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2778日目 - 死の恐怖

今日の屋久島は、久しぶりに晴れている。
青空も見えるが、山の上の方は雲の中。
あまり風がなく、蒸し暑い。
本格的な夏に逆戻りだろうか。

先日ガイドをした方が、死ぬのが怖いと言っていた。
死の恐怖は、多くの人が持っている。
今の人類に共通する課題。
しかし、これもまた・・・

思考がつくり出す妄想の一つ。
なぜなら、生きている人は、まだ死んでいない。
死んでいないにもかかわらず、死を恐れる。
わからないものを、どうしてそんなに恐れるのだろうか。

人が死ぬと、これまでのような反応をしなくなる。
昨日までいた人が、自分の前から消えてしまう。
存在の消失。
それが死に他ならない。

その他人の死から、自分の死を類推する。
そして、自分がなくなることを恐れる。
それが死の恐怖の実体。
単に想像しているに過ぎない。

死の恐怖は、事実に基づくものではない。
周りの事実からの類推に他ならない。
類推ということは、思考作用。
つまり、思考が死の恐怖をつくり出しているだけ。

自分が消えたらどうなるだろうか。
あれこれ想像して、恐れる。
恐れとは、そういうもの。
実体のない幻(まぼろし)。

人は、自分がいなくなることを恐れる。
自分が消えてしまうことを恐れる。
なぜ?
なぜ自分が消えてしまうのが怖いのだろうか。

それは、自分に対する執着があるから。
自分にこだわっているから、自分が消えてしまうのが耐えられない。
それでは、なぜ人は自分にこだわるのだろうか。
それは・・・

元を辿れば、自己保存の本能に行き着く。
肉体を守るのは、人間や動物に共通する本能。
それは、肉体を維持するために必要なもの。
そのために、恐怖というものもある。

危険を避けるために、恐怖は存在する。
肉体を守るために恐怖は必要不可欠。
ところが・・・
これも過ぎると、害になる。

本能的な恐怖が起きるのは、危険な時だけ。
にもかかわらず、人はそれを思い出しては、また恐怖する。
あるいは、それが未来に起きることを想像して恐怖に包まれる。
動物には、そういうことはない。

危険に備えるために想像力は役に立つ。
備えあれば憂いなし。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。
必要以上に考えすぎると、恐怖の虜となる。

自己保存の本能は、肉体を維持するためには必要不可欠。
しかし、それにこだわりすぎると、逆効果。
自分を守ろうとしすぎると、自分に対する執着となる。
自分に対する執着は・・・

自分が消えてしまう恐怖を生み出す。
自分に対する執着があるために、自分が消える恐怖が生まれる。
自分に対する執着がなければ、自分が消える恐怖もない。
執着があるが故に、それをなくす恐怖が生じる。

自己保存の本能は、思考と合体して自己の永続を願う。
それが、逆に死の恐怖をつくり出す。
自己保存の本能だけであれば、死の恐怖はない。
常に死を恐れている動物はいない。

恐怖は、一時的。
危険が過ぎ去れば、恐怖は消える。
しかし、人が持つ死の恐怖は潜在的に持続する。
持続させるものは、何か。

それは、記憶と思考。
普段は、忘れている。
しかし、何かの拍子に思い出す。
そして、恐れる。

潜在意識の深いところには、常に死に対する恐怖が潜んでいる。
それは、いまだ未解決の問題。
いや、死ぬまで解決されない問題。
生きている限りは持ち続けるしかない問題。

本来は、問題はない。
同じ自己保存の本能を持つ動物は、問題を持たずに生きている。
問題を持っているのは、人間だけ。
それは、想像力があるから。

想像力は、ものをつくり出す原動力。
人類にとっては、役に立つ。
しかし、それもまた使い方を誤ると身を滅ぼす。
原爆や化学兵器は、人類を苦しめている。

それだけでなく、死の恐怖が人類の精神を蝕(むしば)んでいる。
死の恐怖は、想像力の賜。
目の前の危険な状況から起きるものではない。
それは、明らかに想像の結果。

人は、自分の死を想像して恐れる。
それが紛れもない事実。
想像することが、死の恐怖を生み出している。
それが、死の恐怖の実体。

死の恐怖というものは、想像の産物。
事実に基づくものではない。
事実は、他人の死にすぎない。
他人の死から自分の死を類推しているだけ。

そういう類推に基づいて、刹那的に生きている人もいる。
どうせいつかは死ぬのだから、生きているうちに良い思いをしないと・・・
しかし、そのような生き方は、一時しのぎ。
真の幸せからは遠い。

心の奥にあるのは、虚しさ。
その虚しさからくる快楽は、刹那的。
自分をごまかしているだけ。
本質的な解決には、ほど遠い。

本質的な解決は、死の恐怖の実体を理解すること。
それが幻であることを看破すること。
そして、いたずらに類推を基に生きないこと。
事実ベースで生きること。

わからないものは、わからないままにしておけばいい。
それで別に問題はない。
問題は、死を恐れる自分自身にある。
自分に対する執着こそが、死の恐怖の大元。

自分に対する執着の源は、自己保存の本能。
元々は肉体の保持を目的としたものが、やがて思考と一体化して複雑化する。
肉体の次元を超え、自分というものに対する執着となっていく。
その自分とは、何か・・・

これがまた想像力の賜としたら?
イメージとしたら?
人は、想像した自分が消えるのを想像して恐れる。
つまり、二重の想像が死の恐怖の原因。

イメージした自分が死ぬイメージをして、人は恐怖におののいている。
これが死の恐怖の実体ではないだろうか。
なんとも滑稽な構図。
しかし、これが紛れもない事実。

自分が消えてしまうのを人は恐れる。
しかし、その消えてしまう自分の実体は、極めて曖昧。
その証拠に、自分とは何か明確に答えられる人はほとんどいない。
にもかかわらず、自分の消失を恐れる。

想像が想像を呼ぶ幻想ワールド。
人は、想像力の迷路に迷い込んでいる。
人は、自分の精神の混迷に気づいていない。
もっと自分の精神構造を整理整頓する必要がある。


自分の精神を整理整頓すれば、その先が見えてくる。
執着の原因を理解すれば、執着が消える。
自分の精神構造を理解することで、恐怖からの自由がある。
そこには、透き通る意識の青空が広がっている。


『想像に 想像重ね 死の恐怖 人は思いの 迷路の虜(とりこ)』

『死の恐怖 その実体を 見極めて 思いの世界 抜けていくこと』

『黒雲を 抜ければそこは 青い空 見渡す限り 広がる視界』


これが日記を書き始めて2778日目の心境。

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コメント

先日ガン検診でポリープが見つかりました。
先生がガンに見えると言うので、検査に回して結果を待っています。
今日の日記にあるように最初は幻想ワールドの中で恐怖に怯えていましたが、今は少し落ち着いて心静かに事実ベースでと自分に言い聞かせています。
ほんのうの自分とはなにか…深く静かに感じてみます。
KImiさん今日も素晴らしい日記をありがとうございました☆

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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