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2780日目 - 死について

昨夜は、ペルセウス座流星群が見えた。
薄い雲がかかっていたが、それでも10個ぐらいは見ることができた。
そのうちの3個は、まるで火の玉のようだった。
大きな光が長く尾を引いて流れた。

死とは、何だろうか。
死は、存在するのだろうか。
確かに、多くの人が亡くなっている。
昨日まで元気だった人が、今日は物言わぬ骸(むくろ)と化している。

間違いなく肉体の死はある。
しかし、心肺停止になっても、脳死判定されても、数日間はヒゲが伸びる。
まだ生きている細胞があるということ。
死と一口に言っても、そんなに簡単ではない。

人体は、多くの器官の集合体。
それを脳が統括している。
その脳を統括しているのは、何か。
それは、意識。

肉体が死んでも、意識まで死ぬとは限らない。
実際は、肉体が死んでも意識は生き続ける。
死ぬ直前の意識が持続する。
死んでも成仏はしない。

意識が突然変わることはない。
死ぬ直前の意識が継続する。
それが自然。
死んだら即、仏になるということはあり得ない。

肉体が死ねば、次は幽体の体で生きることになる。
しばらくは惰性や記憶で残っている肉体の感覚も、やがては消える。
肉体とは違う幽体の感覚で生きることになる。
やがて幽体も死ぬ。

幽体が死ねば、次は霊体の体で生きることになる。
やがて幽体の感覚は消え、霊体の感覚で生きる。
そのうちに霊体も死ぬ。
死ぬというのは、正確ではない。

幽体や霊体を脱ぐ時が来るというのが、正確な表現。
その次元を十分に体験すれば、次の次元へ行く。
やがて、神体の体で生きることとなる。
霊体の感覚は消え、神体の感覚となる。

そのうちに神体も脱ぐ時が来る。
その繰り返し。
どんなに体を脱ぎ捨てても、意識はあり続ける。
なぜなら、意識は体ではないから。

体というのは、器。
意識が入る器。
意識とは、異なる。
但し、この意識というのは、今の自我の人格ではない。

肉体にまつわる意識は、肉体を脱ぐ時に消える。
幽体にまつわる意識は、幽体を脱ぐ時に消える。
霊体にまつわる意識は、霊体を脱ぐ時に消える。
神体にまつわる意識は、神体を脱ぐ時に消える。

それらの体を脱ぐ度に、意識は拡大する。
意識は体に入る度に、入った体に制約される。
それぞれの体は、それぞれの次元のもの。
極めて限定されている。

意識は、小さく小さく凝縮されていく。
それが体に入るということ。
物質化ということ。
制限や限定の世界への下降。

体を脱ぎ捨てるというのは、その逆。
意識の拡大。
制限されたものが取り除かれるので、意識は本来の状態へ戻っていく。
つまり、各体は制約や制限とも言える。

意識自体は、変わらない。
始まりも終わりもない。
意識に死はない。
死ぬのは、体だけ。

それも自分から脱ぎ捨てるというのが実際。
閻魔大王が死期を決めるなどということはない。
すべて自分で計画すること。
長い永いスパン・・・

肉体だけにフォーカスすれば、死が怖い。
肉体の死は、自分の死。
肉体と共に自分も消滅する。
と思い込む。

しかし、それは単なる思い込み。
実際は、肉体が死んでも意識は持続する。
肉体や物質にまつわる諸々が消えるだけ。
自分自身は、あり続ける。

但し、この自分自身というのが・・・
そんなに簡単ではない。
意識は、多層。
それは、十二単(ひとえ)のようなもの。

何枚もの体を着ている。
各体は、それぞれ次元が異なる。
次元が異なれば、それに伴うエネルギーも違う。
体自体が表現媒体を伴う。

肉体は、感覚の世界。
幽体は、感情の世界。
霊体は、思考の世界。
神体は、気づきの世界。

それぞれの体に入ることによって、それぞれの体にまつわるエネルギーを表現できる。
逆に言うと、それらの体を去る時には、それらの表現媒体を手放すことになる。
つまり、十二単(ひとえ)のそれぞれには、独特の色彩(表現器官)が伴う。
それらを脱ぐ時には、その色彩も消える。

十二単(ひとえ)を脱ぐ度に、意識はシンプルになっていく。
全部の着物を着ているときが、最も複雑。
逆に言うと、最も複雑な表現ができるということ。
それが肉体をまとった人間の状態。

あらゆる次元の集大成。
あらゆる次元の総合。
あらゆる次元を統合して生きることが可能なところ。
但し、それには条件がある。

それは、意識の純粋性を保てたらの話。
肉体に入り、肉体化したら、それは難しい。
物質ナイズされた人間には、統合することは無理。
今の人類は・・・

ミイラ取りがミイラになった状態。
肉体に入り、トータルな表現をしようとしたが・・・
肉体の虜となって、物質化。
本来の意識の永遠性を忘却した状態。

意識は、死なない。
死ぬのは、体だけ。
もちろん、今の人格が持続することはない。
今の人格の最も純粋な部分のみが持続する。

肉欲や物質欲にまみれた意識が永遠に続くなどということはない。
それは、この世とあの世の地獄界まで。
霊界になれば、そのような意識は抜け落ちる。
更に次元が上がれば、人間的な喜怒哀楽の感情も消えてしまう。

頭であれこれ考えて悩むことも消失する。
頭で考えるのは、霊界止まり。
思考を使わないで、もっとスピーディに処理できるようになる。
そうなれば、今の人格もかなり変化する。

今の人格のなかに含まれる有象無象の思いや感情は、消える。
もっと純粋な意識となる。
私利私欲など毛頭ない。
欲望とは縁のない意識状態。

つまり、人間臭さが抜けた意識。
そういうものが持続する。
人格のなかのそういう部分のみが継続する。
他の人間くさい部分は、抜け落ちる。

それが意識が持続するということの真の意味。
今の意識のまま持続するわけではない。
もっとも、必要があれば、今の意識を使うことはできる。
それぞれの次元にフォーカスすれば、可能。

意識は、死なない。
意識には、始まりも終わりもない。
最初からあるものであり、終わりというものはない。
無始無終。

そういう永遠のなかで、限りある各体に入り生きている。
それぞれの次元で自己表現している。
宇宙創造をしている。
この世もその一環。

死というものはない。
そういう意味では、何も恐れることはない。
意識は、肉体の死後も継続する。
永遠にあり続ける。

但し、その意識は、今の意識と同じではない。
各体を脱ぎ捨てる度に、どんどん純化していく。
最終的には、意識の海に融合する。
ひとつとなる。

そのひとつの意識が、たくさんの体をまとって今ここにある。
それは、同時に存在している。
ひとつの意識であり、一つの意識でもある。
ひとつは唯一絶対の意識であり、一つは個の肉体の意識。

個になるにつれて、個性が明確になっていく。
全体になるにつれて、個性が薄れていく。
それは、色と空のようなもの。
それらは、今ここに同時に存在している。


『肉体や 幽体・霊体 神体は 移り変わるも 意識は死なず』

『肉体を 落として純化 死出の旅 心身共に 軽くなるだけ』

『消えるのは 肉体だけと 知る時に 死への恐怖は 消えてなくなる』

『フォーカスを 狭めていけば 個となって 広げていけば 全体となる』

『始まりも 終わりもなくて 今ここに 不生不滅の 意識を生きる』


これが日記を書き始めて2780日目の心境。



[注] ここに書かれていることは、自分で実感するまでは単なる観念です。
   けっして信じない方がいいでしょう。
   信じれば、思い込みとなります。
   思い込みは、真理の発見を妨げます。

   真理は、自分で体得するしかありません。
   だから、参考程度にしてください。
   死を恐れないための参考です。
   やがて自分でわかる日が来るでしょう。



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Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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