と光の玉を包み込んで一つにしていた。
人は、器であり、光の玉であり、愛だった。
人は、肉体であり、魂であり、愛だった。

肉体は、卵子のようなもの。
魂は、精子のようなもの。
愛が、それを一つに結び合わせていた。
人と受精卵の構造は、とてもよく似ていた。

器は、卵子であり、陰。
光の玉は、精子であり、陽。
愛は、陰陽を超えた全体。
すべてを包み見守る、ひとつ。

意識の中心を器の方に持っていくこともできる。
逆に、光の玉の方に持っていくこともできる。
あるいは、包み見守る愛の方に持っていくこともできる。
人は、肉体にも、魂にも、愛にもなれる。

意識の中心をどこに置くかによって、人の在り様も変わってくる。
肉体にベースを置いて生きる人は、多い。
魂にベースを置いて生きる人は、少ない。
愛にベースを置いて生きる人は、更に少ない。

しかし、どれが優れているとも言えない。
どれがベストということもない。
すべてが、必要。
すべての調和。

器である肉体がなければ、地上では生きられない。
魂を忘れては、自分の本質がわからなくなる。
愛がなければ、虚しい人生となる。
これらすべてが必要。

しっかりと肉体にグランディングして生きる。
魂としてスピリチュアルに生きる。
愛を持ってすべてを見守りながら生きる。
そのどれもが、必要不可欠。

肉体だけでも、魂だけでも、愛だけでも足りない。
それぞれが調和し、バランスよく生きる必要がある。
人は、結局は全体。
個であると共に全体。

しっかりと肉体にグランディングし、スピリチュアルに、愛と共に生きる。
そのどれが欠けてもアンバランス。
すべての調和のなかで生きるしかない。
人は、今ここで個であり全体。


『肉体に 載った魂 愛により 結び付けられ この世を生きる』

『肉体も 魂もいる 愛もいる すべて必要 すべての調和』

『肉体に ベースを置いて 魂を 輝かせつつ 愛に生きる』


これが日記を書き始めて1749日目の心境。

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コメント

殻付きどんぐり!!

今日の日記は読めば読むほど気持ち良くて
何度も読み返しました♪

明日は近くの山にどんぐりを拾いに行こうかな^^

無題

まるで難しそうな数式が、KIMIさんの言葉でスルスルと解かれ説かれ、とても分かり易かったです。

ゆっくり読みながらイメージ・・・一歩一歩たどると
ドングリ→器と光の玉→それを間を結ぶ”愛”→陰陽→バランスへの展開がとても解かり易い。


うまく形容できないのですが・・・
バラバラだった”点”が”線”に、そしていつのなにか”面”になりどんどん広がったところで、”核”から無限の空間へ飽和していくようです。


そして気づいたら凝縮され、”自分”に戻る。
でも中身に明らかに変化が起こっている。

何にも動じず穏やか自分が平和な気持ちで、自然を人生を現在という一瞬を刻々と楽しみ、幸せと喜びを噛み締める・・・いつかこんな日が来るような気がしてきます。

個人的で言葉足らずなことを書き残してしまいましたが、ワクワクしてくる素晴らしいKIMIさんの文章でした。

ありがとうございます

調和☆

こんにちは♪

今日は 秋晴れでとても気持ちが良いです。^^

>しっかりと肉体にグランディングして生きる。
>魂としてスピリチュアルに生きる。
>愛を持ってすべてを見守りながら生きる。

目の前のことを大切に バランス良く生きたいと
思いました。

ありがとうございます。

kimiさん トロッコ道 わたしも行きたい~

人って・・・

他の生物とどう違うのだろうか?

テレビで、
チンパンジーが隣の檻のチンパンジーに、
そこにあるステッキを取って!と手を出されると、
要望に応えて自分のそばにあるステッキを取ってあげるという。
隣りのチンパンジーはそのステッキで、
自分の檻の前に落ちてるバナナを引き寄せて食べる。
チンパンジーは自分の利益にならなくても、
手を貸す社会性があるという。

これほどの知能を持っているチンパンジーでも、
人とは大きく何かが違う。

それが光なのでしょうか。

宇宙からやって来た意識というエネルギーが、
チンパンジーよりやや進化した生物に、
光となって宿ったのが人なんでしょうか?

人にチンパンジーと大きな違いがあるとすれば、
その輝ける意識だけか?

輝ける意識に気付かずに生きるという事は、
チンパンジーと同レベルって事かなあ?

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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