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2455日目 - 女性聖


今日は、さわやかな秋晴。
澄んだ空気と青空が、心地よい。
ネコたちも、のんびりムード。
島全体が、穏やかな感じ。

朝夕は、だいぶ涼しくなってきた。
それでも、まだセミの声がしている。
夜になると、虫たちの大合唱。
四方八方から虫の音が聞こえてくる。

自宅の周辺は、広々とした野原。
数え切れないほどの虫たちがいる。
数百匹?
いや、それ以上かも・・・

その虫たちが、夜になると一斉に鳴き出す。
気温が下がって、鈴虫も鳴き始めた。
すばらしい音色。
うっとりと聴き惚れる。

たくさんの虫たちは、いろんな音色を発している。
目をつぶれば、まるで宇宙空間にいるような気分。
響きの宇宙。
波動の宇宙。

最近、自分のなかに女性性を感じる。
それは、『女性性』と言うよりも『女性聖』に近い。
慈母観音や聖母マリアのようなエネルギー。
純粋な慈愛のエネルギー。

それが、自分のベースにある。
それは、以前からわかっていたこと。
しかし、最近は、それが浮上しつつある。
奥にあったものが、明確に自覚されようとしている。

たまにしか出てこなかったものが、常時出てこようとしている。
つまり、表面意識に顕現しつつある。
しかし・・・
それは、あまりにも女性的。

やさしい、やさしいエネルギー。
なんとも繊細なエネルギー。
ただただ慈しむエネルギー。
包み込み、見守るだけのエネルギー。

今まで奥に隠れていたものが、表面に出てこようとしている。
しかし、それを現すことは、なかなか大変。
純粋なエネルギーそのものなので、それを肉体を通して現すのは並大抵のことではない。
あまりにも繊細すぎる。

それは、すべての女性の奥に隠れている。
女性に共通して見られるエネルギー。
しかし、その現れ方は千差万別。
何層ものフィルターを通ってきているので、それぞれ個性を帯びている。

愛の表現は、それぞれ異なる。
それが、個性というもの。
しかし、その根底にあるものは同じ。
慈愛のエネルギーそのもの。

これがあまり強く出すぎると、ガイドはできなくなる。
なぜなら、ガイドというのは単なる道案内ではない。
いろいろ解説する必要もある。
いわば、アクティブな仕事。

カウンセラーなら、ただ話を聞いていればいい。
それならできる。
それこそが、女性性そのもの。
ただただ受け入れ、見守る。

しかし、ガイドは、山道を歩き、危険な場所ではフォローし、自然の解説もおこなう。
かなり能動的。
男性的な仕事。
逆に、水晶やブレスレット関係は、女性的。

繊細に扱えばいい。
美しさを極めればいい。
エネルギーを感じればいい。
こちらの方が、今のエネルギー状態には合っている。

そういうことでガイドの仕事が減り、水晶屋さんやブレスレット屋さんになりつつあるのだろうか。
エネルギーに見合った仕事へ転職?
あまりにも女性的なエネルギーが強くなると、身動きができなくなる。
ただただ至福に満たされるだけ。

女性性とは、空。
受け止め、受け入れ、包み込む。
男性性は、色。
動き回り、表現する。

女性性は、全体性。
すべてと融け合う。
男性性は、個。
独立し、独自性を発揮する。

人は、単純ではない。
女性性だけの人もいなければ、男性性だけの人もいない。
女性性と男性性が、渾然一体となっている。
柔と剛、拡散と収縮が同時に存在する。

最近の女性は、アクティブな人が多い。
それは、男性的なエネルギーをたくさん持っているから。
逆に、男性は草食系男子と言われるように、女性的な人が増えている。
それは、女性的なエネルギーをたくさん持っているから。

女性性が強すぎると、坂東玉三郎みたいになってしまう。
男性性が強すぎると、女子プロレスラーや女子ボクサーになってしまう。
なでしこジャパンも、けっこう男性的。
男、女という既成の枠が外れつつある。

個性とは、独自の表現の仕方。
良いも悪いもない。
何をどれだけ、どのように表現するか。
千差万別。

文章を書くことは、かなり女性的。
それでも、ある程度の男性性はいる。
そもそも固体として存在していること自体が、男性性。
女性性そのものであれば、空間に融け入ってしまう。

その空間から流れ込んでくるのが、慈愛のエネルギー。
女性聖のエネルギー。
それを固体を通して、いかに表現するか。
そのやり方は・・・

お釈迦様やイエス・キリスト、聖徳太子や空海で、それぞれ異なる。
その時代、その場所、その時の肉体、いろんな条件によって違ってくる。
環境によって愛の表現は変わる。
普遍的なものは、個を通して個性を帯びる。

人の意識の多様性。
慈愛のエネルギーになると、『自分のもの』や『自分自身』という感じはまったくない。
それは、純粋なエネルギーそのもの。
けっして自分のものではない。

それは、そのものとして存在している。
自分とは、別の存在。
それが表現される時だけ、表現する人の個性を帯びる。
純粋な慈愛のエネルギーそのものを表現することは、不可能。

それは、ただ感じるしかない。
感じるためには、表面意識の濁りを浄めていく。
理解を通して表面意識の混乱を収拾し、意識を澄み切らせる。
そうすれば、奥にあるものが現れる。

充ち満ちているエネルギー。
すべてに浸透しているエネルギー。
すべてを慈しみ、すべてを見守っているエネルギー。
至福をもたらすエネルギー。


『幾層の 意識の奥に 横たわる すべてを包む 慈愛そのもの』

『星々を 包むものこそ 空という 慈愛に満ちた 聖なる次元』


これが日記を書き始めて2455日目の心境。

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光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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