記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2198日目 - 春を待つ氷


今日の屋久島は、曇です。
なんとなく暗く、いつ雨が降ってきてもおかしくない天気になっています。
気温も低く、裏日本バージョンですね。
昨日だけ、さわやかな表日本バージョンでした。

昨夜、次のようなメールが届きました。
この日記を読んでおられる方の参考になるような気がしますので、無断で転載させてもらいます。


「さて、新年早々、素敵な夢を見ました。
夢の中で、異次元の体験をさせてもらいました。
以前から度々現われる『大いなる存在』。 
それは姿はないのですが、声をテレパシーで伝えてきます。

その存在が、四次元と五次元で肉体を持ったまま存在するための練習をさせてくれました。
今の意識のままでは、これらの次元の中では生きられないという事を教えられました。
それぞれの次元での意識の在り方を、夢の中としては随分と時間をかけて教えられたように感じています。

四次元と五次元での意識の違いを体感した後に、では、三次元に戻ってみよう~と、戻ってみた時に、あまりの全ての重さに驚きました。
なんと重い世界なんだろう~。
肉体の重さもさることながら、思考する事自体の重さに驚きました。

このように言葉を思いめぐらすこと自体も、『重さ』になっている事に何よりも驚きました。
考えそのものが、『重さ』。
自分という自我の、『重さ』。
思考すること自体の、『重さ』。

次元が上がると、自分という『個』がなくなっているように感じられました。
全ての意識がつながっているので、『大いなる意志』との繋がりが自分と一体となっていて、言葉を媒介しなくても全てがすぐに伝わることができていました。

『自分自身』を感じつつ、『他者である』こと。
すべてが自然に一つのなかにありました。
その感触は、複雑なものではなくて、深い安心感の中に存在し、とても軽く、居心地の良いものでした。
三次元の中に戻った時の、あらゆる事の不自由さに、『あ~、なんて重たいんだ!!』と、嘆いてしまいたくなるくらいです。

この素敵な体験と並行して、私の日々の中でやっている事は、物を処分する事です。
年末からずっと続いているのですが、要らないものを片付ける。
とにかく、切り離す事を続けています。
人間関係も、物質も、意識も、とにかく不要となったものを手放していくこと。

それらに別れの哀しみを持たないのは、きっとこの『一つの意識』の体感があってできるように感じます。
一つであることが、自分の手を離れても、関係が絶たれたとしてもなお、つながっているという安心感。
その中で大いに手放し、手放していくことで、ますます私は満たされて、しかも軽くなっていくのです。

矛盾したような事ですけれど、手放すことが軽くなり満たされること。
kimiさんがよくこれに似たような事を日記に書かれていたことが、やっと体感する事ができました。

相変わらず身体のあちこちに不具合があるのですが、それにフォーカスせず、ただ共に在ることで、日々を幸せに暮らしています。
今年は、どんどん軽くなる事を楽しんでいこうと想います。
kimiさんも素晴らしい一年をお過ごし下さいませ。」


一人一人が、それぞれのペースでアセンションへ向かって進んでいる感じですね。
そのための準備が、具体的に始まっています。
精神的には、すべてとつながっていることを体感すること。
現実的には、不要なものを手放すこと。

アセンションとは、次元上昇です。
今よりも軽くならなければ、上昇することはできません。
軽くなるとは、執着を手放すことです。
しっかり掴んでいる手を離すのです。

この世は、物質世界。
この世で生きるためには、多くの物が必要です。
物に対する執着が基本にあります。
その延長線上に、精神的な執着があります。

肉体的な自己保存に端を発する執着は、『自分』を守るという精神的な自己保存へと拡大します。
それでは、『自分』とは何でしょうか。
それは、アイデンティティでしょうか。
アイデンティティとは、自分の存在基盤です。

自分の存在基盤とは・・・
能力?
趣味?
生育歴?

生まれてこの方の記憶が、自分というものでしょうか。
過去の集大成が、自分?
確かに、過去の寄せ集めが自分かもしれません。
他に自分というものは、なさそうです。

才能、プライド、家族、財産、地位、名誉、学歴・・・
過去の様々な思い出の集大成が、自分というものです。
自分を形作っているものは、過去。
その過去の記憶のなかから、自分というイメージが形成されています。

自分というのは、極めて曖昧です。
褒められれば、自分は才能のある人になります。
貶(けな)されれば、自分は無能な人に変わります。
周りの評価によって激しく変化するのです。

自分には才能があると思っていると、人に無能呼ばわりされると、怒り出すかショックを受けます。
自分には才能があるというのは、思い込みです。
それが否定されると、自分を守るために自動的に反発します。
あるいは、自己の存在を否定されたかのように落ち込みます。

人は、たくさんの思い込みを持っています。
それは、観念であり先入観です。
それらの思い込みを含めたものが、自分自身です。
だから、自分の思い込みを否定されると、まるで自分が否定されたかのように落ち込むのです。

自分とは、所有です。
自分が持っているものが、自分自身です。
自分がしっかり握っているものが、自分を形作っています。
それ以外に自分というものはありません。

自分が自分と思い込んでいるものが、自分自身です。
結局、自分とは、思い込みなのです。
それ以外に自分というようなものは存在しません。
自分とは、自己イメージであり、幻です。

そういう幻をベースに、人は生きています。
それが、この世の思い込み人生の実態です。
そういうことが深く理解されると、さまざまな執着が外れます。
そういう理解がない限り、しっかり自分というものを持ち続けて生きていくのです。

自分をたくさん持っていればいるほど、重たく辛い人生になります。
持つものが少なければ少ないほど、軽やかに生きていけます。
次元とは、そういう重さのことです。
少なければ少ないほど、次元は無限に広がっていきます。

ひとつの状態から無限の多様性へ。
それは、重さのない次元から、重さのある次元への展開でもあります。
いろいろなものをくっつけることによって、多様性が複雑化します。
それは、次元下降です。

アセンションの逆ですね。
デセンションです。
今は、デセンションが終わり、アセンションが始まる時です。
下降から上昇の周期に入ったのです。

上昇するためには、軽くなるしかありません。
まずは物の整理整頓から始めて、精神的な整理整頓へと進むことです。
身軽になればなるほど、楽にアセンションできます。
いつまでも自分に執着していると、苦しみがやってきます。

肩の荷を降ろすまでは、苦しい人生が続きます。
多くのものを所有している限り、自分という重たい荷物を背負って生きているようなものです。
肩に重たい自分という存在です。
それは、体にも反映します。

執着が強いと、体のなかにも重たくて固いものができます。
執着を手放せば、体の方も楽になっていきます。
今の時代は、体が反応しています。
その方が、わかりやすいからです。

体もアセンションを求めています。
肉体も軽くなりたいのです。
重たい精神を背負っているのに疲れたのです。
必要以上のものが、肉体にも付着しています。

電磁石を切り替えるように、プラスからマイナスにすることです。
これまでは、いかに自分の周りに集めるかでした。
物も精神的なものも、たくさん集めてきました。
しかし、これからは、いかに手放すかなのです。

手放すことは、自由になることです。
集めることは、自分を縛ることです。
自縄自縛。
たくさんのものを集めて、自分で自分を縛ってきたのです。

集中固定化。
それが、自我の実態です。
それは、エネルギーが集中固定化されて物質化するのと似ています。
水蒸気や水ではなく、氷のようなものが自我ですね。

気温が上がると、氷は融けてしまいます。
時代の波動が上がると、自我は消滅するのです。
氷が融ければ、水になります。
自我は・・・

何でも自分のものにするというのが、これまでの自我の生でした。
たくさん持つことが、価値のあることでした。
それが自分の安全を守ってくれると思い込んでいたのです。
それは、重たく苦しい人生でした。

これからは、そういうものを手放して本来の自由に戻るのです。
何も所有しない心地よさを実感するのです。
何も掴んでいない時に、初めて望むものを何でも手にすることができます。
何もない時に、すべてがあるのです。

所有しないで楽しむだけ。
それが、これからの生き方の基本です。
楽しんだら、手放す。
何かと自己同一化しないのです。

自分を、フリーなところにおくのです。
フリーハンドで、いつでも望みのものを手に入れるのです。
そして、必要がなくなったら手放すのです。
それが、自由ということです。

これからの時代は、すべてが逆転します。
下降から上昇に転じます。
重たいものから軽いものになります。
いかに多く所有するかから、いかに少なく所有するかに変わります。

精神的にフリーハンドで生きることですね。
自分はこういうものという、プライドやアイデンティティを捨てることです。
それは、囚われであり執着です。
自分を自分で縛っているだけです。

自分は、何でもなくていいのです。
自由な風のようなものでいいのです。
自分を特定して縛る必要はありません。
風は、気持ちいいですよ。



『春が来て 氷は融けて 水となる 時が満ちれば 自我も融けだす』

『春を待つ 氷は既に 心身の 痛みとなって 融けだしている』

『たくさんの ものを集めて 所有して 自我を競った 時代が終わる』

『必要な ものと一緒に 生きるだけ 一切何も 所有はしない』

『所有する ことがなければ 自我もない 何もなければ 自由そのもの』


これが日記を書き始めて2198日目の心境。



関連記事

コメント

♪風になりたい♪

自我や思考が常態化している者には
思考や自我の重苦しさは実感出来ない。 わずかな無我の瞬間その軽さ自在さを
感じられるだけ。
断捨離とかまずシンプルに身軽に
していく事からなのだろうか。
ああ、風の如くなりたい!

Re:2198日目 - 春を待つ氷


こんにちは。
はじめまして。
今まで、集める生き方をしてきたので、重く、苦しかったです。
おおいに参考になりました。

やっと、日記を読みました。

年末から新年5日まで仕事で読めなくて、
その後、超痛い口内炎に襲われていてダウン。
日記に心が届かなかった。

この2週間近くの日記、
濃いですね。
羊革のぶ厚い本を読んだ気持ちです。

私の口内炎についても考えてしまいました。
私は今回の仕事も、誠心誠意頑張ったつもりでいました。
が、なんと魚座的発想・・・
身を犠牲にして頑張ったという傲慢さが、
ネガティブな考えが、
このとんでもない舌を振るわせる口内炎を引き起こしていたのですね。

今流行のタッチするだけの携帯を娘が買って、
そこにプログラムされてる占いをしてみました。
今知りたい質問を心に思い浮かべ、
画面の本をタッチすると本が開きます。
指でさっとページをめくると答えが出てくる。

『今度の仕事が私にやれるだろうか』と質問しました。
『やるべきことではありません』という答え。

え~~~???私に向いてないの次の仕事・・・
って、日記を読むまで思ってました。

違いましたね。
大変な仕事を犠牲的精神で頑張るという、
私の傲慢な考えでは、仕事は出来ない・・・
そういう戒めだったんですね。

私の心を絶対ポジティブにしていかないと、
すべてのことが苦痛となるということですね。
私の頑張るぞ的ポジティブは、
ネガティブを押さえ込むということで成り立っていて、
その弊害を私の口内炎が引き受けたということですね。

私の強烈な自我は、
必要じゃないのに片付けるのが億劫な押入れのガラクタに負けないくらい、
私の心を占拠してしているガラクタなんですね。
片付けるのが一苦労です。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

Twitter

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カウンター

  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。