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2799日目 - 創造

今日の屋久島は、朝から青空が見えている。
天気がいいので、水晶の浄化に行く。
新しく届いたヒマラヤ水晶と里帰りしたブレスレット。
海は、きれいだった。

しかし、川はそれ以上にきれいだった。
ほとんど一新された感じ。
台風で川の藻が洗い流されていた。
透明で冷たい水が豊かに流れていた。

今回持って行った水晶は、ネパールのカテドラルクォーツ。
ヒマラヤ水晶のカテドラルクォーツは、珍しい。
しかも、ほぼ完璧。
これほど美しいカテドラルクォーツは、これまで見たことがない。

屋久島ライトクリスタルのHPには、カテドラルクォーツが53個アップされている。
まだアップしていないカテドラルクォーツが、自宅には20個ほどある。
これまで販売したカテドラルクォーツは、数え切れない。
カテドラルクォーツが大好きなので、たくさん購入してきた。

数多(あまた)のカテドラルクォーツを手にしてきたが・・・
これほどのカテドラルクォーツはなかったような気がする。
自宅には、ミネラルショーでも見かけないようなカテドラルクォーツの秘蔵品がある。
しかし、それらと比べても今回のものは抜きん出ている。

まだアップしていないカテドラルクォーツのなかには、30センチを超えるものもある。
しかも、パキスタンのヒマラヤ水晶。
その上、グリーンでDT(ダブルターミネイテッド)。
何キロもある大型カテドラル。

他にも、まさにカテドラル教会のようなすばらしい形をしたスモーキーカテドラルもある。
シトリンの完璧なカテドラルクォーツもある。
それらと比べても・・・
今回のネパールのカテドラルクォーツは、ずば抜けている。

何がそんなにすばらしいのか。
まず、形。
そして、透明度。
それから、照り。

形は、ブラジル産の最高級のカテドラルクォーツ並みか、それ以上。
透明度と照りに至っては、ヒマラヤ水晶の最高レベル。
ブラジルの水晶では、太刀打ちできない。
形、透明度、照り、どれをとってもレベルが違う。

何と言っても全体の雰囲気が、ヒマラヤ水晶そのもの。
格調が高く、凛としている。
それだけではなく、霊性に満ちている。
ヒマラヤを代表する水晶であることが、その姿から伝わってくる。

よくぞ屋久島に来てくれました!
という感じ。
本当にすばらしい。
こんなにすばらしい水晶が、よくやって来てくれたもの。

高さは、12センチほど。
重さは、400グラム程度。
そんなに大きなものではない。
しかし、そのクオリティは群を抜いている。

自宅にある水晶のなかでは、もしかすると最高峰かもしれない。
50万円以上するグリーンのヒマラヤDTカテドラルとこの水晶だったら・・・
どちらを選ぶと言われたら、躊躇することなくこちらを選ぶ。
このカテドラルクォーツは、なんとなく不思議な経過でこちらに届いた。

一週間ほど前に卸業者から電話がかかってきた。
ヒマラヤのカテドラルクォーツをアップしたので見てほしいとのことだった。
ヒマラヤのカテドラルクォーツは、珍しい。
さっそくサイトを見せてもらう。

形も良く、値段も高くなかったので、即座にオーダー。
ところが、ちょうど台風でフェリーが三日ほど欠航した。
屋久島に届くまでに何日もかかった。
台風で浄化されてやって来たヒマラヤ水晶。

こんなにすばらしい水晶を誰が創ったのだろうか。
自然?
一般的には、自然にできたことになっている。
しかし・・・

自然にできるということがあるのだろうか。
どうしてこんな形になるのだろうか。
どうしてこんなにすばらしいものができるのだろうか。
偶然?

それは、ないだろう。
偶然にできるものではない。
意図がないとできない。
この個性は、意図されたもの。

それでは、誰の意図だろうか。
もちろん人間ではない。
それでは、天使?
それとも、神々?

水晶担当の天使や神々だろう。
それらの存在が、この水晶を創ったに違いない。
意図し、エネルギーを集中し、形にする。
それは、この世もあの世も同じ。

例えて言えば、水蒸気から氷を作るようなもの。
水蒸気は、形を持たない。
いや、水蒸気の塊である雲には形がある。
しかし、その形は刻々に変化している。

その雲が冷えると、雨となって地上に降ってくる。
地上では水となって、至るところを流れる。
その温度が更に低くなると、今度は氷となる。
気体から液体となり、最後には固体となる。

創造のプロセスは、これに似ている。
波動を落とすことによって固定化する。
より明確に形にするのが、創造のプロセス。
目に見えない意図から気体化し、液体化し、固体化する。

それは、星雲にも似ている。
星雲の温度が冷えて固まると星ができる。
どんどん温度が下がってくると、固く固く固定化する。
しかし、固まりすぎると最後には爆発する。

爆発して宇宙の塵に帰す。
それから、また星雲ができる。
そして、星が誕生する。
それが宇宙の創造プロセス。

意図して形にしていく。
それは、振動率を落とすプロセス。
波動を落として動きを抑えていく。
しっかりした形に整えていく。

最終的には、物質という変化の遅いものにする。
同じ物質でも、動物、植物、鉱物で変化のスピードが異なる。
最も変化が遅いのは、鉱物。

特に水晶など時間をかけて形成されたものは、長く形を保つことができる。
逆に動物は、常に変化している。
植物は、その中間。
人は?

愛を形として味わうために肉体を持つ。
より確かなものとして確認するために肉体のなかに入る。
肉体どうしで抱き合うことで、人は愛をより明確に確かめることができる。
精神と共に肉体を通しても愛を確かめられる。

初めに意図がある。
創造の初めには、すべて意図がある。
その意図から、すべてはスタートする。
次元とは、その意図をより明確な形に落とすプロセス。

この世で家を建てる際も、初めに意図がある。
意図し、イメージし、設計図を書き、建設を始める。
それができるのは、人だけ。
動物にはできない。

神々の末裔である人だけが、神と同じようなことができる。
意図し、イメージし、創造する。
それは、宇宙創造と同じ原理。
宇宙創造の一環。

その意図の元は、何か。
元の元を辿っていけば、唯一のものに辿り着く。
それを神と呼んでもいいし、源と呼んでもいい。
何と呼ぼうが、本源に違いはない。

その本源の下に神々がいる。
その末裔として、人は存在している。
元を辿れば、みなひとつ。
ひとつの存在の分かれ。

だから、神道では、人のことを神の分霊(わけみたま)と言う。
キリスト教でも、人は神の子。
父(唯一神)と聖霊(天使たち)と子(人)。
三位一体。

宇宙創造の一端を担っているのが、人。
霊が肉体に止まっているのが、霊止(ひと)。
肉体に入り物質次元を創造するのが、人の役割。
ところが・・・

愛を確かめるための肉体が・・・
いつの間にか、肉体の快楽の虜となってしまった。
愛を忘れ、肉体の快楽にのめり込んだ。
過ぎたるは及ばざるが如し!

精神的な愛を忘れ肉体の快楽にのめり込めば、そこに待っているのは虚しさ。
肉体の快楽に溺れた者は、結局は精神が衰弱して身を滅ぼす。
人の本質を忘れ、物質という末端に翻弄される者は、自分自身を喪失する。
肉体を自分と思い込む者は、恐怖のなかで一生を終わる。

自分の本質を見い出すこと。
自分の真実を発見すること。
それ以上に重要なことは、この世にない。
自分の真実を知らない限り、人生は砂上の楼閣。

作っても作っても、砂のお城は波にさらわれる。
その度に人生が虚しくなる。
創造とは、何か。
この世限りの創造をしていては、真実は見い出せない。

宇宙創造の一環を自覚するまでは、人生には虚しさがつきまとう。
星々にも寿命がある。
ビッグバンで生まれたものは、やがてまたビッグバンで消滅する。
寿命がないものは、宇宙には存在しない。

宇宙は、呼吸のようなもの。
創造と破壊を繰り返している。
霊的な意図を物質化するのが、創造。
物質次元で明確に自覚するのが現実化。

次元とは、震動率の違い。
流動的か固定的かの違い。
速いか遅いかの違い。
変化のスピードの違い。

自分は、何を創造するのか。
宇宙創造の一環として何を現実化していくのか。
自分が生まれてくる前に計画したことを現実化する。
それが今生の使命。

それぞれの役割。
役割分担。
共同創造。
今ここでの共同創造。

間違ってもミイラ取りがミイラにならないこと。
物質を活用して創造するつもりが、物質に呑み込まれて精神を物質化しないこと。
死んでしまえば終わりと、自分を肉体と同一化しないこと。
あくまで精神の主体性を見失わないこと。

精神とは、神の精髄。
つまり、精神こそが神の分霊(わけみたま)。
人の本質。
自分の真実。

人は、死んでも死なない。
肉体は滅んでも、精神が滅ぶことはない。
もちろん、霊界や神界もある。
しかし、それらを超えても意識は存続し続ける。

意識が滅ぶことはない。
もっとも、それは人間的な意識を意味しない。
永遠に存在し得るのは、高純度の意識のみ。
ただ在るという意識のみ。

そこから次元が下がるにつれて、多様性が増していく。
豊かな宇宙となっていく。
空の世界から色の世界が生まれる。
そして、この物質宇宙に至る。

これが創造の物語。
現代人は、歌を忘れたカナリヤ。
自分の真実を見失っている。
ミイラ取りがミイラになりきっている。

物質は、創造の固定化。
肉体は、創造の確認。
その物質や肉体に溺れて本質を見失っている人類。
本末転倒。

末端だけに意識が向いている人類。
本質を忘れたカナリヤ。
奥に眠る真実の歌を思い出さないと・・・・
真実の歌をこの世に響かせないと・・・


『ビッグバン やがて収縮 固定化し 極限となり またビッグバン』

『創造と 破壊を常に 繰り返す 拡大収縮 宇宙の呼吸』

『創造し 破壊し再び 創造し 意図したものを 現実化する』

『物質を 使って意図を 現実化 望む人生 創り出すこと』

『肉体に フォーカスしすぎて 物質の 虜となって 虚しい人生』

『物質の 虜となれば ミイラ取り ミイラとなって この世オンリー』

『物質の 世界にのめり 込みすぎて 己(おの)が真実 忘れた人類』

『真実の 歌を忘れた カナリヤは 物質界の ことだけ歌う』

『魂の 歌を忘れた カナリヤは 故郷求め 虚しく歌う』

『肉体を 超えて己(おのれ)の 真実に ふれれば人は 永久(とわ)の存在』


これが日記を書き始めて2799日目の心境。


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コメント

例えば個人がある意図で
始めた行為が本人の意図を
超えた事態(創造?)に
進んでいくような時は
小我の意図と真我とか
時代や社会の潜在する意図との
相乗、相反が起きているから
なのでしょうか?

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プロフィール

光のkimi

Author:光のkimi
屋久島で、光のガイドをしています。
光の水晶のネットショップも運営しています。
2005年から、光の時代の光の日記を書いています。

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