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2416日目 - 人格


朝から激しい雨が降った。
その後、太陽が出た。
しばらくすると、大きな虹が架かった。
美しい弧を描いた完璧な虹。

一昨日、夜遅くに電話があった。
娘の状態が不安定なので、話をしてほしいというもの。
お母さんからかかってきたのは、これで二回目。
本人からも、時々かかってきていた。

電話の声は、まったくエネルギーがなかった。
消耗しきっている感じ。
体の状態が良くないらしい。
どんどん症状が悪化しているとか。

それに伴い精神的にもネガティブなものが、どんどん出ている。
それを見きれない。
ネガティブなものに呑み込まれてしまう。
ネガティブそのものになって、暗く沈んでいる。

最近は、自分がわからなくなっているらしい。
いろんな思いが錯綜して、どれが自分なのかはっきりしない。
自分だけでなく、他の人の思いまで感じてしまう。
生きている人も、死んだ人も・・・

思いに翻弄されて混乱状態。
人格崩壊寸前。
自分とは、何?
人格とは?

人格とは、集中個体化。
水蒸気を集中固体化した氷のようなもの。
個体として自立するためのメカニズム。
他とは違う自分独自のシステム。

必要なものを寄せ集めて人格を形成する。
それは、常に可変的。
一定普遍のものではない。
しかし、人格がないと、自分というものが存在しない。

人格とは、パターン。
思いや行動のパターン。
記憶をベースにした生き方のパターン。
自分のやり方。

自分の感じ方であり、自分の捉え方。
自分の発想であり、自分の反応の仕方。
その固有のシステムが、人格。
個性とも言う。

しかし、感受性の優れた人は、いろんな人の思いまで感じてしまう。
そうなると、どれが自分の思いで、どれが他の人の思いかわからなくなることもある。
しっかりしないと、人格を乗っ取られることさえ起きる。
自分とは、何?

この世を生きるためには、人格が必要。
人格は、この世を生きるためのプログラム。
人格がなかったら、電車やバスに乗ることさえできない。
どうしたらいいのか、まったくわからない。

それは、パソコンのシステムメモリーのようなもの。
システムメモリーがなかったら、パソコンはまったく機能しない。
どういうふうにデーターを処理するか、システムメモリーのままにパソコンは動く。
人は、人格のままに行動する。

人格は、肉体を操作して、この世を生きるための器。
意識の器。
人格は、意識にとっては肉体のような器。
この世を生きるための乗り物。

赤ちゃんには、明確な人格はない。
それは、成長するなかで形成される。
魂と環境との合作。
それが、固有の人格。

人格がしっかりしている人もいれば、曖昧な人もいる。
個人差がある。
あまりしっかりしすぎれば、石頭の頑固親父。
曖昧すぎれば、夢遊病者や多重人格。

ほどほどにしっかりしている必要がある。
しかし、人格が絶対ではない。
それは、可変的。
あくまでもこの世の乗り物。

あの世へ行けば、人格もまた変わる。
この世的な部分が、徐々に抜けていく。
だんだんと非物質的になる。
精神的に純化していく。

大切なことは、自分の人格を見守ること。
自分自身を理解すること。
自分の感覚や感情や思いに翻弄されないこと。
それは自分の一部ではあるが、自分のすべてではない。

見守る意識。
クリアーな意識。
人格を超えた意識。
それが、大切なポイント。

ネガティブな感情や思いも、自分には違いない。
しかし、それは自分のなかの一部に過ぎない。
ほんの小さな部分。
それに呑み込まれないこと。

それらは、見守って理解するもの。
肉体感覚や感情や思いに振り回されないこと。
しっかりと主体性を持つこと。
その主体性は、自分の反応を見守ることによって育つ。

強いネガティブが出れば、それに呑み込まれる。
それは、過去のパターン。
過去世のパターン。
それに負けないこと。

同じことを何度も繰り返しても意味はない。
強いネガティブが出たら、よりしっかりと見守るしかない。
そのプロセスのなかで、見守りの意識はより明確に育っていく。
実は・・・

ネガティブが強く出た時は、チャンス!
見守りの意識を育てるチャンス!
強いネガティブが出れば出るほど、見守りの意識も強くなる。
逆に言うと、見守りの意識は、ネガティブによって育てられる。

時代は、内なるネガティブを解放し、より意識を純化しようとする流れにある。
ネガティブが解放されると共に、見守りの意識も強くなるようにセットされている。
強いネガティブに負けないこと。
強烈なネガティブが出てきたら、更に冷静に見守ること。

そのプロセスを通して、見守りの意識は一段と強くなる。
人格を超えた意識が育っていく。
それは、人格のなかの最も純粋な部分。
ピュアーでクリアーな意識。

ピュアーでクリアーな意識を研ぎ澄ます。
意識の主体性を確立する。
人格を超える。
人格を超えた純粋な意識で生きる。


『人格に 囚われないで 人格を 理解すること 自分の一部』

『ネガティブが 出れば出るほど クリアーな 意識が育つ 大きなチャンス』

『ネガティブを 見守ることで クリアーな 意識が育つ 天の配剤』

『人格の なかに煌めく 純粋な 無色の意識 元のまた元』


これが日記を書き始めて2416日目の心境。

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コメント

見守る

見守る時、
その感情を「究極、自分ではない」と声かけすることで、
少し隙間が開き、だんだんに客観視できる気がします。
それまでは、そのものになって「見る」ことが出来ずにいます。

怒りや妬みとか、焦り、自己否定など。
タイミングを掴むと、距離が生まれる時もあります。

でも、恐怖は難しいです。

恐怖を自分と引き離すには、
自分の安全を放棄しないと(例え一瞬でも)、その覚悟が出来ないと、
なかなか離れて見ることが出来ません。

安全って一体何か?
そう問うのですが。

大体は・・・見栄やプライドの世界での安全、だったりして、
それに気付けば笑うことも出来ますが。

なんだろう・・・生命に関する恐怖は、「実際には」めったにないのに。
それに類する恐怖を感じてしまうこともあります。
なんだろう、そんなはずはないのに、

安全に地面に居て、例えば屋根まであって、今日、食べる食事があって・・・

でも言い知れない恐怖に呑まれることがあります。
安全を放棄する、そう思おうとする時、

目の前の恐怖はウソものなんだ、と無理やり自分に言い聞かせたりして、
なんとか冷静に戻ろうとしたり。
でもそれ、なんかズレてるようにも感じます。
横道でそれちゃった感じがします。

言い知れない恐怖、安全でないと何故か感じること、
それらは何なのでしょう。

答えを欲しがろうとすぐにしてしまいますが、
納得できる答えが浮かんだとしたら、
それもまた誤魔化し、ウソのような。

電話の方が、やり遂げられますように。
私ももう、誤魔化さないでいられますように。
思わず祈ってしまいます。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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