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1994日目 - 心の傷

 

屋久島は、連日、雨が降っている。
屋久島に帰って2週間近くになるが、その間、雨は降り止むことを知らない。
今日も、断続的にスコールのような雨が降った。
一日中、雨は降り続いている。

そんな中でも、花は咲く。
今朝、大きなハマユウが開いた。
直径が、30cmを超える。
一本の茎に蕾が25個も付いていた。

数日前には、オニユリも咲いた。
今もオレンジ色の花びらをカールさせている。
朝顔や昼顔や夕顔も咲く。
今年は、たくさんの花が庭で咲いている。

いずれの花も、自分で植えたものではない。
自然に咲いているもの。
自然に咲くものには、何とも言えぬ愛おしさが湧く。
美しくもあり、可憐でもある。

人は、心に傷を負う。
深い傷であれば、いつまでも痛む。
体の傷は、時間と共に回復する。
しかし、心の傷は、回復しにくいこともある。

そうは言っても、いつまでも心の傷を抱えたままでは、生きるのが辛い。
それでは、どうすればいいのだろうか。
そもそも心の傷とは、何だろうか。
それは・・・

想定外のことが起きたということだろうか。
寝耳に水の出来事が起きたということだろうか。
予想だにしなかったことが現実化したということだろうか。
それによってショックを受けたということだろうか。

思いもかけぬことを言われる。
まさかと思うようなことをされる。
物理的、心理的暴力を受ける。
大切にしてきたものを失う。

それが何であれ、自分の心に強いインパクトを与えたことは間違いない。
それがあまりにも強過ぎて、いつまでも残っているということだろうか。
記憶が、単なる記憶ではなくて、ショックと呼べるような深い記憶になってしまっている。
強烈な負荷が掛っているということ。

そういう強い記憶の重荷から自由になるためには、どうすればいいのだろうか。
心の傷から抜け出す方法は?
心の傷を癒す道は?
どうすれば・・・

心が傷つきやすい人がいる。
心が傷つきにくい人もいる。
この差は、どこからくるのだろうか。
何が違うのだろうか。

一般的に、若い人は傷つきやすい。
年齢を重ねるに従って、傷つきにくくなる。
なぜ?
それは、いろんな人生経験を経たから。

多くのことを経験すれば、多少のことでは傷つかなくなる。
初な心は、傷つきやすい。
厚顔無恥な人も、傷つかない。
傷つかなければいいというものでもない。

鈍感な人は、傷つかない。
神経質な人は、傷つきやすい。
自己中の人も、傷つきやすい。
自我がない人は、傷つかない。

傷ついた時に大切なことは、どうして傷ついたのかを理解することだろうか。
何が傷つく原因だったのかを深く見つめることだろうか。
原因を取り除かなければ、何度も同じことを繰り返す。
傷つく要因を自分の中で発見することだろうか。

傷ついたことを他人のせいにするのは、たやすい。
しかし、そんなことをしても自分が不幸になるだけ。
自分を悲劇のヒロインにするだけ。
一生被害者で終わる人生。

そうではなくて、自分の中に傷つく原因を見い出せば、二度と傷つかなくなる。
自分を知らないから傷つく。
自分の何が傷ついているのかに気づいていないから、何度も同じことを繰り返す。
一生同じ傷をなめて生きるのだろうか・・・

自分の中で傷つく要因が発見できたら、二度と同じ轍を踏まないように気をつける。
それには、注意深く生きる必要がある。
自分の反応を意識していることが必要。
同じパターンを繰り返さないように・・・

未来に対しては、それでいい。
では、過去の傷に対しては?
終わったことは、どうすればいいのだろうか。
それは・・・

過去の傷を超えるしかない。
傷を超える?
それはどういうことだろうか。
それは、過去の傷に負けないことだろうか。

心の傷よりも深いところで生きる。
もっと根底的に生きる。
心の傷よりも更に深い意識の領域で生きる。
心の傷を支える意識で生きる。

心の傷に振り回されれば、自分を見失う。
心の傷を超えるには、心の傷よりも深いところで生きるしかない。
心の傷よりも深い意識の部分で生きる。
そうすれば、心の傷に左右されることはない。

そもそも心の傷とは、心の傷を超えるためにあるもの。
傷つくようなひ弱な状態を乗り越えるために存在する。
傷ついた時は、チャンス。
自分の弱さに気づき、乗り越える時。

深く深く生きる。
根底的に生きる。
人のせいにして生きるのは、極めて皮相的。
もっと揺るがない意識で生きないと・・・


『表層の 意識のままに 生きる時 傷つくことは 絶えることなし』

『落ち着いて 深い意識で 生きないと 世間の波に 呑まれてしまう』

『自己保存 それが傷つく 元にある 深い意識で 見守り生きる』


これが日記を書き始めて1994日目の心境。

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コメント

自尊心は薄っぺらな皮膚?

>人のせいにして生きるのは、極めて皮相的。
>もっと揺るがない意識で生きないと・・・

私のこの色黒の皮膚は自尊心で出来ている。
ちょっと過敏なアレルギー肌。

冷たい水のシャワーで鍛えて、
ちょっとやそっとの棘なんぞ、ヘノカッパになる?
そうじゃなくて、
アレルギー肌にビクビクしなくていいように、
しっかり体質改善するってことですよね・・・。

ただ、その処方箋がなかなか・・・・

まだまだ足踏みしている私は、
ふてぶてしい厚化粧でごまかすっきゃないのです。

こんばんは

まだまだ心の傷と体の傷に左右されがちです。

人と接していて、苦しい話を否定的なものをぶつけてくるのを感じたり、逆に楽しい話を聞いていたり、
どこか相手に深い理解がないと最近感じました。

生きるということは全く停滞を持たないのに、私は甘んじているのがそのまま感じました。

それを見た時、理解していなかったのだと全部で自覚したとき、
体を見て、心の傷が同時にふきだした感じで、吹き荒れました。

いつもは見守れるものも、ただただ、自分を消そうと死のうと行動したり、それ以外に見えなくなったり。
うーん、いつもはなんとか想念も想念でそのまま放っておけるのですが。
吹き荒れるものがあります。
大浄化です。

自身を見つめてきて、一見体やら心の傷は深くなる
一方な気がするのですが、・・ただの浄化ではありますが、
まだ、何か足りないような・・・

全体的にいつもしんどいけれど、時にのまれることもあり、
その時間がまったく飛んでしまいます。
痛みやしんどさに呑まれないだけの深さがまだないのですよね。

まあ所詮、傷はイメージ傷なのですよね。
本当はなんにも傷ついていない。
事実があっただけ。

ただただ死も生もなく、自然の一部と全ての中にいて、私なく広がるときの美しさ。
何も無いものの広がる幸せと全てとの一体感。
そんな意識の後には、すごい暗いものが出てきて、
なんていうか、すごい振り子を繰り返していますが(笑)
ま、少しでも軽くなりながら、いきたいですね。

すみません、ちょっとまだ詰まっている何かがあって、
混乱気味ですが、書かせていただきました。

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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