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2625日目 - 屋久島10年目の始まり


今日は、3月11日。
東日本大震災から1年。
実は3月11日というのは、自分にとっては別の意味がある。
それは・・・

こちらは、9年前の2003年3月11日に屋久島に移住してきた。
フェリーから外に出ると、山々にはまだ雪が残っていた。
あれから9年。
既に10回目のガイドのシーズンが始まっている。

この9年間で大きく変わった。
何が最も変わったかというと・・・
世の中も変わったが、何といっても意識。
意識が9年前とは、まったく異なる。

それは、この日記を書き始めたから。
最初の2年間は、屋久島に慣れるのに精一杯だった。
少し余裕ができた2005年から、この日記を書き始めた。
そして、7年が過ぎた。

今の意識状態は、既に半霊半物質に近い。
三次元で生きている人と、かなり距離感がある。
交流はできるけれども、生きている次元が少し違う感じ。
現実感が希薄。

固定ではなくて、ファジー。
かなり揺らいでいる。
まるで海底の海草のよう。
物質的な固定感が、どんどんなくなってきている。

その分、意識が現実化しやすくなっている。
意識と現実との境目が希薄になっている。
次元の壁が薄れつつある。
自分の意識がより投影されるようになっている。

この傾向は、これから更に進むだろう。
物質次元ではなくて、半物質次元で生きるようになる。
自分の望む現実のなかで生きるようになる。
それが、これから更に明確になっていく。

日本は、昨年が大底。
既に大峠は、超えている。
後は、光に向かって一直線に進むだけ。
これから更に加速度が付く。

しかし、世界は、これから洗礼を受けることになるだろう。
日本は、先駆け。
世界の雛形。
日本は、いい感じになってきている。

東日本大震災によって、かなり膿が出た。
それによって、日本人が本来持っているものが出始めている。
和。
隣人愛。

お互いに助け合って生きるという雰囲気が、日本全体に満ちている。
これは、すばらしい。
このために大震災があったようなもの。
しかし・・・

まだ原発は、安定していない。
放射能は、出続けている。
原発再稼働を唱える人たちもいる。
まだまだ物質ベースの人も多い。

そういう人たちとは、だんだん遠くなっている。
生きる世界が違っている。
明らかに別の世界で生きようとしている。
次元が異なる。

物質からの解放。
固定からの解放。
観念からの解放。
思い込みからの解放。

この7年間やってきたことは、物質的な思い込みからの解放。
物質化した意識を本来のスピリチュアルな意識に回帰させること。
その結果、極めて軽くなっている。
意識はファジーになり、ふんわりしてきている。

光の時代の光の意識。
これからは、それがメインになる。
これまでの物質的な意識とは、乖離していく。
更に軽く、更にしなやかになっていく。

この感覚を言葉で表現するのは、難しい。
例えて言えば、角のない四角のようなもの。
物質的な角がない。
やわらかくて、しなやか。

一応の形はある。
しかし、ファジー。
常に揺らいでいる。
固定してはいない。

物質は、固定の世界。
しっかり固定した関係を楽しむところ。
しかし、それは両刃(もろは)の剣。
固定して安定はしているが、それに縛られもする。

変化が遅いので、固定したものだと思い込みやすい。
物の形も関係性も。
考え方も固定的になる。
それが思い込みというもの。

観念や信条を元に生きるようになる。
信仰などの固定したものに拠り所を見つける。
地位や財産に汲々とする。
何につけても安定を求める。

それが物質次元。
この世というところ。
しかし、それも大きく変わろうとしている。
固定の魔法が外れようとしている。

思い込みからの解放。
物質からの転換。
スピリチュアルな主体を取り戻す。
物質に翻弄されず、自分ベースで生きられるようになる。

時代は、根本から変わろうとしている。
これまでと異なる意識状態が実現する。
霊主物従。
物主霊従の時代は、終わる。

知識ではなくて、自分で感じながら生きることだろうか。
感じながら、いろんなものと交流しながら生きることだろうか。
物質も、物質の意識と交流しながら関わることだろうか。
ただの物として関わらないことだろうか。

人に対しても、その時その時、感じながら関わることだろうか。
固定観念で接しないことだろうか。
先入観を持たないことだろうか。
もう観念の時代ではない。

知識や観念を超えていくことだろうか。
自分の感性を大切にしていくことだろうか。
しなやかに揺れ動いている感性。
この生きている感性を・・・


『固定した 安定感を 望むのが この世の意識 物質ナイズ』

『しなやかに ファジーに揺れる 精神が 物質からの 自由の証(あかし)』

『繊細に スピード感を 伴って 変化していく 意識のままに』


これが日記を書き始めて2625日目の心境。



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コメント

こんにちは^^

最近、‘恐れ’がほとんどなくなりました。
ただの過去で、幻想であったことが深いところで理解できました。
自分でもびっくりです
あんなに根強かったのに。。なんなんでしょう?これは。
昨年のピーク時には、全く理解できずに、ただ感情に
振りまわされていました(笑)

それと同時に‘いまここ’に在ること(思考がないあるがままの状態)が少しずつですが、増えてきました。

あとは感性を大切にしながら、のんびりふんわり
やっていきたいと思います。

‘意識’ってスゴイですね^^

Re:2625日目 - 屋久島10年目の始まり(03/11)

すごい。
kimiさんのブログもコメントされている読者さんもすごいです。
レベルが違います。
自分は今年になってようやく現実から逃げずに向き合う事を始め、結構しんどいし、いろんな情報にも惑わされるし、自分の感情(インナーチャイルド?)にも振り回される、ようやく、ほんの少ーしだけ、視野が広くなったような気もするけど、気づきとか、愛とか、そんなのもいまいちよくわからない。。
人それぞれ、自分の今を見つめて、一歩一歩、地道に行こうと思います。

ありがとうございます。

目覚め

そうか、この日はkimiさんの屋久島移住の日でもあったのですよね。
10年目に入るのですか、はやいですね。

この日記が始まってから7年間、ほとんど毎日、日記からkimi言葉を抜き出す
作業をしているといっても過言ではない日々を過ごしています。
いのちの島=屋久島や、今はTwitterで。

コメント欄からも抜き出すので、kimiさんの言葉の光がどんどん増していくのと
一緒に、皆様の意識の成長の様子も手に取るようにわかります。

自分自身の成長も、幼稚園児から大学生くらいの成長を感じます。
数年前のコメントは、子どものようです。
そして、ああ一生懸命だったのだな、と、とても愛しく思います。

一年前のこの日、私は朝、神聖ブレスと瞑想をしていました。
そのメッセージの光は圧倒的なものでした。
緊急メッセージのようにやってくる緊迫感に、いつもの瞑想のやさしく包み込む
感覚とは、全く違うエネルギーを感じました。
精神が張り詰めました。

瞑想中の緊迫したエネルギーに、気持ちを律し、精神を正しました。
そうしていたら、午後、あの未曾有の災害が起こりました。

それからの私の意識の変容は、拡散していたエネルギーが一気に収集され、
光のスパークを起こしたかのようでした。
人々の意識の変化と深化も、すばらしかった。
皆の意識が、ひとつにまとまりはじめました。
光へ向かって。

そしてそれは、大きな光のエネルギーとなって、地上と、人々の内奥に浸透し、
輝きはじめました。
眠っていた人々の意識に、光が点火されました。
その光は、もうかき消されることのない光です。
これからますます、光が強く、大きくなっていくことでしょう。

続きです

亡くなられた方々、被災された方々の悲しみや喪失感は、想像するだけで、
そのものを同じように感じとることは、こうして無事である私にはできないです。

ですが、私はその方たちのおかげで、光の意識を取り戻しました。
のらりくらりと、自分を真剣に見つめず、先延ばしにしていたのはなぜでしょう・・・
そのような私を一気に目覚めさせてくれました。
たぶん私だけではなく、尊い命の犠牲により、人々は目覚めました。

これからは、私たちがゆるぎない光の意識で生きていくこと。
そして、人々の意識や、物質にも、すべての事象に光を点火していくこと。

それは、あらゆるものに内在する光と響きあい、光の花を咲かせていくという
ことであり、光の花々が、調和に満ちたエネルギーとしてすべてを包む大きな
意識となっていくことと重なり合うものであるとも思います。

亡くなられた方々にも、光の意識は時空を超えて届くものであると思いますし、
また、この世あの世という堺なくひとつの光となり、この地球とそこに繋がる次元を
光で満たしていく光景が、エネルギーのビジョンとなって見えてきます。

すべてのすべてに、感謝し、私は光を生きますと、強く心に誓います。
ここまで導いてくださったkimiさんにも、深く感謝いたします。

強烈な違和感

>亡くなられた方々、被災された方々の悲しみや喪失感は、想像するだけで、
>そのものを同じように感じとることは、こうして無事である私にはできないです。

同じように感じ取ることはできなくても、ダイレクトに胸に迫りませんか?
わけもなく涙があふれてきたりしませんか?
理屈ではないんですよね
考えようと思わなくても自然に感じられませんか?

>のらりくらりと、自分を真剣に見つめず、先延ばしにしていたのはなぜでしょう・・・
>そのような私を一気に目覚めさせてくれました。
>たぶん私だけではなく、尊い命の犠牲により、人々は目覚めました。

非常に違和感を感じました。
kimiさんをおとしめているとすら想いました。
それともこれがkimiさんの真髄なのでしょうか?
わたしにはわからなくなりました。

多くの方々が、幼い子どもたちも含め津波という巨大なエネルギーにのみこまれていき、そしてまた、震災後にみずから命を絶つ人が次々と続くなか、たぶん成仏しきれない生命もそこかしこに彷徨っているいまの日本で
また、この震災のさなかに、それを同苦することなく、自分はひかりへと導かれていったわけなのですよね。

このことをどのように考えればよいのか、わたしには理解に苦しみました。

いえ、同苦するのが良いとは思ってはいないんです。
まるで震災が起こったことにより、いよいよアセンションが来たか、とまるで歓喜しているようにすら感じとれました。

あなたのこの想いがkimi思想?の真髄ならば、わたしはこの場から立ち去る以外にないです。



Re:強烈な違和感(03/11)

incarosaさんへ

『人の世の 幾千万の 悲しみは 慈悲を生み出す 神のはからい』

『人類の 悲苦を見守る 慈しみ 悲苦を包んで ただ抱きしめる』

『悲しみを 超えて無上の 慈しみ 人の心の なかに咲かせる』

『心身も 地球もすべて 大浄化 光へ向かう 痛みを超えて』

『人類の 幾千万の 苦しみを 超えて光へ 進む曙(あけぼの)』


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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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