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2160日目 - 人類の悲苦の源は・・・


昨日のコメント欄に、次のような書き込みがありました。

「幻想でしかない・・・
と、 薄々わかっていても、 どうしてこのエゴ中心の幻想世界に愛着し、しがみつくのでしょうね?
それがわざわざしたくて、体験するためにこの世界に生まれてくるのでしょうか。」

そういえば、「わかっちゃいるけど、やめられない~♪♪」
という歌が流行ったことがありましたね。
クレージーキャッツの植木等が、無責任社員を演じていた頃です。
もう何十年も前のことですが。

人は、どうして個にこだわるのでしょうか。
それは、個しか知らないからでしようか。
慣れ親しんだものの方が、居心地がいいからでしょうか。
未知なものには、不安を感じるのでしょうか。

惰性?
社会に迎合?
流されて?
いや、引きずられて?

車は、急には止まれない!
これまでの生き方を切り替えるには、勇気が要ります。
いや、切り替え方がわからない?
本当は、どうしたらいいのかわからない・・・

人は、この世をさ迷っているのでしょうか。
迷子の迷子の子猫ちゃん?
なんとなく満たされないけれども、でも、どうしたらいいのかわからない。
いえいえ・・・

そうではなくて、しっかり物質世界に絡め取られている?
物欲と食欲と性欲の虜?
いえいえ、そうではありません。
生きるのがやっとなのです。

サバイバルゲーム真っ最中なので、人生を考える余裕なんてないのです。
今日生き残るのに精一杯なのです。
人生の目的より、今日の糧です。
人生は、そんなに甘くないのです。

さてさて・・・
人は、どうして自我を生きているのでしようか。
それは、自我を生きるために生まれてきたから?
まさか・・・

泥沼にはまり込んで抜けられないのでしょうか。
アリ地獄?
物質の甘い蜜に心身ともに骨抜きになってしまったのでしょうか。
物質世界の泥沼から立ち上がる気力をなくしてしまったのでしょうか。

それとも、切迫感が欠けているのでしょうか。
あるいは、モラトリアムを決め込んでいるのでしょうか。
人生は、まだ長いと思っているのでしょうか。
そのうちに何とかなるだろうと・・・

真剣に求め求めている人の、なんと少ないことでしょう。
真実を求めている人。
この世の苦しみの原因を追究している人。
人類の現状を嘆く人は多いのですが・・・

なぜ、このような現実があるのか。
その原因は何なのか。
人生には、どうして苦しみや悲しみがあるのか。
人々は、なぜ幸せに暮らせないのか。

今の人類の現状は、けっして満足できるものではないでしょう。
にもかかわらず、ほとんどの人は、漫然と暮らしています。
稀に、この世を改革しようとする人もいます。
政治活動や社会運動に奔走する人もいます。

宗教こそが人類を救うと信じて、宗教活動に邁進する人もいます。
しかし、その宗教どうしが争い、新たな苦しみを生み出します。
政治活動も社会運動も、自分と異なる思想を排除しようとします。
そこで、新たな混乱が生じます。

この世を良くしようとして、更に悪くしています。
政治活動も社会運動も宗教活動も、みな悪循環に陥ってしまっているのです。
自分だけが善であり、自分と異なるものは悪なのです。
そうやって、延々と人類は争い合ってきたのです。

この混乱の原因は、何でしょうか。
どうして人類は、こうも争い合うのでしょうか。
もっと仲良く暮らせばいいのに。
そんなことは、子供でもわかることなのに・・・

しかし、子供たちもケンカをします。
オヤツをめぐって熾烈な兄弟ゲンカを繰り広げます。
少しでも大きな方を手に入れようと争います。
一方が泣き出すまで、やむことはありません。

人類は、限りあるものを奪い合っているのでしようか。
実際は、人類平等に分かち合えば、誰も飢える人はいないのですが。
では、一部の人が欲張りなのでしょうか。
いえいえ、みんな欲張りです。

みんな他の人より少しでも良い暮らしをしたいと願っています。
他の人より立派に見られたいと心の底では思っているのです。
欲張りなのは、一部の人だけではありません。
みんなが欲張りなのです。

では、みんなが欲張りなのが問題なのでしょうか。
では、欲張りとは何でしょうか。
どうして欲張りになるのでしょうか。
欲張りの源を探っていくと・・・

自己の安全に行き着きます。
自己保存ですね。
それは、本能です!
で、終わり?

いえ、本能なのは確かですが・・・
それは、動物の本能です。
あるいは、肉体の本能です。
しかし・・・

それにも例外はあります。
自分を犠牲にして仲間を守るということも起きます。
動物たちも、稀にそのような行動を取る時があるのです。
それは、例外?

人も、そのような行動を取ります。
子供を守るために母親が犠牲になることは、珍しくありません。
自己保存が、絶対でもないのです。
しかし、それは種族保存の本能では?

確かにそうかもしれません。
種を守るということは、絶対命題です。
それは、命の本能と言ってもいいでしょう。
でも・・・

動物たちは、欲張りではありません。
必要以上の食料をストックしようとはしません。
自分や種族を守る分で事足ります。
人間だけが、必要以上のものを蓄積しようとするのです。

それが富の偏りを生み、餓死者を生じさせてしまいます。
では、なぜ人は必要以上のものを蓄積しようとするのでしょうか。
それは、本能ではありません。
本能は、自分に必要なもの以上を欲しません。

本能ではない欲望とは?
欲望の本質は、何でしょうか。
人を欲張りにさせるものは?
長くなったので、この続きは明日にしましょう。

『人類の 悲苦の源 突き詰める 徹底的に 突き詰めてみる』

これが日記を書き始めて2160日目の心境。
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コメント

Re:2160日目 - 人類の悲苦の源は・・・(12/02)

そうなのですよね。
源にいきつけばあきらかに、それが見えます。

種を守る、そういう生命の本能なところではなく、
イメージを守ることに必死なのですね。
サバイバルゲームのように感じていなくても、よくよく見れば、実際サバイバルゲームに必死なのです。

外の世界を見ている限り、本当に無限の欲望スパイラルかもしれない。

欲望は無限です。それは私を見てればよくわかる。
そしてそれが外の世界に左右されています。
外があっての欲望なのです。
私という存在も、そして私が生み出す苦しみもそうでしょう。
外と分かれていなければ生み出せないものでしょう。
外も内もない、そういうものに辿り着くということでしょうか。


自分の終わり、
ただただそれだけのことなのかもしれない。

自分というものが終わること。終息すること。

それだけが私の閉ざされた世界を開かせていくものかもしれない。

Re:2160日目 - 人類の悲苦の源は・・・(12/02)

外と分かれて、個になっていった願いは、
欲望のスパイラルを創ることじゃないのは、明らかにわかりました。

違いますよね。
分離して外と分かれていった「私」が、苦しみをつくり、そこにはまることを望んでいません。
ありえない。

創造したいものは本当に違っている。
内と外もないところから、わかれていったからこそ、創造ができる。
でも、サバイバルゲームが創りたい世界であるはずがない。
だって、それは、自然の流れじゃない。
「私」を創った流れでない。私じゃない、ような・・・・。
だから「私」で苦しむのか。


それだけは、前よりものすごく腑に落ちたような、
自分自身のどこかから少しわきあがってます。

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屋久島で、光のガイドをしています。
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2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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