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2602日目 - 他人(ひと)のせい


今日は、また寒くなっている。
ブレスレットを発送した帰り道、雄のキジを見た。
自宅の近くに住んでいる。
車で近づくと、あまり逃げない。

カラフルで美しい。
よく道路を歩いている。
トンビも、ほぼ毎日見る。
鳥たちも春の気配を感じているのだろうか。

人類の最大の問題は、何だろうか。
少なくともその一つは、明白。
それは、ある思考パターン。
それは・・・

他人(ひと)のせいにすること。
悪いのは、何でも周り。
自分ではない。
問題は自分にあるのではなく、他の人にある。

それは、根強い思考パターン。
これによって自分を守っている。
自己防衛であり、自己正当化。
自分を守りたい気持ちもわかるが・・・

しかし、それをやっている限り問題は解決しない。
なぜなら、他人(ひと)のせいなので、自分ではどうにもできない。
悪いのは他人(ひと)なので、その人が変わるしかない。
自分では、どうすることもできない。

他人(ひと)のせいにすることは、責任放棄。
自己防衛のために責任を他人(ひと)に押しつける。
ところが、それをやると自分は無力になってしまう。
環境に振り回される哀れな被害者になってしまう。

責任を放棄する代償は、自分の主体性。
責任と主体性を天秤にかけると、どちらが重要だろうか。
もちろん、主体性に決まっている。
主体性のない人生は、人生とは言えない。

大波小波に翻弄される哀れな小舟になりたいのだろうか。
主体性を喪失した被支配者になりたいのだろうか。
人生を創造する喜びを放棄するのだろうか。
主体性の喪失とは、周囲の奴隷になること。

自分の周りで起きることは、すべて自分と関係がある。
自分に関わりのないことは、自分の周囲では起きない。
極端な言い方をすると、自分の周囲で起きる出来事は、すべて自分に責任がある。
なに?

世界中で起きていることに、自分は責任を持てない?
確かに。
地球の裏側で起きている交通事故は、自分とはまったく関係ない?
そうかも。

ところが・・・
実際は、距離の遠近や事件の大小に関わりなく・・・
家庭内のいざこざであれ、海外の紛争であれ・・・
実は、自分と関係のないものはない。

関係を認めなければ、
責任を放棄すれば、
一見、楽なように見える。
ところが・・・

それは、自分ではどうすることもできないということを意味する。
自分の周囲で起きる出来事を自分ではどうすることもできない?
そんなバカな・・・
それでは、環境の奴隷以外の何ものでもない。

自分の主体性は、どこにあるのだろうか。
自分の現実創造力は、いかほどなのだろうか。
微々たるもの?
ささやかなもの?

それは、あまりにも謙遜しすぎているかもしれない。
あるいは、自己卑下しすぎかもしれない。
あなたは、神の子ではないの?
いつも自分は魂と言っている人は、誰?

神の子や魂ということは、人生を創造する力を持っているということ。
環境を創りかえる創造力があるということ。
自分の周囲の状況が気に入らなかったら、それを変更すればいい。
なに?

そんなことできない?
できっこない?
どうして?
どうしてそう決めつけるの?

自分と関係のないものと規定してしまえば、変更は不可能。
自分と関わりのあるものと認定すれば、変更可能。
自分のせいではない?
あくまで他人(ひと)のせい?

そう思っている限りは、環境の奴隷。
他人(ひと)に支配される運命。
自分の人生の主人公であることの放棄。
一生を他人(ひと)の奴隷で過ごすつもり?

全宇宙で起きる出来事に自分は責任がある。
と思えるだろうか。
もしそう思えたら、全宇宙と共にあると言える。
それは、ほとんど神の心と言っていい。

自分とは関係がないと思えば、小さな個のまま。
いつまで経っても全体にはなれない。
全宇宙の些細な出来事にまで責任を取る覚悟があるだろうか。
そこまでいかないと、個であり全体であるとは言えない。

すべての責任は、自分にある。
但し、その責任というのは、人間的な意味ではない。
責任を追及するのは、人間界の自己防衛本能から。
魂次元になれば、責任追及などはない。

全てを抱(いだ)き参らせて生きているだけ。
お釈迦様が、手のひらの上で傍若無人に振る舞う孫悟空を見ているようなもの。
どこまでもあたたかい眼差し(まなざし)で見守っている。
けっして非難したり批判したりはしない。

その視線は、愛しい我が子を見守る母親のようなもの。
責任を追及することもなければ、責任を放棄することもない。
自分とは関係ないとは言わない。
そのすべてを自分のなかに包み込んでいる。

自分の周囲で起きることを調整したかったら、自分自身を調整すること。
けっして周りを調整しようとしないこと。
それは、本末転倒。
自分の主体性の放棄。

問題は、周りにあるのではない。
他人(ひと)のせいではない。
自分の波動に見合った現実が起きているだけ。
自分自身を調整すれば、周囲の状況も変化する。

問題は、環境でも他人でもない。
すべて自分自身の内にある。
それを自覚できるかどうかで、人生そのものが大きく変わってくる。
自覚できない限りは、人生の荒波に翻弄される哀れな小舟のまま。

周囲の環境に翻弄されない大船となるには、すべてを抱き参らせること。
すべてを包み込んで生きること。
責任を放棄しないこと。
他人(ひと)のせいにしないこと。

すべて抱き参らせれば、すべて思いのままになる。
なぜなら、すべてに慈愛が行き渡るから。
慈愛が行き渡れば、やがてすべてが慈愛の存在となる。
目先のことに囚われない。

長い目で大きく包み込む。
まだまだ人類は、未熟。
いろいろ問題もある。
しかし、それもまたすべて抱き参らせる。

抱き参らせて、共に生きる。
それが、大和心。
それこそが、これからの時代を担う意識。
日本が世界をリードする道。

すべてを抱き参らせれば、すべてが変わる。
他人(ひと)のせいにしている限り、小さな小人のまま。
小人閑居して不善を為す。
小さな個のままでは、真の幸せは遠い。

宇宙すべてを抱き参らせる時、真の幸せがある。
宇宙の孤児ではなくなる。
全体からの分離が消える。
個であり全体であるという真の安心立命が実現する。


『他人(ひと)のせい 周りのせいに する限り 望む人生 実現しない』

『他人(ひと)のせい 周りのせいと 言わないで 自分自身を 調整すること』

『手のひらの 上で暴れる 孫悟空 見守る釈迦は 抱き参らせ』

『気に入らぬ ことも気に入る こともみな 抱き参らせ 生きるしかない』

『我が子見る 母の気持ちで 人を見る 抱き参らせ すべてと生きる』


これが日記を書き始めて2602日目の心境。
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コメント

Re:2602日目 - 他人(ひと)のせい

こういう心境が
自力と他力の別とかを
越えてしまうもの
なのでしょうね
無力感、被害者意識が
なかなか抜けない…
はあ~

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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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