記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1954日目 - 何もない

 

昨日は、水晶の浄化に行った。
海の水はぬるく、泳げそうな感じだった。
しかし、川の水は、まだ冷たかった。
水量は少なく、藻がたくさん生えていた。

「自分」というものをすべて手放すと、どうなるだろうか。
全開すると、どんな感じだろうか。
どんなこだわりも、いかなる囚われもなければ、人はどのような感じになるだろうか。
・・・

すべてを手放せば、「自分」はなくなる。
「私」は、消える。
それでも・・・
意識は、ある。

その意識は、どんな意識だろうか。
何でもない意識。
名もない意識。
不特定の意識。

特定され、限定された意識ではない。
個性のない意識。
何も過去を背負っていない意識。
空っぽの意識。

空っぽの意識は、気持ちがいい。
何もない意識は、スッキリしている。
実は・・・
何もないということは・・・

すべてが、あるということ。
何も所有しないということは、すべてを持っているということ。
一旦、すべてを手放してしまうと・・・
すべてが、向こうからやって来る。

それは、どういうことだろうか。
「自分」を含めたすべてを手放すと、すべてがやって来る。
これまで当たり前に思っていたことが、新鮮に映る。
目の前にあるものが、その本来の輝きを取り戻す。

あって当然。
あるのが当たり前。
これまで何も感じなかったものが、突然、存在感を現す。
すべてが、見違えるような存在となる。

一つ一つのものが、燦然(さんぜん)と輝く。
これまで当たり前と思っていたものが、すばらしい個性を備えている。
一つ一つが、すばらしい。
この世の豊かさに目まいがする。

それは、癌の宣告をされて、余命いくばくもないと自覚した人の心境に似ているかもしれない。
残された時間があまりないと知ると、人はすべてが愛(いと)おしくなる。
この世が、こんなにすばらしいところだったかと改めて感動する。
すべてが、輝いて見える。

それは、目が見えなくなった人が、目が見えることのすばらしさに初めて気がつくようなもの。
手足を自由に動かせなくなって、改めて手足が自由に動くことのありがたさに目覚めるようなもの。
家族を失ってみて、その存在がどれほど貴重だったかに真に気づくようなもの。
当たり前と思っていたものを失くした時に、そのすばらしさがわかる。

では、それらすべてを一度になくしたら?
「自分」さえなくしてしまったら?
どうなるだろうか。
その時、この世は、どのように見えるだろうか。

今、在ることのすばらしさ。
目の前に森羅万象があることの、なんという豊かさ。
それらが変化し、移り変わることの、言葉に尽くせぬ贅沢。
まるで目の前で3D映画が、常時上映されているようなもの。

失くしてみて初めてわかる、ありがたさ。
すべてを失くせば、すべてがすばらしく感じられる。
これまで当たり前と思っていたものの、その一つ一つがすばらしい。
ただ生きているだけで、すばらしい。

不平不満は、消える。
当たり前、当然と思っていたものがなくなると、そのありがたさがわかる。
こうあるべきだ、こうでなければならない・・・
そのような観念が消えれば・・・

人は、完全に自由となる。
何にも縛られない自由。
しかし、それは、何にも依存しないことを意味する。
これまで依存してきたものは、すべて消失する。

社会の枠のなかで安住してきたものが、すべて消えてしまう。
これまで拠り所としていた観念や信念、道徳、常識、習慣、信仰・・・
それらすべてが、泡のように消えていく。
何も寄る辺がなくなる。

何も頼りにできるものはない。
「自分」さえ頼りにならない。
何もない。
この宇宙に頼りになるものは、何もない。

ハイアーセルフも魂も神も助けてはくれない。
チャネラーにも霊能者にも相談できない。
親兄弟はもちろん、友人、知人にも頼れない。
誰にも何にも頼ることはできない。

何もないとは、そのようなこと。
本当に何もない。
まったく何もない。
・・・

それが、すばらしい。
何もないのに、すばらしい。
何もないということは、すべてがあるということ。
あふれるような豊かさがあるということ。

この全宇宙がある。
宇宙は、自分と別には存在していない。
宇宙と共にある。
宇宙と分離していない。

宇宙の呼吸が、自分の呼吸。
宇宙の響きが、自分の響き。
宇宙の豊かさが、自分の豊かさ。
宇宙は自分であり、自分は宇宙。


『野も山も 空・海・川も 滝までも 森羅万象 輝いている』

『何もない 心に映る 豊かさは 一つ一つが 輝いて在る』

『金持ちと 何もない人 比べたら 真の豊かさ 一目瞭然』

『金持ちは この世の富の 一部だけ 何もない人 森羅万象』

『所有する 豊かさよりも 所有せぬ 豊かさこそが 真の豊かさ』


これが日記を書き始めて1954日目の心境。



関連記事

コメント

無感覚になるには・・・

屈辱も、苛立ちも、何にも感じない無感覚。
プライドも何もない。

なかなかなれないものですね。

私も、時にかなりの状況をを受け入れる器も持ち合わせている。

けれど、屈辱と感じられるものに対して受け入れる器は小さい。

寛容にさえ限度がある。

本当は底の抜けたバケツのように、
すべて私を通り抜ければいいのだけど・・・。

これは、冷めているという心の状態と同じなのか?

自分をなくすという事と、
無感覚になるということは違うのか?

そのあたりがうまくわからない。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

Twitter

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カウンター

  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。