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1843日目 - ラピスラズリの青


今日は、朝から曇り空になっている。
寒くはない。
3月下旬の気温とのこと。
ヒーターは、いらない。

庭では、ツツジが真赤に紅葉し始めている。
その下に、赤い花も咲いている。
紅葉と花が同時?
なんとも不思議な光景ではある。

次の水瓶座の水晶祭りに、ラピスラズリが出る。
厚さ4mmほどの平板。
大きさは、4~5cm四方。
このラピスラズリを見ていると、思い出すものがある。

それは、青森県にある十二湖。
そのなかの青池。
ここの水は、不思議な色をしている。
極めて神秘的な青。

その青池の水の色と同じものをラピスラズリに見ることができる。
青のグラデーションが、実に美しい。
ライトブルーから藍色まで。
青、蒼、藍、そして群青・・・

青色と一言に言っても、いろいろある。
海の青と空の青。
山の青と湖の青。
アクアマリンとラリマーとラピスラズリでは、まったく異なる青。

この宇宙には、何色の色があるだろうか。
たぶん無限に近いだろう。
光の強さによって、色はいかようにも変化する。
微妙なグラデーションの違いは、限りない。

同じことが、人についても言える。
人は、無限の可能性を秘めている。
そのなかのごく一部を、今生で発揮しているだけ。
潜在している可能性は、無限と言える。

宇宙の可能性は、無限。
その一部を、人が担っている。
実際は、魂の可能性の一部を人が担っている。
今生でできることは、限られる。

無限の可能性のなかから絞り込んだものが、今生の目的となる。
生まれてくる際に、それを決めてくる。
しかし、生まれてしまえば、それは表面意識から消える。
しかし、潜在意識のなかでは、常に生きている。

魂の願いは、常にある。
いついかなる時でも、あり続ける。
それを、この世に生れている人が実現してくれるかどうか・・・
それは、この世の人しだい。

何のために生れて来たのかわからない。
大多数の人は、そう思っている。
何のために生れて来たのかを知りたい。
多くの人は、そう願っている。

それを知るためには、自分のやりたいことをやってみることだろうか。
いろいろやってみて、本当にやりたいことを見つけ出すことだろうか。
自分自身に問いながらやっていけば、必ず見つかる。
答は、既に自分のなかにあるのだから。

ただ、表面意識と潜在意識が断絶しているだけのこと。
その断絶を繋ぐものは、常に潜在意識に意識を向けること。
本当は何をしたいのかを常に問い続けること。
あるいは、黙って自分自身と居続けること。

黙って自分と一緒にいることが、瞑想。
それこそが、真の瞑想。
いろいろな方法は、すべて方便。
方便をやっているうちに、瞑想の本来の趣旨を見失う。

多くの人がやっているのは、瞑想のテクニック。
やがてテクニックに溺れ、何のために瞑想しているのかを忘れてしまう。
ただ静かに自分といる。
そうすれば、自分のなかの深い意識と繋がることができる。

いつもそうしていれば、やがて今生の目的も思い出す。
自分自身の出自もわかる。
本来の自分自身も自覚される。
すべては、自分自身のなかにある。

自分自身と常にある。
自分自身を見失わない。
内なる潜在意識を感じている。
絶えず自分を見守っている。

小さなラピスラズリの石。
そのなかに、十二湖を見る。
石が持つ無限の可能性。
その深い青は、瞑想に誘(いざな)う。


『十二湖の 青池の青 深い青 ラピスラズリの 青に似ている』

『青空の 果てに広がる 宇宙(そら)の青 青の深まり 限りを知らず』


これが日記を書き始めて1843日目の心境。


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コメント

名前が素敵です。

ラピスラズリ・・・
とても心に残る言葉。
ジブリの「耳をすませば」というアニメで、
初めて知った言葉。

石の名前・・・どんな石だろう?・・・って思った。

初めて石屋さんで買った小さなラピスラズリ。
屋久島の川に流れてしまった。

本当に名前に負けず不思議な青色。
どんな鉱物で出来ているんだろう?

十二湖の青池、
私が行った頃はまだ白神山地が世界遺産じゃなくて、
とってもローカルな観光地でした。
そのせいか、あんまり整備されてなくて、
青池も薄暗い沼のような感じで、
吸い込まれていくような不思議な青色でした。
あれも何か鉱物が含まれているのかなあ?

ラピスラズリという名前にも、
吸い込まれていくような神秘を感じます。
不思議色の青い石にとてもピッタリな名前ですよね。

いのち

ところでこの頃、
この地球の混沌って、
いのちの宿命なんだって思えるようになった。

宇宙は意識といのちで出来ている。
意識はすべての存在の根源・・・というか、
存在しているのは意識がそうしようとしている結果。

その存在がいのち。
いのちは宇宙に多様な存在を繰り広げ、
その存在は、一瞬たりとも停止することなく変化し続ける。

星が爆発し新生しても、
そこには悲劇は存在せず変化のみがある。

地球の豊潤ないのちは、
めくるめく生と死を繰り返す。
森においても、
大木が老いや災害、伐採などで死んでも、
次の生へといのちは受け継がれ、
より広がり、より多様に向かおうとするか、
または破壊へと向かう。

人はつりを楽しみ、
釣られる魚は苦悩を体験する。

人も災害にも遭い、
事故にも遭い、
人は自分を守るために他の人を排斥しようともする。

それらはすべていのちの宿命。

人だけが悲劇と感じる。
人は悲劇と感じるこころを持っている。

これは幸せなことなのか・・・

感じる心を持ったことが、
人としての存在の使命なのか、
意識がいのちを創造して、
いのちを感じる端末機が人の感性なのかも知れない。

おおいに苦悩し、おおいに喜び、
おおいに感情をあらわにし、
意識に情報を伝えるネットシステムに組み込まれていることが、
人の使命なんだろうか・・・と思える。

思うこと

いろいろ考えますが小さなわたしが一生懸命
考えても宇宙は、見守っていて下さるのでしょうか。

>自分自身と常にある。
>自分自身を見失わない。
>内なる潜在意識を感じている。
>絶えず自分を見守っている

疲れて思考が乱れても 醜い
感情が思考を満たしても

頭の中を否定しないで過ごして
いられたらいいです。

ありがとうございます。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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