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2425日目 - 全放棄


今日の屋久島は、曇になっている。
風があって涼しい。
遠くでセミの声がする。
鳥たちは、いつものように軽やかに鳴いている。

心身ともにボロボロになっている人に、いつも言うことは・・・
「諦めなさい!」
「もうお手上げ、ギブアップしなさい!」
「全部手放しなさい!」

全部手放せば、転換する可能性がある。
しかし、少しでも囚われが残っていると、出すべきものが出きらない。
すべてギブアップすること。
すべて諦めること。

そうすれば、変化が始まる。
いのちが甦り始める。
光が奥の方から射してくる。
諦めないということは・・・

まだ自分で何とかしようとしていること。
自分の力で打開しようともがいていること。
しかし、もがけばもがくほど苦しくなる。
じたばたすればするほど、泥沼から抜け出せない。

全部手放す。
それが、人生の要諦。
すべて手放さないと、人生を真に楽しむことはできない。
なぜなら・・・

すべて手放さない限り、恐れがつきまとうから。
不安や心配が払拭されないから。
いつもどこか心の隅に恐怖が巣くっている。
それでは、心の底から笑えない。

不安や心配や恐れから、人はお金を貯めようとする。
たくさんの財産を持とうとする。
有名になり、社会的地位を得ようとする。
それらによって不安や心配や恐れから解放されると思っている。

ところが、いくらお金ができても、いくら有名になっても・・・
問題は、まったく解決しない。
不安や心配や恐れは、依然として心のなかにある。
不安や心配や恐れから出発したものは、不安や心配や恐れに帰るだけ。

始めにあったものが、終わりにもある。
最初の一歩が、最後の一歩。
最初にボタンを掛け違えると、どこまで行っても元には戻らない。
正常に戻すには、最初からやり直すしかない。

全部手放して、ゼロから出発する。
そうすれば、人生を楽しめる。
執着を手放さない限り、真の喜びはない。
すべてを手放せば、すべてがやって来る。

人が根深くつかんでいるものは、恐れ。
心の奥底に潜んでいるものは、恐怖。
それは、自己保存の本能から来たもの。
本能ベース、記憶経由、思考由来。

恐怖体験の記憶は、再び怖い目に遭わないための自己防衛システム。
ところが、それが強烈すぎると、それに振り回される。
あるいは、潜在意識下で常に影響を受けるようになる。
その記憶からの連想と増幅によって、人は恐怖の坩堝(るつぼ)にはまり込む。

人は成長する過程で、多くの恐怖体験をする。
それらが潜在意識に蓄積され、新しい挑戦をブロックする。
常に何かに怯え、安全を追い求めるようになる。
子供の頃の伸び伸びとした明るさは消える。

そういう恐怖の記憶をも、すべて手放す。
恐怖の記憶をすべて手放すことは、かなり勇気がいる。
それは、自分の身を守る術(すべ)を手放すに等しい。
すべて手放すとは、究極的には無防備になること。

それは、憲法9条のようなもの。
戦争放棄。
真の意味では、自己防衛まで放棄する。
非武装無抵抗。

お釈迦様もイエス・キリストも、ほとんど着の身着のままで各地を回った。
何も所有してはいなかった。
身を守ろうとはしていなかった。
だから、必要なものは向こうからやって来た。

イエス・キリストは、十字架で磔になる時も無抵抗だった。
それなのに、どうしてキリスト教国は武器を持っているのだろうか。
どうして宣教師たちは、植民地支配の手先となったのだろうか。
それは、彼らが本質を理解していなかったから。

ただ信仰を広めたいと思っていたから。
力で信仰を広めようとすることは、自我の極み。
単なる自己拡大。
信念体型の押しつけ。

彼らは、まったく何も放棄していない。
しっかり信仰という思い込みを所有していた。
だから思い込みの違いによる宗教戦争が後を絶たなかった。
彼らは、宗教に執着していた。

何かに執着する限り、それが奪われる恐怖や苦しみが常につきまとう。
真の救いは、全放棄。
すべてを手放すこと。
信仰も信念も、すべての拠り所を。

拠り所とは、裏を返せば恐怖の反映。
恐怖があるから拠り所を求める。
自分の心が不安定だから、安定を求めているに過ぎない。
不安定からスタートしたものは、不安定に帰す運命。

何の拠り所も持たない。
何にも依存しない。
何も所有しない。
何もない。

そこからスタートしない限り、真に救われることはない。
その次元こそが、ゼロ。
すべてのすべて。
始まりであり終わり。

ゼロとは、空。
空から始まって、空に帰する。
その途中に色がある。
そこは、色々楽しむところ。

実際は、途中というようなものはない。
すべては、同時にある。
空と共に色もある。
だからこそ、色即是空、空即是色。

心理的にすべてを手放す。
そうすれば、色々楽しめる。
所有して、所有せず。
執着なしに、ただ活用するのみ。

人も物も、所有するから苦しみが生まれる。
所有しないで、ただ楽しむだけであれば苦しみはない。
目の前に存在するものを楽しむ。
移り変わる色の世界を楽しむ。


『拠り所 求める心 拠り所 失う恐怖 次に生み出す』

『囚われが なければすべて 楽しめる 失うものが ないのがベスト』

『人生は 一旦すべて 手放して 執着なしに 楽しむところ』


これが日記を書き始めて2425日目の心境。
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コメント

「全託」よりもキツイ

「全放棄」は「全託」よりも徹底した

ドギツイ言葉に思えました。

「断捨離」とかも流行ってますけど

幻滅、絶望、挫折といった

なんらかの「死」によってしか

全放棄には至れそうもない気がします。

自我は不安や恐怖、渇望を呼び起こし

なんとかエゴを維持しようと恋々努力…

それが「死」によって終焉する幻想だと

わかっていてもしがみつこうとする

いまここの事実に意識を集め

毎日少しずつ「幻想の生」から

離脱して行くことなのでしょうか

ボタンの掛け違え

もしかして・・・

間違った身の守り方を覚えてしまったんでしょうか。
時計の針を巻き戻していく感じがします。

>最初にボタンを掛け違えると、どこまで行っても元には戻らない。
>正常に戻すには、最初からやり直すしかない。

ここがとても、イメージ掴み易かったです。
そもそも、持ち運んだことが不自然なのか、
最初の対処、計らいのアイディアが違っていたのか、
それはわからないけど。

でも今、それらは、今に適ってないのですね。
それはわかります。


巻き戻すためには勇気が必要・・・。
受け入れ直すことっていうか、
抵抗しないでみるというか。

どうであっても、もうこれで仕方ないと諦める、と、
希望にすがりたくなることの苦しさからは、抜けられる気がしました。

どうあっても、それで仕方なくて、
そうある以外に、在り方もない。

受け入れることと、我慢が違うと思いました。
どちらかというと信頼なのかな。
(上手く行くだろうという信頼ではなくて)

全放棄は、なまじ希望があると思えるときほど、出来難いのだと思います。
超ネガティブはだから、チャンスだと日記に書かれていたのかな。

希望は、次の絶望駅に走ってるだけ。
電車はぐるぐる回るだけ、止まりたいです。

手放すとは・・

恐怖体験の記憶や過去は手放せるものなのですか?

手放したくても忘れる事はできず、何かあると思いだします。
いっそ全部何もかも忘れてしまいたいですけど、生きてる以上それも無理です。

kimiさんはどうやって手放してるのですか?

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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