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2429日目 - 闇の源


太平洋上に台風が2個発生している。
そのため、屋久島には高い波が押し寄せている。
まだ遠い台風だが、海はつながっている。
山の上の方は、相変わらず雲に覆われている。

一昨日の『闇こそは無上の光』の日記は、かなり反響があった。
こちらにもメールが何通か届いている。
そのなかに次のようなものがあった。

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最新記事の2日分、何度も読ませて頂きました。
特に『闇こそは無上の光』は、じ~んと心に届きました。

苦労と思えることの中に未来への光が見える。
泥の中に咲くハスの花のように、光だけでは存在しえませんね
闇を毛嫌いするスピリチュアルな方も多い中、闇の真の姿、存在の意味がわかりました。

光と闇、どちらも愛おしい、そう感じました。
いい日記をありがとうございました。
私も、人を導く力の一筋の光になれるよう、これからも努力していこうと思います。

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確かに蓮の花は、泥沼のなかから大輪の花を咲かせる。
きれいな場所では、みごとな花は期待できない。
世間の波にもまれ、苦労して、いのちの花が開く。
艱難(かんなん)、汝を玉にす!

試練と思えることも、後から振り返ると、人格形成に役に立っている。
だから、試練から逃げないことだろうか。
何事であれ、逃げの姿勢は建設的なものを生み出さない。
人生は、常に前向きにチャレンジするしかない。

理解すれば、無駄な努力をすることはない。
よけいな労苦も必要ない。
理解がないから、同じことを何度も繰り返す。
人生で大切なことは・・・

一つ一つのことを丁寧にやること。
そうすれば、一つ一つ理解され、マスターできる。
そうなれば、同じことを何度も繰り返す必要はなくなる。
常に新しいことにチャレンジできる。

真剣にやらないから。
いい加減にやるから。
形だけで終わらせるから。
やったふりをするから。

結局は、一つ一つ丁寧に真剣にやった方が速い。
急がば回れ。
カメの方がウサギよりも速く目的地に到達できる。
地道に真面目に日々生きるしかない。

目の前の闇と思えることも、その奥まで見通せば光に変わる。
自分が、闇と思い込んでいるだけ。
自分が、闇と決めつけているだけ。
実際は、ただ事実があるだけ。

闇という認識を変える。
ネガティブな捉え方を手放す。
あるのは、ただの事実。
自分が、それに意味づけをしているだけ。

評価や判断は、主観的なもの。
けっして客観的なものではない。
その個人的な評価や判断が、自分が居る世界を決定づける。
自分がどんな世界に住んでいるかは、自分の判断にかかっている。

良いも悪いも、自分が決めているだけ。
この世は、人によっては天国となり、別の人にとっては地獄ともなる。
この世の闇は、自分がつくっているだけ。
実際は、闇というようなものはない。

闇は、無理解の結果。
理解の光が射さないから、闇に見えるだけ。
あるのは、無明の闇。
光がないことによる闇があるのみ。

自分自身を理解し、周りを理解する。
それによって、闇は消える。
無理解が、闇の原因。
思い込みが、人を闇に閉じ込める。

闇は、光に至るプロセス。
しかし、実は闇自体が存在しない。
闇と思えるものは、人の幻想。
無理解からくる思い込み。

事実を理解し、一つ一つ縺(もつ)れた糸を解(ほど)いていく。
それによって、まず自分自身が解放される。
次に、人類全体が解放される。
そうやって、幻の闇は消える。

闇とは、無理解の所産。
無理解から理解に至るまでの幻。
闇はない。
ただ光あるのみ。

闇と思えるものは、更なる光に導くためのもの。
光のための闇。
闇そのものは、存在しない。
光を輝かせるプロセスとして闇があるだけ。


『無理解が すべての闇の 元の元 理解と共に 闇は消え去る』

『理解なき 思い込みより 闇生じ 理解と共に 闇は消失』

『闇はない 闇は幻 無理解が つくる幻想 事実あるのみ』

『無理解と いう名の闇が あるばかり 光射す時 無明は消える』

『覚者とは 光もたらす 人のこと 無明の闇を 消し去る光』

『霊静な 理解の光 人の世の 無明の闇に 光もたらす』

『新しい 時代を開く 鍵になる 理解すること 見極めること』

『理解する ことが大きな 愛となる 深く理解し 抱(いだ)き参らせ』


これが日記を書き始めて2429日目の心境。


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コメント

Re:2429日目 - 闇の源(08/28)

2425日目「全放棄」に書かれている、心理的な執着を手放し、
数限りない恐怖体験を見切り、かつ、今日の日記にある、
試練から逃げず前向きにチャレンジ。どちらもできていません。
自分に対する理解がありき、でしょうか。

諦めきって、かつ、現実から逃げない。
一見、相反するようにも思えますが、
すべて、心と生きる姿勢の問題。

毎日のようにストレスの大きい仕事が押し寄せる中で多忙を
極めながら、精神的にも折れそうになりながら生きていますが、
その原動力のほとんどが「恐怖」です。
しかし、恐怖への執着が日常の頑張りの原動力になっています。

人からどう見られるかそんな執着や、未来への恐怖を放棄すると、
試練への対峙の仕方も変わってくると思いました。
今が根本的に間違っているのですよね。

最近書いていただいた日記で、心の奥に気合いが入りました。
さきほど日記のいくつかを携帯電話のファイルにコピーしました。
何度も読んでみます。

無理解=無明?

闇=無理解=光の欠如=無明

ということだとして

宗教やスピ業界から垂れ流される

知識や情報は単なるエゴの消費物で

今ここの見守りから意識を遠ざける

無明の産物でしかなく思えてきました。

寄る辺無くただ一人あること

ただその原点あるのみ…か

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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