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2266日目 - 祈り越え


ここのところ、この日記のアクセス数が増えている。
ここ二日は900を超え、1000に近づこうとしている。
震災が起き、原発が怪しくなり、不安が募っているのだろうか。
しっかりした指針がほしいのだろうか。

今日の屋久島ナチュラルヒーリングのHPのトップ写真は、ラリマー。
今の日本に必要なエネルギー。
このラリマーの波動が、今の日本を救う。
これが、これからの時代のエネルギー。

ラリマーが意味するものは、愛と平和。
深いやすらぎと癒やし。
なんとも言えないライトブルーは、心の平和へと誘(いざな)う。
無条件のやすらぎをもたらす。

HPにアップすることで、この日記に書くことで、このエネルギーは日本全体に浸透する。
世界中を包む。
地球が本来の美しい星になるのをサポートする。
それは、下手な祈りより遙かにパワーを持っている。

なぜなら、それは天からのエネルギーだから。
祈りは、地からのエネルギー。
そこには、まさに天と地ほどの開きがある。
全体と、全体から分離した個との差は歴然。

昨日、掲示板に書き込みがあった。
既に返事を書いたけれども、もう少し詳しく検討してみたい。
コメントされた方にはたいへん申し訳ないが、俎板(まないた)の上の鯉になっていただきたい。
責めるつもりはまったくないので、ただ理解を深めるための事例になっていただきたい。

-------------------------------------------

私はangelたちの光のシャワーを届けるような想いで祈っていますが。。
それでもダメですか。。?
被災者の方々の畏れや不安、恐怖や痛み悲しみが軽くなるように。。
ちなみに私はいま現在。。すべてを天にお任せするような気持ちで、こころ静かで穏やかであります。

-------------------------------------------

ダメということはない。
人それぞれの気持ちを素直に表現すればいい。
但し、いくつか疑問がある。
それは・・・

すべてを天にお任せするような気持ちなのに、どうして祈るのだろうか。
すべてを任せるとは、どういうことだろうか。
「君にすべてを任せるから、頼んだよ。」
とは、よく聞くセリフ。

ところが、すべてを任せた後で、あれこれ口出ししたり、いろいろ手出ししたりしたら?
それは、すべてを任せたことになるのだろうか。
任された方も、不信感を持つに違いない。
自分は信頼されていないのではないかという猜疑心が芽生えるかもしれない。

祈りとは、どういうことだろうか。
「angelたちの光のシャワーを届けるような想いで祈っています」
「被災者の方々の畏れや不安、恐怖や痛み悲しみが軽くなるように」
そう願っているということだろう。

すべてを天にお任せしたのではなかったのだろうか。
にもかかわらず、どうして祈り=お願いをするのだろうか。
天を信じ切れないということだろうか。
これだけは、ぜひ追加してほしいということだろうか。

お願いされた天も困っているに違いない。
お願いは、この方からだけではない。
被災された方はもちろん、世界中の人がお祈りをしている。
いろいろリクエストされて、まさに天てこまい?

人は、天に限らず、神や仏やキリストに祈る。
祈るとは、お願いすること。
まさに困った時の神頼み。
普段でも神社仏閣は、そういう人で賑わっている。

自分の欲望を神仏にお願いする。
なに?
今回の祈りは、自分の欲望ではない?
人々への愛から出たもの?

もしそうだとしても、祈った人は、祈った対象を信じていないのだろうか。
天や神や仏やキリストを。
信じ切れていないから、改めて祈るのではないだろうか。
もし全幅の信頼を寄せていれば、ことさら祈る必要があるのだろうか。

心の底から「すべてを天にお任せ」の心境であれば、改めて天に祈るということはしないだろう。
神仏やキリストを信頼していないから、祈りという方法で手出し口出しするのではないだろうか。
すべてお任せなら、何が起きようとお任せすればいいのではないだろうか。
いちいち追加のお願いをしたら、先方に失礼だろう。

人は、長いこと祈ってきた。
それは、自分を無力と思っているから。
無力だから、自分より偉大なものにすがってきた。
それが、歴史的事実。

だから、何かあると祈ろうとする。
それは、古いパターン。
依存のパターン。
まだ自立できていない証拠。

そもそも神仏に祈るということは、何を意味しているのだろうか。
それは、神仏と自分との分離。
自分を小さな個と決めつけているということ。
偉大な神仏にすがらなければ、何もできない無力な個。

そう思っている限り、永遠に救われることはないだろう。
なぜなら、個とは、肉体をベースにした思い込みだから。
自分を肉体人間と規定するから、個になってしまう。
肉体人間であれば、当然、自己保存の法則に支配される。

それ故、罪深い己となる。
生まれながらにして原罪を背負う自分。
神に許しを請い、神に支配されて生きるしかない。
それでは、聖職者の思う壺。

歴史的に見れば、大衆は聖職者に支配されてきた。
宗教は、ある種支配の道具ですらあった。
多くの人民を罪深きものにし、聖職者はその上にのさばった。
抑圧された大衆は、神に祈るしかなかった。

今祈っている人たちは、過去世からたくさん祈ってきた人たち。
心の美しい人たちと言ってもいいだろう。
しかし、心が美しいだけでは、十分とは言えない。
叡智が欠如している。

宇宙の真理を体得していない。
自分を小さなものにおとしめている。
他者に依存している。
真に自由に生きていない。

困った時は、神にお願いする。
自分では何もできない。
ただ祈るしかない。
それが、これまでの人類の意識。

なんと情けない人類意識であることか。
なんと自立していない人類意識であることか。
未熟そのもの。
まだまだ子供。

なぜ自分の光や愛を発揮しようとしないのだろうか。
なぜすぐに神仏に頼ってしまうのだろうか。
それは、過去世からの癖。
単なる習慣。

神仏依存が、骨の髄まで染み込んでいる。
自分の光や愛を輝かせるという経験がない。
それは、これからの課題。
新しい時代の意識。

自分のなかの光や愛を発揮すれば、何も神仏に祈る必要はない。
いつまで過去のパターンを繰り返すつもりなのだろうか。
いつまでイージー依存を続けるつもりなのだろうか。
それは、無責任以外の何ものでもない。

人類がやったことは、人類がケジメをつけるしかない。
なに?
畏れや不安、恐怖や痛み悲しみが軽くなるように?
少しでも楽になるように?

人は、なぜ病気になるのだろうか。
なぜ痛みや苦しみがあるのだろうか。
それは、自然の法則に反したからではないだろうか。
肉体と共に生きる以上、地球の自然法則に沿って生きるしかない。

不自然な生き方をすれば、肉体は病む。
病めば、不自然なところを知らせるために痛みが起きる。
不要なものを融かすために、発熱する。
全身に血液を回すために血圧が高くなる。

病気を一掃しようとして断食をする。
そうすると、メンゲン反応というものが起きる。
それは、これまで溜まっていたものを体外に排出するプロセス。
その時、痛みや苦しみが伴う。

その痛みや苦しみを和らげることは難しい。
解毒するためには、避けて通ることのできない道。
その痛みや苦しみを通して、体内に溜まっていたものは体外に排出される。
それは、肉体が健康になるための過程。

その状態は、今の日本に似ている。
溜まりに溜まっていた不自然なものを排出している途上。
本来の健全な状態に戻っている最中。
その産みの苦しみ。

にもかかわらず、神仏に祈る。
痛みや苦しみを軽くしてくださいと。
神仏もあきれているかもしれない。
なんと自分勝手なことを・・・

自分で我が儘放題をして、病気になる。
そして、困ったら神仏に祈る。
肉体が健康体に戻ろうと必死になっている時に、それに伴う痛みや苦しみだけ軽減してほしいと願う。
なんとも身勝手。

人は、自分のしていることを自覚していない。
だから、こんなにも自分勝手なことが言える。
まさに困った時の神頼み。
自分の生き方を省みることはない。

人は、いと小さきものにあらず。
人は、個であるとともに全体。
人のなかには、光があり愛がある。
光や愛は、神仏の専売特許ではない。

自分自身の光や愛を自覚すること。
自分自身が、光や愛として生きること。
自分自身で、光や愛として行動すること。
何者にも依存しないこと。

新しい時代は、一人一人が光となり愛となる時代。
自分自身の光や愛で、被災された方を包んであげればいい。
心から抱きしめてあげればいい。
神仏に頼る必要は、まったくない。

自分自身の光や愛を輝かせなければ、いつまで経っても神仏の僕(しもべ)。
その意味するところは、聖職者や教祖に自分の運命を委ねること。
いつまでそんな児戯に等しいことをやっているのだろうか。
もう人類も自立しないと・・・

新しい時代の生き方は、個であり全体。
自分自身が、自分自身の光となり愛となること。
個として現実創造し、それを常に見守る。
魂とつながり、周りの人の幸せのために働く(傍楽)。

この大震災は、目覚めを促すための警鐘。
新しく生き直すことを求める、宇宙からのメッセージ。
それに古いパターンで応えないことだろうか。
新しい生き方を確立することだろうか。

このブログ日記は、灯台のようなもの。
闇夜を照らす灯台。
その光源は、宇宙。
それは、書いている人の深奥にある。

2005年から、書いていることは一貫している。
同じことを何度も書いている。
ただ表現が違っているだけ。
しかし、まだ十分には理解されていない。

このようなアクシデントが起きて、人は本気になる。
その時に、真の目覚めが起きる可能性が生まれる。
そういう意味では、今はチャンス。
真に目覚める時。

現象に振り回されないこと。
その底流に流れるものを見極めること。
自分の真実を生きること。
もう自分をごまかさないこと。

大きな振動が起き、魂が揺さぶられている。
いよいよ人類が真に目覚める時が来た。
新しい時代の夜明けは、もうすぐ。
次の時代の太陽が、すぐそこにある。


『お任せで 生きられないから 祈り出す 神も仏も 信じていない』

『心から 信じていたら 祈らない すべてお任せ 御心のまま』

『祈りとは 信じていない ことの証明 神も仏も 自分自身も』

『祈りとは 恣意(しい)に過ぎない 神仏の 計らいよそに 我が儘願う』

『エンジェルも 神も仏も 思い込み ただのイメージ 本質知らず』

『祈りとは 真に目覚める 時が来る までの方便 古いパターン』

『祈らない 自分自身と 共にいる 光と愛で すべてを包む』

『この日記 揺らぐことなき 灯台は 行くべき道を 光で示す』


これが日記を書き始めて2266日目の心境。





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コメント

Re:2266日目 - 祈り越え(03/18)

ちょっと前に17日の日記に書き込みしちゃいました。
タイミング悪るかった。

超えていく

被災された方のことを思うと、胸が苦しい。
どのような極限の精神状態でいらっしゃるのか・・・

今日も、被災された方の「怖い、怖い、怖くて怖くて」というメールを読んだ。
「わけもわからず寝ながら泣いて、何が怖いのか何が悲しいのかわからず震えていた」
とのこと。
その方の従姉妹とそのお母さんは、津波に巻き込まれそうになったのを電柱に
しがみついて奇跡的に助かったのだそう。
助かって、抱き合いながら泣いていたとのこと。

逃げることもできなくて、怖いこと絶望的なことばかりで、そんななか、祈ってくれている
人たちがいることに泣いたそう。
そして、「生かされていることに感謝して一日一日頑張って生きていきます」
と締めくくられていた。

祈りは、苦しんでいる人の三次元の感情と思いをこの次元で救う。
そう思いました。
古い時代のエネルギーだけれども、それで実際救われている人がいる。
それはそれで、とても、とても、尊いことだと思う。
でもそれは、この世のこと、この次元での救い。

私たちは、その古いエネルギーを超えていかなければならない。
目覚めとはそういうこと。
そこを超えていくこと。
この世で救われることが目的ではない。
それは、延々この世のなかを輪廻して、同じことを繰り返すこと。

続きです

自分のなかに光を確立すること。
その光で生きること。
自分が光になり愛になり、すべてを包み、すべてに浸透する。
そうすればもう、何もいらない。
私たちの内側にある光に、今、目覚めること。

思いの次元を超えていく。
そして光の次元で生きる。

この日記の光が、多くの人に広がるといいと思う。
多くの人が、真に目覚めるとはどういうことかに気づいてくれるといい。

心美しい人たちが、その美しさを光の次元にシフトできたら、
さぞや美しい光が放たれることでしょう。
それは美しい光の世界となることでしょう。
今、私はその光に包まれて、感動して涙あふれています。

藍さん、ありがとうございます。
藍さんの心やさしさが、この光のメッセージに繋いでくださいました。

そしてkimiさんに、心からありがとうございます。

Re[1]:2266日目 - 祈り越え(03/18)

土の放浪者さん、いいと思います。
側に疲れて苦しんでいる人がいたら、ねぎらいの言葉や愛の気持ちを
送るのは、自然なことですもの。
そのような気持ちに癒され、苦しみが和らぐのは、誰でもが経験している
ことと思います。
だから、土さんの気持ちは尊いし、それでいいと思います。

ところで私、800000カウント踏みました。
うれしかったなあ♪

Re:2266日目 - 祈り越え(03/18)

久しぶりに日記を読み、コメントさせていただきます。。

世界中に広がっている「祈り」にどこかで気持ち悪さ?みたいなものを感じて、そういえば、、、と思ってKIMIさんの日記にたどり着きました。

昨日と今日の日記は、そうそうそう!と激しくうなずけました。そして、「あ~やっぱりそうだよな~」って思えました。

****

その状態は、今の日本に似ている。
溜まりに溜まっていた不自然なものを排出している途上。
本来の健全な状態に戻っている最中。
その産みの苦しみ。

にもかかわらず、神仏に祈る。
痛みや苦しみを軽くしてくださいと。
神仏もあきれているかもしれない。
なんと自分勝手なことを・・・

****

ほんとうにそう思います。
こんなことを今、日常の生活で普通にいえる勇気はありませんが、、
地球は、宇宙は、何度も信号を出してきたはず。。
ここまでの未曾有の事態を起こさなければ、人々が目が覚めないから、地球が最終審判をくだしたのだと思います。
わたしもこの地震で、考え直したり、もっともっと自分自身と直面していこうと覚悟が深くなった気がしています。

祈りは確かに気持ちいいです。
でもその自分の気持ちよさに違和感を覚えながらも、、
相手に「ありがとう。嬉しいです。救われます」といわれれば、「祈りは、いいことなんだ」と言い聞かせていた気がします。
今、よくよく振り返ってみると、そのとき感じている感情(たとえば被災者の方に対しての思いなど)を、祈りという行為に転換させて、自分がいい気持ちになっているのですよね。。
kimiさんの日記も再度読みながら、自分の中で目覚めとなるよう、腑に落としていきたいと思います。

長くなりました、、ありがとうございます。

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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