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1963日目 - 空

 

自我というのは、絶海の孤島のようなもの。
小さく凝り固まっている存在。
その凝り固まったものが、自分の拠り所。
自分の存在基盤。

それは、自分の所有物。
執着しているものであり、依存しているもの。
地位、名誉、財産。
信念、信条、信仰。

家族、会社、作品。
知識、経験、技術。
体力、容姿、評判。
恋人、友人、顧客。

それらのトータルとしての自己イメージ。
自分というイメージ。
自分というこだわり。
自分という囚われ。

それらのものを、しっかり握っている。
握って放さない。
自分というイメージを握りしめている。
逆に言うと・・・

それらに縛られている。
それらに条件づけられている。
それらに制限されている。
「私は、○○だから・・・」

その小さな自我を守るために、自分の周りに柵を設ける。
鎧を付けて、いつでも戦えるように身構えている。
しっかりガードを固めた小さな小さな塊。
肉体をベースとしたイメージの集合体。

何もない状態とは、それらがないこと。
何にも依存していないこと。
どんな拠り所もないこと。
自己イメージがないこと。

心理的に、何も所有していない。
何も握りしめていない。
どんな執着もない。
いかなる囚われもない。

それが、何もない状態。
即ち、空。
しかし、それだけでは、この世を生きることはできない。
この世を生きるためには、知識も経験もいる。

記憶がなければ、この世で生きていくことはできない。
現実創造など、及びもつかない。
そういう意味では、知識も経験も必要不可欠。
しかし・・・

それだけでは、意識は常に条件づけられ、制限された状態となる。
何もない空とは、ほど遠い。
色の世界にがんじがらめにされる。
色の世界にいながら、色の世界を超えることはできない。

知識も経験も持ちつつ、それらに囚われない。
財産や金銭があっても、それらに執着しない。
地位や名誉があっても、それらに拘泥しない。
家族や友人がいても、それらに支配されない。

この世を生きるための技術は持っていても、それにもこだわらない。
これまでの記憶や思い出があっても、それにすら囚われない。
現世を生きるための仕事を持っていても、それにもこだわらない。
いろんなものを持っていても、あらゆるものに囚われない。

持っていてもいいし、持っていなくてもいい。
あってもいいし、なくてもいい。
必要なものは、持っていればいい。
必要がなくなったら、手放せばいい。

必要のないものは、必要のあるところへ回す。
独り占めしない。
循環させる。
身軽に生きる。

何もないということは、何も所有しないということ。
たとえ所有するものがあったとしても、けっしてそれらに所有されない。
持っているものがあっても、持っているものに縛られない。
それらは、ひとときの借りもの。

今、使わせてもらっているだけ。
いつかは、お返しするもの。
けっして自分のものではない。
ただ一緒にいるだけ。

それらと自己同一化しない。
それらを掴まない。
それらに縛られない。
ただ活用するだけ。

すべて一時的に使わせてもらっているだけ。
知識も経験も、同様。
記憶や思い出とさえ自己同一化しない。
周りのために活用するのみ。

それらを私的なものにすれば、自我となる。
自分のものと思い込めば、それが自分になってしまう。
小さな小さな自分になってしまう。
すべて手放せば、無限の自分となる。

個は、常に制限されている。
肉体は、小さな制限された器。
知識も記憶も、限定されたもの。
言葉や食べものさえ、時代や地域に支配される。

色は、制限された世界。
色の世界で生きることは、制限のなかで生きること。
制限された色の世界で、無制限に生きることはできるだろうか。
軸足を色ではなく空に置けば、それが可能だろうか。

制限の色の世界にいて、無制限の空の世界を生きる。
制限された色の世界に囚われず、無制限の空にベースを置く。
制限されたものを用いて、無限のものを表現する。
心は無限の世界に住みながら、制限されたものを使いこなす。

この世は、仮の宿。
次々に移り変わるところ。
その変化を楽しむところ。
何ものにも囚われずに楽しむところ。

この世のものは、すべて借(仮)りもの。
ひととき活用するだけのもの。
そのようなものに囚われないで、すべてを楽しむ。
何も持たずに、色にあって空を生きる。


『移りゆく 色の世界に 囚われて 所有する時 悲苦が始まる』

『何であれ 色の世界は 仮(借り)のもの 借りて使って 楽しむところ』

『借りるだけ 活用するだけ 使うだけ 所有はしない 執着しない』

『握らない 愛でて楽しむ ひとときを 春夏秋冬(しゅんかしゅうとう) 過ぎゆくままに』

『何であれ 自分のものと 思うのが 自我というもの 所有・執着』

『手放して 何も持たずに 生きるのが 空ということ 自我がないこと』

『自己という イメージなしに 生きるのが 空ということ 何もないこと』


これが日記を書き始めて1963日目の心境。




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コメント

お久しぶりです。

この頃 昔のしがらみで首絞めてます~

>何もないということは、何も所有しないということ。
>たとえ所有するものがあったとしても、けっしてそれらに
>所有されない。

精神的にも物質的にも 安全のための何かを所有しようと
する自分がいました。それはもう 浅ましいくらい。

>持っているものがあっても、持っているものに縛られな
>い。それらは、ひとときの借りもの。

まだ 手放すまで行かないかもしれませんが。。。自由に
してあげたいなぁ。。。内側のつぶやきでした。失礼。

Re:1963日目 - 空

読めば読むほど。
深くて驚きに満ちて感じます。
私の肉体の命も、
家族の命も、
悟りへの憧れも、
みんな借り物、自分ではないんですね。
なんでもないんですね。

自尊心も借り物?

私に何も誇れるものがあるわけではない。
平素は比較的おおらかに生きられると思っている。

ところが、
私の行くところ行くところ決まって現れる、
私のなけなしの自尊心を揺さぶるものが・・・
これは私のこの世の課題でしょうか?

何ほどのものでない私のささやかな自尊心でも、
蹴散らしたい人が不思議に現れる。

このお粗末な自尊心も、わざわざ借り受けているんでしょうか?
今生に生まれてくる時、しっかり持たされたお荷物か?
大きな宿題を背負っているような・・・
居残りでこの難問に取り組んでいる気分。

最近私の自尊心に針を突きつける人が、
今日、普通に話しかけてきた。
それだけで平和な気分。
なんて過敏な安普請の自尊心。

でも、私の心をヒステリックな夜叉にも変える自尊心。

自尊心、
手放すとどんな感じかなあ・・・
この間からこの難問に拘っているけど、
いまだ糸口なしです。

Re:自尊心も借り物?(05/19)

えっちゃんさん

>自尊心、
>手放すとどんな感じかなあ・・・
>この間からこの難問に拘っているけど、
>いまだ糸口なしです。
-----
自尊心によって自分を支えているということですよ。
だから、自尊心を傷つけられると、自分が揺らぐのですよ。
自尊心こそが、自分の拠り所ですから。
自尊心を取り払ってしまえば、楽に生きられます。
でも、その代わり自分がなくなってしまうかも・・・
それが怖いのかもね。
自分を手放すということが、一番難しいことですから。
自分をキープしていたいのですよ。
自分を守っていたいのです。
それが、根深い自己保存の本能というものです。
動物たちも、みんな持っているものです。
さてさて、動物次元を超えるにはどうしたらいいか・・・

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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