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1955日目 - 無感覚

 

昨日のコメント欄に、次のような書き込みがありました。


「屈辱も、苛立ちも、何にも感じない無感覚。
プライドも何もない。
なかなかなれないものですね。

私も、時にかなりの状況を受け入れる器も持ち合わせている。
けれど、屈辱と感じられるものに対して受け入れる器は小さい。
寛容にさえ限度がある。

本当は底の抜けたバケツのように、すべて私を通り抜ければいいのだけど・・・。
これは、冷めているという心の状態と同じなのか?

自分をなくすという事と、無感覚になるということは違うのか?
そのあたりがうまくわからない。」


自分がないという状態と無感覚とは、天と地ほど違います。
無感覚というのは、厚い鎧を着て自分を守っている状態です。
感覚遮断ですね。
あるものを無理に抑え込んでいるのです。

自分がない状態というのは、感覚も感受性も豊かです。
ただ、屈辱感などを感じる自分がいないのです。
自我とは、まさに屈辱感などを感じる自分そのものです。
その部分こそが、理解を通してクリアーにされるべきものです。

その自我をそのまま温存して、感覚だけを遮断しても何の意味もありません。
ただ無関心、無感動の冷めた人間ができあがるだけです。
ほとんどロボットですね。
それでは、生きているとは言えません。

豊かな感性と、瑞々(みずみず)しい感受性。
この地上の豊かさを思う存分味わって、楽しむことです。
どうして感覚を遮断したりするのでしょうか。
このすばらしい世界を、どうして感じないようにするのでしょうか。

それもこれも、自分を守るためです。
これ以上、自分が傷つかないためです。
その傷つくことを恐れる自分こそが、まさに傷つく元凶です。
傷つく元凶を守ろうとするから、いつまで経っても傷つき続けるのです。

傷つくとは、どういうことでしょうか。
屈辱感を感じるとは、どういうことでしょうか。
苛立ちとは・・・
なぜそうなるのか、深く深く見つめてみることですね。

それらは、抑圧されることによって生じるのでしょうか。
それとも、自分の思うようにならないからでしょうか。
しかし・・・
それは、一方的な見方です。

自分サイドだけの偏った見方に過ぎません。
相手が、どうしてそんなことをしたり、言ったりしたのか・・・
それを理解することです。
そうすれば、一方的に傷つくということはなくなります。

相手を理解することがないから、一方的に傷つくのです。
理解するだけのキャパシティがないのですね。
自己中心的に生きているのです。
客観性に乏しいのです。

主観オンリーでは、傷つくだけです。
屈辱感を感じたり、苛立つことが絶えないでしょう。
主観と共に客観も必要なのです。
自分自身を見つめる冷静な目が必要なのです。

行動する主体としての主観は、もちろん必要です。
しかし、それだけでは、全体が見えません。
小さな了見で一喜一憂するだけです。
全体を見守る客観も、同時に必要なのです。

主観と客観。
それでこそ、必要十分条件と言えます。
自分を抑え込んだり、我慢する必要はありません。
そんなことをしても、フラストレーションが溜まるばかりです。

結局は、自分を理解することに尽きます。
すべては、自分を守ろうとするところから発しています。
そういう自分を理解することですね。
自分を守ることも必要ですが、それ以上に自分を理解することが必要なのです。

そうでなければ、周りに振り回されるだけです。
必要以上に警戒して、小さくなって一生を終ることになりかねません。
自他の理解がないから、周囲に翻弄されるのです。
深く見つめることをしないでイージーに生きているから、世間にもみくちゃにされるのです。

しっかりと自他を見つめ、深く生きることですね。
心身共に全開にして、のびのびと生きることですよ。
そのためには、まず自他を深く理解する必要があります。
深い理解が、真の自由をもたらすのです。

自分がない状態とは、自分自身の深い理解によって自然に実現するものです。
意図的になれるものではありません。
意図がある限り、まだ意図する自我が残っています。
ただ理解を通して、自然に所有するものが放棄されるのです。

自我という所有が放棄される時、自分がない状態が実現します。
何もない、けれども、すべてがあるという状態です。
その時、地球の豊かさは目の前にあります。
無限の豊かさが、眼前に展開するのです。


『守ろうと すればするほど 傷ついて ボロボロになる 自我の人生』

『身を守る ことも必要 理解する ことも必要 守る以上に』

『主観だけ 客観だけでは 不十分 主観と客観 共に必要』

『手放せば 肩の力も 抜けていく 楽に自由に 生きていかれる』


これが日記を書き始めて1955日目の心境。





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コメント

自分に手を焼いてます。

>傷つくことを恐れる自分こそが、まさに傷つく元凶です。

つくづくそう思います。

ものごとを客観的に見ているつもりですが、
観念的に見ているだけで、
お腹の底から客観的に捉えていないのでしょうね。

理屈で納得しても、
お腹が納得できていないということですね。

獅子座の私は、骨の髄まで自己中心的精神がしみついているんですね。

我慢じゃなく本当にすっきりと、
すべてを受け入れ、
吹き抜ける鯉のぼりのようになりたいものです

すべて善き事

もてあます自我に、
自ら傷つきながら、
今、ふと救いの言葉を耳にした。

すべて善き事・・・。

私が私を見つめるために、
用意されたかのような今の私の状態。
そうなんだ、
これは私に出会う扉。

この苦境も、
すべて善き事。

棘だらけの心にやさしく染み渡る。
すべて善き事・・・・。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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