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2482日目 - 見守りこそが


今日は、半月。
新しい水晶を18個アップした。
今回は、ブレスレット浄化用のクラスター。
朝からリクエストが、かなり来ている。

新しくアップしても、ほとんどリクエストが来ない時もある。
逆に、殺到する時もある。
今回は、かなり速いペースでリクエストが来ている。
毎回こうだといいのだが・・・

最近は、格差是正を求めるデモが世界同時に起きたりしている。
それは、インターネットの普及によるもの。
スマホの登場によって、パソコンが持ち運べるようになった。
時代は、どんどん進化している。

それと共に、自然に帰る動きも加速している。
先日、この半年で農業をするために阿蘇に移住した人が50人を超えたと放送していた。
その人たちが目指しているのは、自給自足。
その動きは、阿蘇に限らず全国的に広がっている。

太陽光や風力は元より、小規模水力発電やバイオマス発電にも取り組んでいる。
天ぷら油でトラクターを動かしたりもしている。
食事のゴミは、当然、肥料となる。
循環型の暮らしを目指す人が増えている。

インターネットと自給自足は、一見相反するように見える。
一方は、オープン。
他方は、クローズ。
でも、実際は繋がっている。

自然のなかで自給自足を目指しながらも、ゆるやかに連帯する。
それが、これからの時代のトレンド。
東日本大震災を経て、それがかなり加速している。
大量生産・大量消費の時代から、循環型社会への転換がゆるやかに進んでいる。

物がメインの時代から、意識がメインの時代になりつつある。
物に振り回される時代から、物を使いこなす時代になろうとしている。
それは、物に限らない。
肉体も感情も思考も同じ。

人類は永い地球暮らしによって、それらを自由に使えるようになった。
ところが、あまりにものめり込みすぎて、いつの間にかそれらの奴隷と化してしまった。
過ぎたるは及ばざるが如し!
自分自身を肉体や感情や思考と思い込んでしまった。

物も必要。
肉体も大事。
感情も思考も大切。
しかし・・・

それらに使われては、本末転倒。
物に翻弄され、肉体に振り回されている人類。
感情や思考のままに引きずられる人々。
まだまだ人類は、発展途上。

挑戦し、理解し、マスターする。
物、肉体、感情、思考・・・
一つ一つをマスターしていく。
そして、それらを超えていく。

それは、赤ちゃんの成長過程を見るようなもの。
泣くことと寝ることしかできない赤ちゃんが、徐々に肉体を自由に操れるようになっていく。
感情表現をし、考えることができるようになる。
思春期に入り、異性を知り、肉体に溺れる人も出てくる。

肉の快楽は、性だけでなく食も同じ。
味覚に呑み込まれて食べ過ぎれば、病気になる。
性に溺れれば、家庭崩壊や身の破滅を招く。
物に溺れても、カード破産となる。

考えすぎれば、ノイローゼーや精神病が待っている。
肉体を酷使すれば、やがて倒れる。
感情的になりすぎても、心身に異常をきたす。
何であれ、過ぎたるは及ばざるが如し!

そうかといって、少なすぎても事は足りない。
体を動かさなければ、やがて体は退化してしまう。
頭を使わなければ、行き着く先はアルツハイマー。
感情を押し殺したら、無関心・無感動。

何であれ、中庸。
お釈迦様は、中道と言った。
楽器の弦は、強すぎても弱すぎても良い音は出ない。
ほどほどに締めて、最も良い音が出る。

その度合いをマスターするのが、人生かもしれない。
それには、多すぎと少なすぎの両方を体験する必要がある。
それを繰り返しながら、その本質を理解する。
そして、ほどよい度合いをマスターする。

それは、何についても言えること。
陶器を焼くにしても、ちょうど良い温度というものがある。
料理を作るにしても、ちょうど良い分量や時間というものがある。
ものを言うにもタイミングというものがある。

ありとあらゆることについて、ほどよい加減をマスターする必要がある。
大すぎもせず、少なすぎもせず・・・
中庸、中道。
そのさじ加減が、難しい。

その基本は、調和。
ハーモニー。
共に生きるということ。
個々を活かし、みんなが生きることができる道を探る。

物質も大切だが、物質だけに偏らない。
肉体も大切だが、肉体だけに偏らない。
感情も大切だが、感情だけに偏らない。
思考も大切だが、思考だけに偏らない。

バランス。
調和。
それを日々やっていくしかない。
それは、日常生活そのもの。

整理整頓が大切といっても、毎日掃除ばかりしていてもしかたがない。
潜在意識の解放が重要といっても、そればかりでは現実創造が疎かになってしまう。
お金がいくら大切といっても、働きすぎれば過労死となる。
時間がいくら限られているいっても、遊んでばかりでは生活ができなくなる。

日々、バランス。
日々、調和。
刻々にバランスを取り、調和的に生きるしかない。
瞬間瞬間が、バランスゲーム。

それは、サーフィンのようなもの。
常にバランスを取る必要がある。
偏れば、倒れてしまう。
気を抜けば、溺れてしまう。

もちろん、ある程度の許容量はある。
そんなに神経質になることはない。
しかし、常に微妙にバランスを調整する必要がある。
注意を怠ると危ない。

それは、自転車にも似ている。
最初のうちはバランスがうまくとれなくて、倒れてしまう。
そのうちに両手を離しても乗れるようになる。
マスター!

しかし、油断をすると交通事故が待っている。
いつ何が飛び出してくるかわからない。
常に注意が必要。
このバランス人生で最も大切なことは・・・

やはり、見守り。
常に見守りながら生きること。
見守りの意識を自分の中心に据えること。
すべてを見守りながら、刻々注意深く生きる。

怒りの感情を抑えれば、いつか爆発する。
そうかといって、怒りに身をまかせれば人間関係はズタズタ。
抑えもせず、爆発もさせない。
両極に偏らない。

それには、強い見守りの意識が必須。
それなくしては、どちらかに偏ってしまう。
偏れば、バランスが崩れる。
バランスが崩れれば、調和は難しい。

他の人たちとの調和。
肉体と精神の調和。
収入と支出の調和。
食事と排泄の調和。

話すことも、静かにしていることも共に必要。
常にお喋りでも、常に寡黙でも問題がある。
自由に使いこなせることが肝要。
両方をマスターし、必要に応じて使い分ける。

それには、やはり人生の深い理解が不可欠となる。
その理解は、注意深く自他を見守り続けることから生まれる。
イージーに生きては、調和はマスターできない。
後ろ向きでは、いろんなことを体験することはできない。

そそっかしくても困るが、臆病でも困る。
見極めて行動する必要がある。
一つ一つのことを意識して、丁寧に生きることだろうか。
一つ一つマスターしていくしかない。

急がば回れ。
一つ一つ見極めていく。
すべてを見守りながら調和を目指す。
見守りのなかで、すべては大調和(大和・やまと)へとつながっていく。

実は、見守りそのものが既に大和。
見守りの状態が、大和そのもの。
最初の一歩が、最後の一歩。
見守りが、すべての中心。


『刻々に 個々のバランス 取るよりも 見守る意識 常にあること』

『揺るがない 見守りあれば どのような ことがあっても 乗り越えられる』

『バランスと 調和見い出す ポイントは 常に見守り 忘れないこと』

『見守りの 意識が大和 大調和 見守りこそが 抱(いだ)き参らせ』


これが日記を書き始めて2482日目の心境。



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コメント

Re:2482日目 - 見守りこそが

機、度、間、息、処
整体の要訣ですが
透徹した感受性が
為し得る調和の
感覚なのでしょう…

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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