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1952日目 - 惰性

 

今日の屋久島は、朝から激しい雨が降っている。
昨日は、強い風が吹いた。
ゴールデンウイークが終わって、自然は大浄化を始めている。
怠惰な人の気を一掃するために・・・

子供たちは、活き活きとしている。
小さければ小さいほど、鮮度がいい。
年寄りは、活き活きとしていない。
年を取れば取るほど、鮮度が落ちる。

この違いは、何だろうか。
生命力が違う?
確かに!
新芽と老木では、生命力に格段の差がある。

しかし、実は、それだけではない。
子供たちは、今を生きている。
では、老人は?
そう、過去を生きている。

子供たちは、今、今を生きている。
だから、活き活きとしている。
年を取ると、過去の惰性で生きるようになる。
習慣やパターンのままに生きているだけ。

自分というものは、ただの自己イメージ。
厳密な意味での自分というものはない。
肉体というエネルギー場はある。
しかし、その肉体も日々変化している。

すべては、変化している。
自分も例外ではない。
そういうところに軸足を置けば、日々、新鮮に生きられる。
ところが・・・

人は、過去にベースを置きたがる。
年を取れば取るほど、過去に安住したがる。
変化を恐れ、安定を求める。
新しい生を切り開く気力が失せていく。

惰性で生きれば、活き活きと生きることはできない。
過去の習慣やパターンに流されるだけ。
それでは、今を真剣に生きているとは言い難い。
ほとんど過去の亡霊に近い。

惰性が、人を不活発にする。
過去に安住することが、人を動かなくさせる。
安定を求めることが、新鮮に生きることを妨げる。
色の世界に安定はない。

色の世界で安定を求めることは、死に近づくこと。
活き活きと生きるとは、不安定のままでいること。
いくら金銀財宝を貯め込んでも、どれだけ名誉や地位を手に入れても、この世の安定は保証されない。
なぜなら、色の世界は変化の世界だから。

変化こそが、色の世界の生命線。
変化がなくなれば、色の世界も終わる。
色の世界に住む限り、変化を友とするしかない。
色の世界に不動はあり得ない。

にもかかわらず、年を取ると安定を求める。
安定は、空の世界にしかない。
いくら蓄財しても、いくら権力を手にしても、変化は免れない。
生老病死は、待ってはくれない。

「自分」の真実を知らない人は、安定を求める。
安定とは、過去。
過去は、確定している。
今は、不確定。

ほとんどの人は、多くの所有物で自分を守ろうとする。
家も財産もある。
名誉も地位もある。
子供にも恵まれている。

自分には、才能がある。
大きな会社を持っている。
何冊も本を出している。
地元では有名人。

そういうもので自分をコーティングして、自分を維持しようとする。
隣よりも家が広いだけでもいい。
自分の子が有名校に通っているだけでもいい。
夫がリストラされないだけでもいい。

人それぞれ、自分の拠り所がある。
その拠り所こそが、自分に他ならない。
自分とは、自分を支えているもの。
自分とは、自分を形作っているもの。

多くの人は、そういうものに支えられて生きている。
と言うことは・・・
逆に言うと、それらに縛られていることになる。
自分を支えているものは、自分を縛っているもの。

そういう不自由さによって、安定というものは成り立っている。
安定と言うと聞こえはいいが、それもまた惰性の一種。
過去に安住しているだけ。
安定を求めること自体が、惰性そのもの。

人は、価値観に安住する。
理論武装によって自分を守ろうとする。
知識や観念によって、自分を認めさせようとする。
そういうものに依拠して、自分を保とうとする。

しかし、依拠したものは、自分を縛る。
自分が根拠したものが、自分を限定する。
自分とは、自分が依拠したもの。
何かに依拠すれば、今を白紙で生きることはできなくなる。

今を白紙で生きなければ、人生は惰性と化してしまう。
常にゼロの状態でなければ、すべてを新鮮に受け止めることはできない。
ゼロだけが、人を新鮮にしてくれる。
常にリセットしていることが、活き活きとした生を約束する。

すべては、仮初めのもの。
そういう心境で生きることだろうか。
何かに依拠すれば、惰性となる。
何かに安住すれば、若さは失われる。

安住することは、固定すること。
固定することは、限定すること。
限定することは、無限の可能性を制限すること。
宇宙という無限創造に反すること。

色の世界は、無限の創造。
色の世界は、無限の変化。
色の世界に、安住はない。
安心立命は、空の世界にしかない。

若さとは、無限の変化。
活き活きと生きることは、常にゼロポイントにいること。
何も所有せず、常に白紙でいること。
所有すれば、惰性の生となってしまう。

両手を広げている時にだけ、新しいものを受け止めることができる。
過去を大事に持っていると、新しいものを手にすることはできない。
何も所有しない時に、新鮮な生が花開く。
次々と流れる時に、無限の若さが共にある。


『活き活きと していることは 今ここの 波動が速い ことを意味する』

『安定を 求めることは 死出の旅 徐々に固まり 動かなくなる』

『所有する ものがたくさん ある時は 過去に縛られ 身動きできず』

『惰性とは 過去の自分を 生きること 安住求め 固定すること』

『身を守る ものを一切 持たないで 手ぶらで生きる ゼロが原点』

『何もない 時に最も 活き活きと 生きられるもの 縛るものなし』


これが日記を書き始めて1952日目の心境。



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コメント

すっきり!!

日記を読ませて頂きながら、
どんどん どんどんと 気持ちがスッキリしていくのを感じました。
今という瞬間を生きること、
誰でもない 何でもない自分を生きる事の心地良さが、
肉体を通り越して空気と一体になるくらいの感覚で広がりました。
自由だ~
そんなさっぱりとした、すっきりとした感覚が意識として広がりました。

私はここにいる。

けれども、私は私個人という塊じゃない。

すべてが愛おしくてたまらない感覚が広がっています。

感受性

観念として、
今日の日記にうなずくばかり・・・。

ただ、この胸の芯にキュウッと刺し込む思いは何だろう?

痛みのようでもあり、
感動のようでもある・・・・。

この私の感受性・・・
いい感動の場合、
このキュウッとの後に胸があたたかくふくらむ。

けれど、キュウッとの後に、
痛みに胸が収縮していくか、
想いにとらわれていくのはどうしたものか。

この痛み、実際つらいのに如何ともし難い。

ただ不思議は、
このつらいキュウッとする対象、原因となるものは、
時に変化する。

この間まで痛い思いをした対象に、
まったく胸が反応しなくなることがある。

いい感動すら、辟易に変わることすらある。

何なんだ!!
感受性まで変化する。

感受性こそ自分かと思えることもあるのに、
まるで違ってしまう。

では、
あの胸の芯に突き刺さったものや、
胸を高鳴り躍らせたものものは何だったんだろう?

感受性なんて、
あれこそ私の存在の証なんじゃないのか?

感受性すら変化する、
優しさ、むなしさ、せつなさ、開放感・・・

このうたかたの自分が救いでもある。

Re:1952日目 - 惰性(05/07)

毎回の日記を、ありがとうございます!

最近、自分の怠慢さを、ほんと情けなく思うことが
多いのですが、、
怠慢もやはり、惰性からくるのでしょうか。。?
怠慢な自分を変容させるには、どうしたらよいのでしょうか、、?

Re[1]:1952日目 - 惰性(05/07)

さくらさん

>最近、自分の怠慢さを、ほんと情けなく思うことが
>多いのですが、
>怠慢もやはり、惰性からくるのでしょうか。。?
>怠慢な自分を変容させるには、どうしたらよいのでしょうか、、?
-----
怠慢をやりきることではないでしょうか。
中途半端にやらないで、生きるか死ぬかぐらいの覚悟で怠慢をやりきったらいかがでしょうか。
そうしたら、目が覚めるかも?
怠慢はいけないこととか、早くやめなければとか思っている間は、終わらないでしょう。
何事もやりきることですよ。
そうすれば、次へ行けるでしょう。
中途半端が、最悪ですね。
常に生きるか死ぬかぐらいの覚悟で生きることですよ。
そうすれば、必ず道は開くでしょう。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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