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1948日目 - 自分とは、何?

 

屋久島は、晴の日が続いている。
ゴールデンウイークで、観光客がたくさん押しかけている。
車を運転すると、レンタカーに交じって各県のナンバーが走っている。
日本全国から屋久島に人が来ている。

自宅の周りは、車輪梅が満開。
野性の車輪梅が、至るところに花を咲かせている。
自宅に居ながらにして、お花見ができる。
今日もたくさんのツバメが、自宅の周りを低空飛行していた。

夢は、面白い。
いろんな時代の知り合いが、一緒くたに出てくる。
それに伴い、いろんな自分が出てくる。
子供の頃も若い頃も出てくる。

それぞれが、自分。
今の意識とは違う自分。
過去世の意識も出てきたりする。
たくさんの自分がいる。

それでは、本当の自分とは何だろうか。
どれがいったい本当の自分だろうか。
幼稚な自分?
若い頃の未熟な自分?

いやいや、今の自分こそが、本当の自分?
しかし、しばらく経てば、また違った自分になってしまう。
それでは、自分とは?
何?

気分や感情は、一日に何回も変化する。
大人っぽい自分の時もあれば、子供っぽい自分の時もある。
同じ自分?
と、言えるのだろうか。

笑っている時もあれば、泣いている時もある。
怒っている時もあれば、悲しんでいる時もある。
どんな時の自分も同じ自分だろうか。
コロコロ変わる自分は、同じ自分なのだろうか。

それとも、同じ自分というのは、幻想だろうか。
真実は、一瞬一瞬異なる自分がいるだけだろうか。
そうなると、自分という一貫性がなくなる。
自分の存在そのものが問われる。

自分とは、何?
一定不変のもの?
あるいは、変化してやまないもの?
さてさて・・・

一定不変でないのは、誰でもわかる。
では、刻々変化している?
となると、自分というものは存在するのだろうか。
瞬間瞬間変わる自分は、はたして自分と言えるのだろうか。

肉体は、刻々変化している。
食べたり動いたりして、体重は常に増減している。
細胞は、刻々に分裂したり死滅したりしている。
髪の毛は、抜けるものもあれば伸びるものもある。

肉体は、変化するのが常態。
それでも自分の肉体だろうか。
自分で自由に動かせるから自分の肉体?
それでは、動かせなくなったら誰の肉体?

刻々に意識も変われば、肉体も変わっている。
にもかかわらず、自分であり、自分の肉体と思っている。
はたしてそうだろうか。
本当に自分や自分の肉体というものがあるのだろうか。

一定不変ではない。
それは、誰もが認めるだろう。
自分の肉体や意識を自由にコントロールできないこともある。
それもほとんどの人が、認めるだろう。

ダイエットしたいのに、食べ過ぎてしまう。
寝たいのに、なかなか眠れない。
朝起きなければならないのに、布団から出れない。
勉強しなければならないのに、テレビを見ている。

自分の意識さえ、自分ではどうにもできないことがある。
肉体にいたっては、更に歴然としている。
いつも元気でいたいのに、病気になる。
スリムでありたいのに、太ってしまう。

ふさふさの髪の毛を維持したいのに、勝手に抜け落ちる。
スベスベの肌でいたいのに、しわが増えていく。
元気に動き回りたいのに、足腰が弱っていく。
肉体の変化は、自分ではどうすることもできない。

それでも自分の肉体?
自分で自由にコントロールできないのに、自分の肉体?
なに?
自由に動かせるところもある。

では、動かせるところは、自分の肉体?
では、動かせないところは?
誰の肉体?
さてさて・・・

色の世界に一定不変のものはない。
色の世界は、無常。
常に変化している。
自分も例外ではない。

そうなると、自分とは何?
何を指して自分と言うのだろうか。
常に変化しているものを、どうして固定的に自分と呼べるのだろうか。
なぜ?

赤ちゃんの頃の自分と幼児の頃の自分。
小学校時代の自分と青春時代の自分。
仕事を始めた頃の自分と定年間近の自分。
生まれた時の自分と死ぬ時の自分。

それらの自分に共通するものは?
その共通するものこそが、自分?
しかし、共通するものがあるのだろうか。
魂?

確かに魂は同じかもしれない。
では、その魂は、一定不変?
色の世界に一定不変のものはない。
魂も例外ではない。

そうなると、魂も常に変化していることになる。
となると、自分の根拠がなくなってしまう。
自分の根拠は何?
何をもって自分と言うのだろうか。

さてさて、難しい問題になってしまった。
これに明確に答えられる人は、極めて少ないだろう。
ほとんどの人は、そういうことを気にしないで生きている。
気にしないでも生きていける。

しかし、「自分」を気にする人は多い。
いや、ほとんどの人が自分を気にして生きている。
自分、自分、自分・・・
いつも意識の原点には、自分がある。

ところが、その自分が怪しい。
自分の根拠が、はっきりしない。
いやはや、とんでもない話。
しかし、それが事実。

かなりいい加減に人は生きている。
自分、自分と言いながら、自分の根拠は曖昧模糊。
明確な「自分」の定義をして生きている人が、はたして何人いるだろうか。
自分とは、何?


『自分とは 何だろうかと 思う時 自分の根拠 曖昧になる』


これが日記を書き始めて1948日目の心境。

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コメント

Re:1948日目 - 自分とは、何?(05/03)

こだわっている意識や限定化が自分だったり、
焦点化しているものが自分と思っていたりしていたり・・・


変化し続けているものなら、
その限定化はずいぶん、人為的無理をした、ということですね。
転々と意識をはしご・・
意識のはしごというか・・・。
飲み屋のはしごじゃないけれど・・。

だから、本当、行動や話すことが、自然じゃないのです。
ロスがおおいというか・・・。
表面的には一貫性をつらぬくかもしれませんが、
故意なんです、停滞していて。。。そんな気がします。

昨日は、木々に触れて、神社におまいり?をして、
自然に意識が広くなり、夜、至福の中、
布団のあたたかみを包み、この家に住むひとたちを包み、この町を包み、どこまでも広がり広がり・・・。
ただ、じわじわと広がるものだけでありました。
人間という自分、をというか、ある何か、を意識はしようがなかったなあ。
それでも、広い意識、という限定化ではあるかもしれません。


生きるというのは、焦点を持ちながら、明確化しながら、
その一方?全部が?そこはかとなく、何も無いことなんだろうかなあ。
動きながら、意識を焦点化(なんて言葉がないかな?)
していきながら、作りながら、
それにとらわれる必要がないものが宇宙なのかなあ。

と動いている体や心の傾きとかから感じるのですが。・・・。


何も持ちようが無い、というときもあります。
手放すも手放さないもない、というようなもの。

ただ、いま明らかに感じるのは、限定化したもの、
自分というものに釘付けになりすぎて疲労困憊してきたのですね

でもよくわからないのですが、
自分を見ていくのは、何かとってもすてきな広い入り口な気がいつもします。
???
ってわけわからないのをつらつら書きました。

自分とは細胞の増殖範囲?

自分とは、
大きくいえば銀河系?
宇宙空間に渦成す銀河はそれなりの領域を持っている。
どう変化しても渦成す一塊の状態を保っている。
人間がつけた名前まである。

人間も細胞という星々の銀河を成している一塊かな?
名前をつけて、
社会生活の中で自己を認識させられていく。

いやもしかしたら、
元々自己を他と分けようとする性質は、
細胞自体に備わっているんじゃないか。
移植手術でも、他人の臓器に拒否反応することがあるように、
細胞自体が確固たる自己を認識している。
原子や分子レベルに分解されると、
地球、もしくは宇宙の材料にたち返るとしても。

細胞も刻々と変化するにも関わらず、
他と自己を認識するのは、
DNAの存在か?

たんぱく質が多様化を目指して、
多くのカタチに変化する過程で積み重ねたものがDNA。
そのDNAが自己を認識させるのかな?
多様化のために必要な性質なのかも知れない。

たんぱく質が多様に形成してきたひとつの流れの末端に、
我々人類がいるとしたら、
DNAもかなり頑固に自己認識を形成していると思う。

どうやら自分とはDNAなんですね。
そしてそれは、カラダやこころの形成と運用、
更には次世代への引継ぎまでしようとする司令塔。

そして細胞の増殖範囲の一塊の老朽化や事故による消滅で、
潔く司令塔自ら霧散して、
その亡骸を原子分子に分解されるシステムに明け渡す。

さて、DNAは神の使いなんだろうか?

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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